挑戦の数だけ、成功があります。偉人と呼ばれる人たちは、この「挑戦」を誰よりも多くしてきた人です。彼らは、どうして挑戦し続けることができたのでしょう?

経営コンサルタントである木村進さんの著書『日本人なら知っておきたい名言100』から、日本の偉人たちの「挑戦」に対する考え方をいくつかピックアップしてみました。

01.
勝つまでやる。だから勝つ。

(安部修仁/元吉野家社長)

勝つと決めて、死ぬまでやり続ければ負けることはない。必ず勝つという信念は、必ず勝つ結果をもたらすことが多いのは、そのためである。

敗因で一番多いのは、勝ちがすぐそこまで来ているのに、本人は気づかず、そのつらさに耐えかねて、あきらめてしまうというものだ。二番目に多いのは、ハナからあきらめて挑戦しないことだ。この二つの敗因に勝つためには、「勝つまでやる」と決めてしまうことだ。

自分に「必ず勝てる」という信念があれば、どこまでも努力をし続ける。それで悪い結果が出るはずがない。

02.
作り手の側も1番を目指さないとダメ。「2番じゃダメですか」と言い放った政治家がいました。けれども、結果は1番じゃなくても、少なくともその気持ちで臨まなければ。

(川久保玲/コム・デ・ギャルソン創設者)

ビジネスの分野では、一番と二番とでは月とスッポンの違いがあるが、それは当たり前である。消費者、お客様というのはよりよいものを求めるからだ。だから仕事をする以上、よりよいものを目指し、それは当然一番であることを目指しているのである。

何が一番かというと、これは難しくて決められるものではないだろうし、結果はどう判断、判定されるかもわからない。しかし、われわれ仕事をするものとしては、一番よいと思われるものをつくり出すためにやるしかないのだ。

03.
仕事は自分で見付けるべきものだ。また職業は自分でこしらえるべきものだ。その心がけさえあれば、仕事、職業は無限にある。

(豊田佐吉/トヨタグループ創始者)

社会に出て初めて仕事に就いたり、転職して新しい仕事を覚えたり、その会社の流儀を学んでいるときには、ひたすら先輩に学ぶことが大切である。

つべこべ言わずに、人に学ぶのだ。ここで早くも私見を披露する人がいるが、大体仕事のできない人となる。一応の基本をマスターして、そこのやり方になじんだら、そろそろ自分らしさを出すのだ。ここで自分で仕事を創り始める人が本当にできる人である。仕事は時代の変化とともに常に新しく変わっていくので、旧態依存の人は使えない。それでは顧客のニーズに応えられない。

さらに独立する人、ベンチャーを起こす人は、職業も自分でこしらえる人であろう。仕事は変化していくと言ったが、それが進むと新しい仕事になるともいえる。

とはいっても新しい仕事、新しい職業は、常に従来の仕事の延長線上にある。豊田佐吉は大工から自動織機の世界的発明家になり、息子に自動車づくりを研究させた。こうしてトヨタができた。

04.
やってみなはれ。やらなわからしまへんで。

(鳥井信治郎/サントリー創業者)

外国のウイスキーに学んで成功したサントリーだが、その後、本場のスコッチに負けない味で評価を伸ばした。そしてビールへの挑戦、成功(昔のアサヒビールの経営者がその技術を教えたという度量の大きさが業界を活性化させた)を得て、今度は、アメリカのビーム社買収で世界的メーカーへと大きく成長を続けている。

成功の原因の大本は、鳥井信治郎のつくり上げた社風「やってみなはれ」が、ずっと生きていたおかげであろう。

試行錯誤してはじめて本物はできていく。これを認め、当たり前とする経営、社会が企業を強くしていく。ただやってみろではない、やって失敗してみんなで学ぶ。この姿勢が大切である。日本社会で長く成功していくのもそういう人と会社である。

05.
人にとって最も恐ろしいのは、惰性で日を送ることである。向上心があれば、飽きることがない。

(西堀栄三郎/登山家)

西堀栄三郎は第一次南極観測隊越冬隊長として有名な探検家であるが、京都大学で学者として活躍したり、東芝で企業の研究者としての経験もある面白い人だった。

「石橋を叩けば渡れない」という有名な言葉を遺しているが、西堀の下で働く人は皆のびのびと活躍できたという。昭和の吉田松陰とも言えるような考え方を持っていた。また、「挑戦しない奴はつまらん」とか「出る杭は打つな」「個性は変えられないが、変えられるものがある。それは能力だ」と、勇気の出る言葉も遺してくれている。

自身が11歳のとき、南極に行ってみたいという夢を抱いたという。それが実現したのは50歳を過ぎてだが、それまでの人生は向上心を持っていろいろなことに挑戦していた。人生というのはこの向上心をもって挑戦していれば楽しい。失敗したらまた挑戦すればいい。この西堀流の生き方が、戦後の日本人をどれだけ勇気づけたことだろう。

