「とと姉ちゃん」とは孤独の物語だったのか。最終回から総括する

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連続テレビ小説「とと姉ちゃん」(NHK 総合 月〜土 朝8時〜、BSプレミアム 月〜土 あさ7時30分〜)第26週「花山、常子に礼を言う」第156回 10月1日(土)放送より。 
脚本:西田征史 演出:大原拓

朝ドラ「とと姉ちゃん」が10月1日(土)、半年間に渡る全156回の放送を終えた。
最終回の視聴率は21.8%、全話の平均視聴率は22・8%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)で、平均視聴率20%をきることがほとんどない好調さだったその内容は、幼い頃、父・とと(西島秀俊)を亡くした主人公・常子(高畑充希)が父の代わり「とと姉ちゃん」となり、母(木村多江)と妹ふたり(相楽樹、杉咲花)から成る家族を守ることを決意。女学校を出たらすぐに就職、戦争をくぐり抜けると雑誌を出版する会社を経営して家計を支え、ふたりの妹を嫁に出し、その家族も共に暮らす家を建てる。

最終回は、雑誌の売り上げが100万部を超え、権威ある賞をもらい、ある種の頂点までのぼりつめた主人公の前に、亡くなった父の幻が現れて、50年近くの奮闘を讃えてくれる。ラストシーンは、昭和が終わる前年の63年(1988年)、60代くらいになっても現役で働き続ける常子の姿だった。


156回、毎日レビューしていて「とと姉ちゃん」に感じた大きな問題が、2つあった。
最後のレビューはこの2つについて考えてみたい。

問題1 ヒロインが恋愛や結婚を選択しない


ヒロインが夢(目標)に向かって健気に生きる。その道の途中では障害も進路変更もいろいろ。というパターンは朝ドラの定番。今回、異色だったのは、ヒロインの進路に「恋愛」はあってもその先の「結婚」や「出産」が描かれなかったことだ。
理由は簡単、ドラマのモチーフになった人物であり、いまなお出版されている雑誌「暮しの手帖」を創刊し、版元の社長となって活動した大橋鎭子が生涯独身だったから。

大橋が10歳で、亡くなった父の代わりに家長となったエピソードが、「とと姉ちゃん」の発端として使用された。だがドラマは全部が全部、大橋の人生をなぞるものではない。あくまで“モチーフ”として脚本家・西田征史が独自にストーリーを紡いだ。
最終的には「暮し」をテーマにした雑誌づくりがメインになるため、主人公は生まれ故郷・静岡で「衣」、祖母の住む深川で「食」と「住」に親しみながら「暮し」の素養を獲得していく。
途中、そのかけがえのない暮しが戦争で損なわれるが、西田は「大橋さんが直接“死”を目の当たりにされなかったこともあって、まず、戦争の恐ろしさを表現する目的で人の死を題材にするというのは、やめようと思っているんです」(NHK連続ドラマ・ガイドより)と語り、主人公自身の戦争体験は控えめだった。

ドラマの前半でモチーフと最も大きく違う描写は、ヒロインの恋だ。
大橋の恋愛のエピソードは全く残っていないが、常子は恋をする。それも同じ人物(星野/坂口健太郎)と2回も。一度は多感な20歳の頃、2度目は15年後。

結果的に仕事を選ぶ常子は、生涯未婚率が上がっていると言われる現実社会のロールモデルとして格好なキャラクターである。
ちなみに、震災以降は結婚する人も微増しているようだが、昭和初期と比べたらこんなにも減少しているデータがある。

モチーフでは末の妹も未婚だが、ドラマでは妹ふたりは結婚し出産。次女は専業主婦、三女は仕事と主婦業の両立と、みごとに3人3様に女の生き方が振り分けられた。
女性の生き方が多様に描かれた分、とくに主人公が圧倒的に男性に頼らないせいか、男性の存在感がかなり薄かったのも「とと姉ちゃん」の特徴だ。唯一強烈なのが、編集長になる花山(唐沢寿明)だがこの人物も相当異色なので後述することにして、まず、その他の男性キャラを振り返ってみよう。

もともと朝ドラの男性キャラクターはダメな人物が多い。それによってヒロインをはじめとして女たちが必然的に頑張らざるを得なくなる仕掛けだが、それでも何かと父や夫が女たちに影響を及ぼしたり役に立ったりするもの。ところが「とと姉ちゃん」の場合、父親が第1週で死んでしまい、恋人も一時的な精神的支えになるものの決定打には欠ける。たまに現れる叔父(向井理)にいたってはにぎやかしでしかない。さらに、妹たちの夫(伊藤淳史、上杉柊平)も奇妙なまでに去勢されたように存在感が薄い。祖母の養子、仕出し弁当屋の店主や常子が初期に世話になる出版社の人々も描かれ方があっさりしていた。

