『日本人として知っておきたい 日本語150の秘密』(沢辺有司/彩図社)

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 日本国内で外国人を目にする機会は、年を追うごとに増えている。外国人旅行者もそうだが、日本の技術を学ぶために来日した「技能実習生」の存在も多い。そんな彼らの前に立ちはだかるのが「日本語の壁」だ。曰く「漢字が難しい」「敬語が難しい」「話し言葉と書き言葉が違う」など、難解な理由には事欠かない有様。まあ、外国人がそう思うのも当然かもしれない。なぜなら我々日本人ですら、日本語を本当に知っているか怪しいものだからである。『日本人として知っておきたい 日本語150の秘密』(沢辺有司/彩図社)を読めば、そのことが具体的に理解できるはずだ。

 現在、世界で最も普及している共通語は「英語」である。英語を第二言語として使っている人口は、およそ4億人にのぼるとも。ではその「英語」と「日本語」の大きな違いはといえば、やはり「漢字」の存在だろう。だから殊更に難しさがクローズアップされるのだが、本書では驚くべき事実が語られている。なんと日本語から、漢字がなくなる可能性があったというのだ!

 実は日本語が不便ではないかという説は、西洋文化が広まってきた江戸時代あたりに遡る。例えば「正徳の治」で有名な政治家の新井白石は、その著書『東雅』の中で「西洋のアルファベットは、ひらがなよりも少ない30にも満たない文字ですべてを言い表せることから、漢字よりも優れている」と述べたと本書で紹介。同じく江戸時代の国学者・賀茂真淵も著書『国意考』で似たようなことを書いている。

 そして漢字廃止論が本格的に起こったのは、幕末期においてのこと。1866年に前島密が徳川慶喜に「漢字御廃止之議」という建白書を提出したことが端緒とされる。前島密とは、日本の近代郵便制度創設に尽力した「郵便制度の父」とも称される大物であり、建白書では「漢字のような複雑極まりない文字を覚えているから教育が普及しない」ということを訴えていた。この申し立ては退けられたが、明治政府に仕えるようになってからも、たびたび同様のことを主張していたという。

 この「漢字廃止論」はさまざまな形となって議論されていく。慶應義塾の創設者・福澤諭吉は「難しい漢字を使わないようにすれば、2千か3千の漢字があれば十分だろう」と漢字を制限する案を提唱。また西洋のローマ字を公用語にしようとする「ローマ字派」や、日本語に最適な表音文字「仮名」だけにしようとする「かな派」といった派閥も生まれた。面白いところでは「外国語を公用語にしよう」と唱えた者もいる。『暗夜行路』などで有名な作家・志賀直哉だ。彼は雑誌『改造』の中で「フランス語を公用語に」と主張していた。しかし本人はそのフランス語をまったく解することができなかったというから恐れ入る。

 以後、漢字は廃止されることなく日本は戦争に突入し、敗戦国となった。敗戦の原因として漢字が槍玉に挙げられたこともあり、またぞろ「漢字廃止論」が復活。さらにGHQも漢字の廃止に肯定的で、道路標識や公共施設の看板などから漢字が消え、英語やローマ字に置き換わっていったという。こうした流れの中で公布された「当用漢字表」。これは一般に使用する漢字を1850字に制限したものだ。当用漢字には多くの問題があったが、漢字全廃の議論も進まずそのまま使い続けられていく。その流れに疑義を呈した吉田富三の「吉田提案」は、漢字存続か全廃かの明確化を迫った。これが後に当用漢字の廃止に繋がり、「常用漢字」の制定に至る。常用漢字は当用漢字から「95字」追加されたに過ぎないが、「増えたことに意味がある」と著者はいう。つまり減るはずだった漢字が増えたということは、漢字廃止論が正式に見送られたことを意味する。そして2010年には「新常用漢字」として196字が追加され、2136字となった。

 こうしてみると、漢字がいかに危うい状況にあったかよく分かる。しかしそんな重要なことも、知らないという人は多いのではなかろうか。本書ではこの他にも、知っておきたいさまざまな情報が詰まっている。それを知ることは、日本人として日本語に誇りを持ち、正しく用いようと心がけることに繋がるはずだ。

文=木谷誠