キャリアアップや就職先のひとつに「海外で働くこと」を視野に入れていても、「どこから始めれば良いか分からないから夢のまた夢…」と半ば諦めムードに陥ってしまう人も少なくないはず。

そこでコスモポリタンでは、グローバルキャリアを憧れで終わらせないために、実際に海外でキャリアを積んでいくことを選んだ女性たちにインタビュー。現在の働き方やそこに到達するまでの経緯、海外で働くことのメリットなどを語ってもらいました。彼女たちのリアルな体験記が、一歩踏み出すキッカケになることを祈って…!

HERO HIROKA(ヒーロー・ヒロカ)
22歳の時に渡米し、アメリカ在住歴10年を突破。現在はLAを拠点に、歌手、ダンサー、振付師、リポーター、女優、キャスティングディレクターなど、マルチな才能を発揮するインターナショナルエンターテイナーとして活躍中。

―現在のような活動を始めたキッカケは?

「母を亡くして現実が受け入れられなかった私には、これしかなかった」

幼少期の母の死が、一番大きく影響していると思います。突然の出来事にショックを受け、現実の世界を受け入れることが出来ずにいた当時の私にとって、テレビで歌ったり踊ったりしているアーティストを観ている時だけが心の痛みを忘れる唯一の時間でした。そうしているうちに歌と踊りの世界に魅了され、気づけば自分の人生すべてを捧げていました。今でもアートは私にとって"心を癒す薬"であり、"どんなに辛いことがあっても笑顔に戻れる夢の世界"なんです。

正直最初は、仕事として絶対に成功させようとか、プロになろうだなんて気持ちは1ミリも持っていませんでした。どちらかというと、あまりにも生きる事に必死すぎて"自分の全人生と命を賭けて究極の現実逃避"の道を真っ直ぐに歩く事しかできませんでした(笑)。ある意味"無の境地"に近かったかもしれません。

自分に残された選択肢はこの生き方を追及するか"死"しかないと思っていたので、中毒のようにのめりこんでいきました。するといつの間にか周りの方がプロとして扱って下さるようになり、気付けば職業になっていました。今もこうして異国の地で、第一線で活動させて頂けているのは奇跡だと思っています。

―日本にいた時はどんな活動を?

「有名人のバックダンサーだけでなく、ダンスバトルやインストラクターも!」

表舞台では「Earth Wind & Fire」のツアーに参加したり、『キラキラアフロ』というテレビ番組で笑福亭鶴瓶さんやオセロ松島さんの後ろで踊ったり、ダンス番組に出演したり、「ポッカ」のCMでナインティナインさんと共演したり、バックダンサーとしても活動していました。

一方でアンダーグラウンドでは、ダンスバトルに参戦したり、クラブでパフォーマンスをしたり、インストラクターとしてスタジオで生徒さんにダンスを教えていました。

―渡米を決意した理由は?

「自分自身が大嫌いで、新しい自分になりたかった」

渡米を考えだしたのは、日本に住んでいる間に自分が考えられる全ての夢を叶えきってしまい、一度深く絶望したのがきっかけです。…と言うと誤解を招くような表現かもしれませんが、もともと自分に自信をもてなかった私は、夢を追いかけ叶えることでしか自分の生きている存在価値を感じられなかったんです。止まると死ぬ魚のごとく"何処かに向かって泳いでいないと死ぬ"という極端な思考をもっていました(笑)

"才能のない私は生きていてはいけない"という思いが強く根底にあったため、夢を叶えきり、母国で夢も目標も未来も見えなくなってしまった事は重大な死活問題でした。

それに加えて私は身長が174僂△襪里如日本では身体的にも肩身の狭い思いをすることもしばしばあって。協調性を重要視する日本ならではの"和"という概念も次第に迎合しているように感じて、自分の個性を受け入れられないのではないかという恐怖から自分を抑え込むようになり、息苦しさや孤独感を感じていました。その結果ますます視野が狭くなってしまい、日本の良さよりも悪い側面ばかりが目につき、気付けば日本が大嫌いになってしまっていました。

それでも、いつも寄り添って笑顔で応援してくれた友人や先輩方、師匠のおかげでなんとか日本で頑張れていたんですが、そもそも自分のことが大嫌いだったこともあり、日本人としての自分とは一度決別して、新しい自分に生まれ変わろうと思ったんです。失うものは何もないから、純粋に自分が知らない世界に飛び込んで挑戦してみようと。

そして22歳の時、ロッキングのレジェンドである「グレッグキャンベルロックJr.」から招待を頂いたことをきっかけに、ブラックカルチャーの心髄に触れたくて渡米を決意しました。

―渡米にあたって、準備したことや苦労したことは?