なぜそうなったのか。思うに、第1週で、家長として家族を守るために働き、かつ月1で家族サービス(お出かけ)するというルールを遵守してきた父が消えたことで、「とと姉ちゃん」の世界は、現実世界での男と女の役割に関するルールと奇妙なズレを起こしたからではないか。
男女逆転大奥を描いた漫画があったが、「とと姉ちゃん」の世界では、女が家長として生きることを中心に据えているため世界が奇妙に反転して見えるのだ。花山とて、「とと姉ちゃん」の女社会の対立概念としての「男」にはならず、あくまでも女社会を後押しする存在になる。

花山のモチーフは、世間的には大橋よりも有名な伝説の編集者・花森安治。天才で変人だった彼は、女装とみまがうようないでたちをしていたこともあって、それが、女社会の「とと姉ちゃん」にはピッタリ。ドラマでは女性の気持ちを知りたくてスカート(キルト)をはいたエピソード以外は女装ふうな見せ場はなかったが、花山は父キャラでも、祖父キャラでもない、恋人キャラでも夫キャラでもない。女性の気持ちが女性以上によくわかる中性的な存在となる。

だからなのか、常子は最後まで誰とも強烈に結びつかず常に「ひとり」に見えた。
異性をはじめ、友人や知人に関しても関係性が持続せず、その時、その時で途切れてしまう。最も長く共に生きた母親すら、最終回でととが登場したときに、亡くなった彼女の話題が一切出なかった。

結婚しないヒロインというテーマを超えて、大家族で暮らしているにもかかわらず、誰とも深く結びつかないという点で極めてユニークなキャラクター常子が誕生したのは、モチーフが生涯独身だったこと、現代でも生涯独身者が増えているという事実を加味しながら、一方で「あさが来た」や「マッサン」などの恋愛要素を支持する視聴者にも配慮した結果、偶発的に起った事象ではないだろうか。
現代を写す鏡であるはずの朝ドラが、多様性が高まった現代社会に対応しきれなくなっていることを感じさせた出来事だ。

そして、この視聴者の多様性が顕著だったのが、常子が花山とつくる雑誌「あなたの暮し」への反応だった。

問題2 劇中の雑誌とモチーフになった雑誌の関係


「あなたの暮し」が誕生したのは16週。その後、8月15日(月)放送開始の第20週「常子、商品テストを始める」から「このドラマはフィクションです」という断り書きが入るようになる。商品テストによって酷評されるメーカーや商品は架空の名まえにしているとはいえ、視聴者が実在のメーカーを思い浮かべることを避けるためと思うが、それによって、モチーフとなった「暮しの手帖」と花森安治と大橋鎭子と、ドラマの「あなたの暮し」と花山伊左治と小橋常子の関係性が虚実皮膜のスリルを帯び始めた。

元ネタの「暮しの手帖」にはエピソードに事欠かない。だが、「あなたの暮し」の内容やその制作過程はドラマではかなり省かれた。にもかかわらず、モチーフ(モデル)になったと前宣伝もあり特集番組も組まれたことで、「暮しの手帖」の膨大な情報が視聴者に多大な影響を与えて行く。

花森はゴツい風貌にフェミニンな服を着て髪をウェーブさせていたという不思議な伝説をはじめとして数々の逸話をもつ。戦争への思いも人一倍で、戦後、戦争や国家に対しての発言も多かった。それを知る(知った)一部の視聴者は、描かれている以上の深いものを花山に期待した。
大河ドラマ視聴者に多い、史実との違いに敏感な者のように、花森や「暮しの手帖」との違いをつぶさにチェックする者が現れた。もちろん彼らが主流ではない。隙間は隙間として自由に補完して楽しむ者、断片的な要素をそのまま受け止めて楽しむ者、西田が描きたかったという「なにげない日常」をまるでネットに転がる猫の映像か何かを観るように無心に楽しむ者・・・マニアックな者もそうでない者もそろって朝8時に「とと姉ちゃん」を観ていたからこそ、視聴率は20%以上をキープし続けたのだろう。
また、元「暮しの手帖」の編集者がドラマに異議を申し立てる記事が週刊誌に載るなどしたことも逆に話題性を高めた。
制作統括の落合将にインタビューした際、このドラマが戦争や思想について深く触れない方針であることを聞いていて、そう思って観ると、落合と脚本家の西田は合気道の要領でその制約を乗り越えていったように感じられた。
合気道は「相手の力を利用する」武道。「とと姉ちゃん」も余計なことをいっさい描かず、その空白の部分を
モチーフの力と読者の想像力に任せた、ように見えたのだ。

