森達也が指南するメディアリテラシー:「視点が変われば世界は変わる」

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InterFM897と本誌のコラボレーションで、毎月第3火曜日の夜21時から生放送でお送りしているラジオ番組『(Are You Rolling?)・・・We Are Rolling!』9月20日O.A分の一部を紹介。

最新号のカバーを飾ったトム・ヨーク率いるレディオヘッド『クリープ』でスタートした『(Are You Rolling?)・・・Were Rolling!』。DJを務めるのは、小誌シニアライターのジョー横溝。

この日のゲストは、最新号の小特集「現代社会を生き抜くためのメディアリテラシー」にも登場した映画監督・作家の森達也。オウム真理教事件の真相に迫った『A』『A2』以来15年ぶりとなった最新作『FAKE』では、ゴーストライター騒動で激しい批判を浴びた音楽家・佐村河内守氏に密着し、話題を集めた。映画を通じてメディアのあり方に疑問を呈し続ける森監督に、メディアリテラシー=メディアを主体的に読み解く能力について語ってもらった。

-森さんは映画監督ですが、メディアリテラシーを考えるのにうってつけの作品をたくさん撮られていますよね。特に最新作『FAKE』では、メディアの二極化に切り込んでいます。メディアはこの事件に関して、佐村河内さんが悪で新垣さんが善といった描き方を連日報道していましたよね。

この事件に限らず、白黒でも、善悪でも、真偽でも、本来はその二項のあいだが9割以上を占めていると僕は思っています。ただ、メディア的にはそのイ△い穿イ箸いΔ里話翕喩消爾婆滅鬚澆ない。だからグレーっぽいものを黒と言い切ったり、白っぽければ白と言ってしまったり。善悪もそうです。刺した人はとんでもない悪人で、刺された人は善人です、と。そういう風に物事がどんどん記号化されている。世界が矮小化されちゃっているんです。本来は、そのイ△い穿イ離哀薀如璽轡腑鵝⇒諭垢平Гあることが面白い。それが、メディアが発達したことで扁平になってしまっているんです。

-1995年、Windows95の登場以降、ネット社会の白黒感がさらに煽られた気がします。メディアの在り方が変わったひとつのターニングポイントなのかもしれませんね。

オウム真理教の地下鉄サリン事件と阪神淡路大震災も1995年です。その二つの事件と事故で社会は不安と恐怖を掻き立てられ、さらに同年に誕生したネットによって、その恐怖がどんどん増殖されたというのはありますね。それから6年遅れてアメリカの同時多発テロが起こり、恐怖の増殖みたいな現象が一気に世界に広がっていったような気がします。

-誌面では鴻上尚史さんと対談していただきましたが、その中で衝撃のお話がありました。中国で車に轢かれて路上に倒れていた少女のお話です。

数年前になります。ある中国の地方都市でひとりの女の子が車に轢かれて路上に倒れていたのですが、多くの通行人が見て見ぬふりをしながら歩きすぎてて行ったというニュースです。その監視カメラの映像をテレビが報道し、ネットにも流れた。特に日本ではこの映像を見た人たちが、「いくらなんでもひどい」「中国人は冷酷だ」などと掲示板などに書き込んだ。



-中国の方々を叩く、ひとつのフォーマットのようになっていましたよね。

今もその映像はネットで見ることができるし、ウィキペディアにも事件に名前がついて掲載されています。だけどこの映像にはトリックがあって、夜の映像なのに昼の映像に見えるように加工されていたんです。実際は夜なので通行人のほとんどは暗くて女の子に気づかなかった。中国では、この細工をしたディレクターは処分されたし、この顛末も報道されたけれど、日本人の多くはこの事実を知りません。いまだに、ッ羚饋佑領箙鵑気鮗┐恒覗イ箸靴謄優奪箸脳匆陲気譴討い襪掘▲Εキペディア日本版も訂正されていないですね。こういうことは頻繁にあるんです。

時としてメディアやネットは、事実とかけ離れたことを拡散してしまう。これがもっと政治的に利用されたら、と考えてください。そもそもメディアは戦争とは縁の深い存在だけれど、第一次・第二次世界大戦、日清戦争、日露戦争の時とは比較できないほど、ネット環境はグローバルになっているし、影響力も増している。とても怖い状況です。

-映像のインパクトといえば、1991年の湾岸戦争。イラク軍がクェートに侵攻して、多国籍軍がイラクを空爆するという事態になった時、誰もいない軍の施設をピンポイントで空爆しているというイメージを映像で伝えて、「無駄に人が殺されない戦争があるんだ」「だったらいいんじゃないか?」という世論が当時一部で起きたそうです。だけど実際は、そういったスマート爆弾は戦争期間中たったの9パーセントしか使用されていなくて、ほとんどの空爆が無差別に行われていたそうです。

映像にはゥ侫譟璽瓏イある。当然、そのフレームの外にも世界が存在します。でも、フレームの中ばかり見ていると、フレームの外の世界を想起できなくなるんです。フレームを少しずらせば違うものが見えるのに。そこに対する想像力の欠如は怖いですね。