「鬱になったり、ホームレスになったり…(汗)」

それまで一度も海外に出たことがなかったので、渡米の覚悟を決めるまでに3年かかりました。決断にやたらと時間をかけた割に、何をどう準備したらいいのかよく分からなかったので、とにかく着の身着のままノープランでその日を迎えました(笑)。

現地に着いたら着いたで、英語を全く話せなかったし、お金の数え方すら知らなかった私。さらに学校に行ったり辞書を買ったりする経済的な余裕もないという究極なダメ子っぷりを発揮し、手も足も出ずコミュニケーションがとれないまま1年くらい鬱になっていました(笑)。

最初の3ヵ月間はなかなか居住地が決まなかったので、9カ所引っ越しをするという異例の移民スタイル。土地勘がなかったため、知らぬうちにメキシカンギャングの巣窟に身を置いてしまい、深夜3時に殺人者を追った警察のヘリコプターが部屋を照らして睡眠不足が続いたり、近所のギャングがナイフで刺し合って血だらけで玄関で倒れていたり、3ヵ月間ホームレスになったこともありました。

でも、リアルなスラム街のライフスタイルに完全密着できたという意味で、今では宝物として自分の肥やしになっています。ブラックカルチャーならではの痛みやソウルが肌でわかるようになったのも、この時の経験があったからこそなんです。

そんな私が、半年後には全米チャンピオンとして、ニーヨやジャスティン・ビーバーなどのセレブリティーと共演するバックダンサーになり、後に世界中を飛び回ることになるんですから…人生は壮大なコメディですよね(笑)。

―LAで生き抜くには?

「素直さと情熱と、自分の感覚を信じる心」

「自分の足と感覚」だけを頼りに行動する、これに限ります。LAは、95%の嘘とたった5%の真の才能が輝く残酷な街ですが、その代わりに一生心に残るような感動が待っています。流れがかなり早いので、"今という瞬間をどれだけ臨機応援に、本気で生きられるか"が大切。

最近の私のモットーは『子どものように真っ直ぐな素直な心を持ちながら、本当に自分が好きなもの以外は一切除外する覚悟をもつこと』です。そして見えない未来にどれだけ投資し、信じて生きていく情熱があるかが人生を決めると思います。

―アメリカで活動する上でデメリットはありますか?

「後ろ盾がないので、全ては自分の腕にかかっている」

日本と比べて、決められたフォーマットや安定という道が少ないので、すべて自力で耕していかなければならないことです。エンターテイナーとして活動をしている場合は、たとえエージェンシーやマネージャーがいたとしても、個人事業主として弁護士やパブリシストを雇う必要があります。後ろ盾がないので、常に自分がボスだという自覚を持ち、責任やプレッシャーを背負わなくてはなりません。

市場では、見えない所にまだしっかり人種差別が残っているので、たったひとつの椅子を狙って大規模な椅子取りゲームをしているような状態です。でも不安定やリスクが伴ってこその自由。その分、日本では考えられないようなアメリカン・ドリームを叶えられるチャンスが転がっているのもこの国です。良くも悪くもすべては自分の腕にかかっています。

―今後はどんな活動をしていきたい?

「日本と世界を繋ぐ"変換機"になりたい」

一度はとことん日本を嫌いになった私ですが、そのおかげで外側から日本を見つめる事ができました。さらに多文化と交わったことで"日本人としてのルーツ"がどれだけ大切か身にしみて分かるようになったんです。なので今後は、西洋で学んだ経験を生かしながら"日本人の心"を核に、歌やダンス、芝居を通して自分のエネルギーをカタチにして世に出していきたいと思っています。

巻き寿司の素晴らしさは巻き寿司のままでは海外に伝わりません。異国の方に理解して喜んで貰う為には"カリフォルニアロール"に変換する必要があったんです。その逆もしかりで、"スパゲティ"や"カレー"も日本人好みに変換されて日本に輸入されています。言語に通訳者がいるように、アートにも異文化の間に架け橋となる"変換機"が必要だと思っています。

私は日本の良さや海外の良さをお互いに伝え合う"変換機"のようなアーティストとして、年齢や性別、人種や国境の壁を越えて、日本人として世界中の人と繋がる活動をしていきたいです。そしてこのムーブメントを通して更に母国の文化や精神性をより深く学んでいき次世代に継承していきたいと思っています。

―海外で働きたいと思っている女性にアドバイスを。

「まずは日本人としての感覚や先入観を取り払ってみて!」

海外へ行くことを決意したのなら、日本人の誇りをもちつつも、一度日本で培った感覚を横において、すべてに対してオープンな気持ちで向き合うことをオススメします。それまで自分の中にあった常識や先入観にとらわれないことで、新しいことをスポンジのように吸収できたり、言語や文化の違いに戸惑うストレスも緩和しやすくなります。

私は「自分はアメリカ人として生まれ変わったばかりの0歳児だ」と言い聞かせていたので、赤ちゃんのように英語を吸収していきました。勉強した感覚は一度もありません。サバイバルモードだったこともあり、容赦なく毎瞬英語を右脳に叩き込み、日本語を三年間封印したら日常会話が英語の方が楽になったんです。

独学で耳からしか学んでいないので、最初は正しいスペルは書けませんでした。でも意味は分かるし、相手にも伝わる。そんな事を繰り返していたら、いつのまにか夢の中までも英語に変わりました。ようは"伝える気持ち"が大切だということです(笑)。

苦悩もいつか全て才能に繋がるので大丈夫。不安にあおられず「楽しそう!」という気持ちを大切にして下さい。