「暮しの手帖」最大の偉業である「戦争中の暮しの記録」のことは最終回で駆け足ながら描かれた。本編で先述の西田の考えもあって戦争中の描写は控えめなものだったし、「戦争中の暮し」特集の内容も、お手玉と痩せた子どもの手記のみで具体的な描写はほぼないが、視聴者が実在する「戦争中の暮しの記録」の情報で不足部分を補完する準備は万端だった。放送開始からずっと「暮しの手帖」についてネット検索する者は多く、エキレビ!でもそれについて触れた記事のPVが凄い数を記録したし、その流れで「戦争中の暮しの記録」も注目された。

この合気道的方法論の是非については、ちょうど最終週の放送中の9月27日に、読売新聞に掲載された、カドカワ株式会社代表取締役社長・川上量生がラノベについて語った>インタビュー が興味深かったので引用してみたい。

「(前略)今は努力できる立派な人物が主人公だと、読む側が気後れして感情移入できないんですよ。主人公は読者と同じ等身大の人間。そして、主人公に都合のいい物語を求める傾向が進んできた。
──それが行き着く先には何があるんですか
 最終的に人間は、人工知能によって作られた情報に酔いしれるようになるでしょうね。今でも、Webにはリコメンド機能というのがあって、「ユーザーが好きそうな情報」が出てくるようになっています。そのうち人工知能は高度化し、どんどん機能が進んでいって、嫌な情報は出さない、という徹底した環境が作れるようになるでしょう。そしてそれを、人間自身が望んでいるんですね。(後略)」

このインタビュー内容には賛否両論あったようだが、現代の捉え方としてあながち間違いではないだろう。
それに確かに朝ドラのヒロインは昔から努力せずとも都合のいいことばかりが起ることが多い。父が反面教師になり、祖父が大事なことを教えてくれ、夫や恋人が助けてくれる。
視聴者も朝の支度のついでにながら見が多いから、自分に都合のいいところしかつままない。となると、脚本家に必要なのは、いかに多様な視聴者の都合の良い部分を大量に脚本のなかに盛り込んで、少しでもたくさんの人に興味や好意を抱かせるスキルだ。
最もてっとりばやい方法は、既にイメージが確立しているものをモチーフにして、その力に委ね、余計なことを何もしないことだ。あとは勝手に視聴者が盛り上がる。
「とと姉ちゃん」はみごとにそれをやってのけたのだ。

そして、モチーフとなった「暮しの手帖」は売れ、現・編集長は「(西田さんの)おかげです」とあるイベントで言っていた。社交辞令かもしれないと思ったが、暮しの手帖のFBの9月23日の書き込みには「このドラマのおかげで、わたしたちの作っている今の『暮しの手帖』を手にとってくださる方が増えました。」とあったので、ウィンウィンの関係が築かれたことは確かだろう。

「暮しの手帖」に限ったことではなく、過去にも「赤毛のアン」やウイスキー、生命保険会社など、
実在するものに注目が集まる朝ドラがつくられてきたが、「とと姉ちゃん」ほど登場人物やエピソード以上に、モチーフそのものが注目されることもあまりなかったように思う。
食べることが好きな三女、小説が好きな次女・・・というキャラ設定があるなかで、常子の嗜好は最後までよくわからなかった。彼女は最後まで、家族を守ることと「あなたの暮し」をつくり続けることにすべてを賭けていた、そんなドラマだった。

中には、そんな常子がとても好きだったひともいるだろう。それはそれで良いのだが、よくわからないのは、脚本家が「人は変化していくものであることを描きたかった」と語っていたにもかかわらず、常子が変化したのかといえば、「とと姉ちゃん」は最後まで「とと姉ちゃん」以上でも以下でもなかったことだ。
最後までひたすらに「あなたの暮し」(暮しの手帖)を守るため、彼女の夢や喜怒哀楽や人間関係や成長という個性は、たくさんの視聴者たち各々の想像に託され、外野が盛り上がれば盛り上がるほど、「とと姉ちゃん」こと小橋常子は極めて孤独な主人公になった。
(木俣冬)