足もとに飛んできた相手の長いサービスリターンを、ひょいとまたぐように避けると同時に、勝利のときは訪れる――。錦織圭の「楽天ジャパンオープンテニス2016」は、4−6、6−2、6−2の逆転勝利で幕を開けた。

 第1セットを落としたスコアが示すように、決して楽な試合ではなかったはずだ。2週前のデビスカップでのダブルス出場があったとはいえ、シングルスに限っていえば、全米オープン以来約1カ月ぶりの公式戦。前売りチケットが完売した有明コロシアムは、約1万人のファンからのぼり立つ「錦織勝利への期待感」で満たされていた。

 しかも試合当日の朝には、対戦相手が急きょ変更になるという予期せぬ事態も起きた。その代わった対戦相手とは、ジュニア時代には錦織が背を追う存在だったドナルド・ヤング(アメリカ)。15歳にしてジュニアランキング・ナンバー1に座したかつての"神童"が、思いがけず手にした好機を生かすため、錦織に全力でぶつかってくることは明白だった。

 はたして序盤は、ヤングがコート上を躍動する。通常なら相手を圧する錦織のバックハンドのクロスショットが、サウスポーのヤング相手には、フォアのカウンターの餌食になった。かといって相手のバックサイドを狙っても、少しでもボールが浅いと見るや、ヤングは快足を飛ばして回り込み、得意のフォアを叩き込んでくる。機を見てはネットにも出てくる相手の気迫に押されるように、錦織は終盤でミスを重ねて、第1セットを奪われた。

 試合開始から、40分――。錦織の勝利を願うセンターコートに、「よもや......」の不穏な気配が立ち込める。

 ところが、コートに立つ錦織の胸中に、さほど焦りや不安はなかったという。それは、10代のころからよく知る相手の特性や心の内を、彼が冷静に見定めていたからだろう。

「あのプレーが続くとも思ってなかった」

 試合後に、錦織がさらりと言う。2年半前の全豪オープンで対戦したときと「ほぼ同じ展開」であったことも、そう信じられる判断材料になっていただろう。その全豪の試合でも、序盤のヤングは超攻撃的プレーに終始したが、第2セット以降は失速する。そのような経験も踏まえたうえで、錦織は「もっとトップスピンを使うこと」「深いボールを打ち、自分から左右に振っていくこと」、そして相手のフォアの逆クロスを封じるためにも、「フォアサイドにも振っていくこと」などを心掛けた。

 そうして第2セット以降の彼は、掲げたプランを確実に実行していく。

 一定のペースで打ち合うことはせず、高く弾むショットや、相手を前に釣り出す浅いボールを織り交ぜながら、相手のリズムを狂わせる。またこの日は、サーブが確率・スピードともに高かったことも、ゲームプラン遂行を容易にした。

 第2セットは早々にブレークで先行すると、すかさず主導権を掌握して危なげなく奪取。第3セットは序盤こそ競ったものの、第5ゲームで相手のサーブを破ると、以降は明らかに意気消沈したヤングに息を吹き返す隙を与えなかった。最終ゲームでも最速196キロのサーブをコーナーに次々と打ち込み、終わってみれば2時間に満たぬ試合時間で、勝利を手堅く掴み取った。

 試合後の錦織は、まずは「ホッとしました」と安堵の言葉を口にしたが、その表情や声色には、そこまでの重さはない。

「1試合目なので、簡単にいくとも思っていなかった。彼はテニスが噛み合えば怖い相手なので、今日みたいにセットも取られるだろうし。その怖さも試合前から持っていたので、しっかり準備して入れた」

 初戦で襲われる硬さも、このコートで戦うことの緊張感も知りつくしたうえで、手の内を知りつくした相手との対戦。錦織にとっては第1セットを落とすことすら、ある程度は想定内だったようだ。

 錦織圭というアスリートは、時にこちらが驚くほどに正直な人物である。「正直、負けると思いました」「負けることも覚悟した」......。そんな言葉を口にすることも珍しくない。その彼がこの日の試合後には、いつもの朴訥(ぼくとつ)とした語り口で言った。

「負けるという不安はなかったです」

 同期のヤングを退けたその先で対戦するのは、こちらも錦織と同じ1989年生まれのジョアン・ソウザ(ポルトガル)。「年齢も近いので、昔からよく知っている」相手ではあるが、不思議とまだ公式戦での対戦はない。

「フォア・バックの両サイドから、いいグラウンドストロークを打ってくる選手。次もいいプレーをしなくてはいけない」

 来る対戦に向け、錦織はそう語る。その表情には、同世代との初対決をどこか心待ちにしているかのような、明るさが差していた。

内田暁●取材・文 text by Uchida Akatsuki