06.
世の中は、知恵があっても学があっても、至誠と実行がなければ、事は成らない。

(二宮尊徳/農政課・思想家)

明治以降の日本人は、修身で尊徳のような勤勉、誠実がすべての成功のもとであると学んだ。

欧米のベンジャミン・フランクリンに対して、日本は二宮尊徳の教えを指針として、ビジネス、経済を発展させたとも言われる。トヨタを創った豊田佐吉も尊徳の教えに従って頑張った。

07.
新しいことをやれば、必ず、しくじる。腹が立つ。だから、寝る時間、食う時間を削って、何度も何度もやる。

(本田宗一郎/本田技研工業創業者)

本田宗一郎は「失敗した」で終わることなど考えられないという。なぜなら、成功するまで何度でもやるからだ。

どんな人だって、どんなことだって、新しいことに挑戦すれば必ずうまくいかないものだ。すぐうまくいくことであれば、誰でもやるだろう。うまくいかないとき、何としてもやってやるという執念で、本田は寝る時間を惜しんで立ち向かった。

よく官僚ともやり合ったという。「日本にはもう新しい自動車会社はいらない」などと言われたそうだが、本田の信念と執念がこれらをくじいた。

自らも言っている。「私の最大の光栄は一度も失敗しないことではなく、倒れるごとにまた起きるところにあった」と。私たちも見習いたいことだ。

08.
ヒット商品をつくる秘訣なんてない。ただいえることは、ある種の能力があって、ひたすら目的に向かってそればかり考え続けておれば、いつか花がひらくときがくる。気持ちを持続しておくことが大切。

(山内溥/元任天堂社長)

どんなに才能がある人でも、ヒット商品を出し続けられるものではない。ヒットを出し続けているように見える音楽家や作家でも、よく調べてみると全く売れないものを出したりする。そのとき本人たちは、信じられないほどに悩むようだが、そのうち再びヒット作品を出してくる。

なぜヒット商品を生み出せるのかというと、手を抜くことなく、ヒット商品、つまり世の中に受け入れられるよいものをつくるという目的に向かって一生懸命に考え続けるからだ。もちろん人によって能力のあり方も違い、手堅い小ヒットをたくさん出す人や、一世一代の大ヒットを出す人と、さまざまである。

重要なのは、どこに自分の才能があるのかわからないにしろ、ひたすら自分を信じて、気持ちを切ることなく、ウンウンとうなりながら、目的に向かって打ち込み続けること。こうしていると必ず花開くときが来るのだ。

09.
仕事をし続けて、仕事の中でぶっ倒れるのが理想だ。

(山本耀司/ヨウジヤマモト創設者)

世界的に有名な指揮者小澤征爾を育てた斎藤秀雄の父は、英語学者で有名な斎藤秀三郎である。彼も山本耀司同様、とことん仕事をし続けた人だった。それはまさに、日本における英語学の発展のために生活のすべてを賭けたというもので、関東大震災が起きても気づかず、英語の研究に打ち込んでいたとか。

娘が結婚式をしたとき「まさか父が仕事を中断して自分の結婚式に出るとは」と驚いたというほどだ。

その斎藤秀三郎の妻、つまり斎藤秀雄の母もすごい。斎藤秀雄が若いとき、演奏会の前に熱を出してしまい、とても出られそうにないと休もうとした。

しかし母は言った。「あなたは何をしている。指揮者として生きていこうという者が、熱を出したくらいで休んでどうする。万が一演奏の途中に倒れて死ねたら本望ではないのか」と。斎藤秀雄はこの言葉で生まれ変わって、大指揮者を目指した。そしてその精神を小澤征爾氏も受け継いだのだ。

仕事に賭ける人生というのは、素晴らしいものである。

10.
今度も立派に乗り越えてみせるぞ。朝の来ない夜はないのだから。

(吉川英治/作家)

誰だって苦しい日々がある。それを乗り越えていくことで、人は成長する。だから、いつも吉川英治の小説には、「今度も立派に乗り越えてみせてほしい!!」との願いが込められている。戦前のことだが、新聞連載の『宮本武蔵』を読んで、自殺しようとした人が思いとどまったという逸話も残されている。

その『宮本武蔵』は今、井上雄彦のマンガ『バガボンド』で現代に甦っている。吉川が小説家として一本立ちを決意したのは、関東大震災を経験することによってであった。たくさんの人が死に、当時吉川が勤めていた新聞社も潰れた。そのなかで生き残った者として、人々をそして自分を励ましていこうと決意したのだ。

吉川の小説には、それぞれの登場人物の人生への賛歌がある。見方を変えれば、一生懸命に生きているみんなを「頑張れ」と応援している。

芥川龍之介や山本耀司、安藤百福など、世界に誇る日本人が残した名言を100個掲載。彼らが見出した「生きる知恵」は、何かに迷ったとき、行き詰ったとき、自分を奮起させたいとき。きっと役立つはず。