体外受精で3人の遺伝子を受け継ぐ男児が誕生(shutterstock.com)

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 イギリスの科学誌『ニュー・サイエンティスト』によれば、ニューヨークにあるニューホープ不妊治療センターのジョン・ザン医師らは、遺伝的な難病に苦しむ女性の体外受精を行い、今年4月に3人の遺伝子を受け継ぐ男児が誕生した。

 この体外受精は米国では禁止されていたため、ザン医師らは規制が緩いメキシコで施術。男児は出産後のトラブルもなく元気だ。

 両親はヨルダン人。母親はリー症候群というミトコンドリア異常による遺伝性神経障害のため、4回の流産を経験し、出産した2児も死亡している。

母親、父親、女性ドナーの3人のDNAを持つ男児

 体外受精は、どのように進められたのだろう?

 まず紡錘体置換法によって、母親の卵子の核を取り出す→女性ドナーの卵子の核を取り除く→核を取り除いた女性ドナーの卵子に母親の核を移植する→移植した卵子に父親の精子を体外受精する→体外受精した卵子を母親の子宮に戻す→出産という流れだ。

 リー症候群を発症させるDNAは母性遺伝するミトコンドリアにあるので、男児が母親のミトコンドリアの異常を受け継がないように母親の卵子から核だけを取り出し、健康な女性ドナーの卵子に移植した。

 つまり男児の核は、両親のDNAと女性ドナーのミトコンドリアを受け継いでいる。母親、父親、女性ドナーの3人のDNAを持つ男児が生まれたのは世界初とされる。ミトコンドリアは母性遺伝するので、女児であればさらに次世代に引き継がれる。

 日本先天代謝異常学会によると、リー症候群はミトコンドリアのエネルギー(ATP)の産生が不足するミトコンドリアの突然変異だ。ミトコンドリア病とも呼ばれ、エネルギーを大量に必要とする臓器や組織に症状が現れやすいため、脳筋症、肝症、心筋症の症状を示す。特に乳児は哺乳困難、精神運動の発達障害、幼児は歩行困難、運動失調、痙攣、脱力、呼吸障害などが見られる。発症率はおよそ5000人に1人の希少疾患だ。

議論百出!生殖補助医療の生々しい現実

 今回の治療成果は医学誌『ファティリティー・アンド・スタリリ ティー』に公表されたが、10月にソルトレークシティーで開かれる米国生殖医学会(ASRM)でも発表される。

 一方、母親の核を取り出し、母親でない女性のミトコンドリアを移植する体外受精は、未解明の領域が多く、安全性や生命倫理を問う論調や世論も根強い。

 2015年2月、イギリスは重篤な遺伝病の女性を対象に臨床応用を認めた。米国は今年2月、有識者のアカデミー団体が臨床試験に倫理的な問題はないとする答申をまとめたが、FDA(米国食品医薬品局)の許可が必要だ。

 日本では、第三者の卵子を使った体外受精は、基礎研究は行われているものの、施術する医療機関は限られ、日本産科婦人科学会は公認していない。
日本の識者たちの見解は?

 新聞各紙の報道によれば、さまざまな見解がある。

 日本産科婦人科学会の苛原(いらはら)稔倫理委員長は「ミトコンドリア病の発生頻度は人種によって異なり、安全性も科学的に証明されていない。国内の臨床応用は、倫理的にコンセンサスは得にくい。基礎研究に留めるべきだ」と語る(毎日新聞)。

 埼玉医科大学の石原理教授(生殖医学)は「重篤なミトコンドリア病患者が出産できる唯一の解決法だ。第三者のミトコンドリアから引き継ぐDNAはわずかだが、不明な点も多い。ミトコンドリア病は成長後の発症リスクもある。影響を長期的に見極める必要がある」と指摘する(毎日新聞)。

 慶応大学の山田満稔助教授(産婦人科)は「卵子の核を入れ替えると、異常なミトコンドリアがわずかに持ち込まれ、増えるリスクもある。安全性や長期的な影響は不明なので、予後を見なければならない」と述べる(毎日新聞)。

 さらに、北海道大学の石井哲也教授(生命倫理)は「卵子の提供体制や本人へのインフォームド・コンセントなど、厳密なルールが守られるべきだ」と強調する(日本経済新聞)。

 安全性はクリアしているのか? 生命倫理の壁を乗り越えられるのか? 不妊治療の可能性を拡げるのか? 社会的なコンセンサスは得られるのか? 目前に立ちはだかっているのは、生殖補助医療の生々しい現実だ。

 このような先見的なバイオテクノロジーを駆使した不妊治療は、難病に悩む女性たちのまさに救世主だ。確かに科学のロバストネス(堅実性と信頼性)は、一夜にして崩壊もし、補強されもする。

 しかし、凧が一番高く上がるのは、風に向かっている時だ。試練や逆境を超えたとき、新しい地平が見えてくる。論より証拠。科学的な知見の積み重ねだけが未来の地平を切り拓くにちがいない。
(文=編集部)