-鴻上尚史さんとの対談の中で、森さんがオウム真理教を追ったドキュメンタリー映画『A』とその続編『A2』のお話も出てきます。ほとんどのメディアは警察がオウムの施設に突っ込む姿を撮っているんですが、森さんはオウムの施設側から撮っています。まさに、フレームがどこにあるのかによって見える景色が変わってくるんですね。

メディアに限った話ではなく、視点が違えば見えるものが違うのは当たり前のことです。職場や学校など、できれば顔も合わせたくないくらい嫌いな人は誰にでもいると思いますが、夜ばったり会って仕方なく一緒に酒を飲んでみたら、グ娚阿肇船磧璽潺鵐阿覆箸海蹐發△襪鵑世放イ覆匹箸筏い鼎ことがあります。視点が変わったからです。それはメディアも同じこと。メディアが伝えているのは、みんなが喜ぶ刺激的でスキャンダラスでわかりやすくてセンセーショナルで視聴率が取れる視点です。でも、それだけじゃない。もっともっと世界や現象は多面的で多重的で多層的です。



-今、映像が伴わないメディアってラジオくらいです。でも、やはり映像があると説得力が増すんですよね。

映像はエモーションで、文章はロジックです。今は世界レベルで、ロジックの領域が小さくなって、エモーションが大きくなってきている。つまり感情が状況をコントロールしている。EU離脱とかトランプ現象とか、本来はロジカルに決めるべきことが、感情的に決められてしまっているんです。

-亡くなった落語家の立川談志は、「メディアなんて信用できない。新聞で正しいのは日付だけ」なんて言っていましたけど、市井の人間にとって情報抜きに社会生活を送るのは難しい。メディアを否定しても仕方がないので、どう付き合っていくかだと思います。

情報の属性みたいなものを知ることが大事です。情報は水や空気のように必要なもので、拒否はできない。だって、「水や空気は汚れているからいらない」とはならないですよね。だから、情報にも何らかの濾過が必要。その濾過装置が、自分の中のリテラシーに対する知識と思えばいいのではと思います。

-リスナーから、「『FAKE』の続編はありえますか?」との質問が来ています。

ないです。

-即答ですね。でも大好評じゃないですか。

『FAKE2』ですか? 誰を撮るの? 『FAKE』は完結しています。続編はありえない。もしも撮るなら、他のテーマで他のものを撮ります。

-話は変わりますが、ビジネスジャーナルというWEBメディアでいわゆる捏造事件がありました。NHKのニュース7で高校生の貧困の生活を撮った映像があったのですが、ビジネスジャーナルが「これはヤラセだ」と書きました。しかし、その記事自体がヤラセ、捏造記事だったという話です。WEBメディアでは記事のPV(閲覧数)がわかるので、PVによって一定のギャランティが支払われるというシステムも多いようです。メディアにおける数字合戦の中で、お金欲しさにいわゆるゥ丱匙イ覽事を書いてしまう心理もわからなくもないのですが、森さんが仰っていた「メディアは無意識に、構造的に嘘をついてしまう」という言葉を思い出しました。

記事を公開した時点で、すぐに嘘だとばれることは自明なのに、極めてレベルが低い話ですね。低レベルだけど悪質ではない。要するに悪気はないんです。書いた人は編集部員ではなくてフリーのライターと聞きました。特にネットの仕事が多いライターなら、少しでも多く自分の記事にアクセスが集まることばかりを考えている。結果として視野狭窄になってしまったのかな。日々のルーティンがとんでもないことに結びつくことに気づかなくなる。少し大仰に言えば、アイヒマン的な過ちです。しかもその情報がネットで鵜呑みにされている。僕も、ネットのまとめサイトなどでしょっちゅう「バカ」「死ね」とか書かれるけど、まとめサイトが勝手に扇情的な見出しを作っちゃうんですよ。媒体が少なくなって、文章を書く人がそっちに流れているとしたら、それは今のメディアが抱える構造的な問題でもありますね。

-津田大介さんのお話では、そういったネットユーザーには、正しいか間違っているかは別として自分の主張を届けたい確信犯タイプ、根も葉もないことを言って世の中の混乱を喜ぶ愉快犯タイプ、PVを稼いでお金を稼ぐ広告収入タイプの3タイプがいるそうです。

こうした事態が起きる要因の一つは、ネットにおける匿名性です。日本のネットは、世界で一番匿名性が高いと言われています。匿名掲示板が世界で最も影響力を持つ国だとも。中国や韓国など東アジア全般もかつてはそうだったけれど、最近は書き込みなどにも実名を出す方向に変わってきているそうです。匿名だと、一般の人もライターも書きっ放しなわけです。自分の名前をきちんと出すこと、一人称・主語を出すことで、ネット空間も変わると思います。

-ネットならではのオルタナティブな意見もあるので、規制し過ぎてもダメですよね。どう両立させていけばいいのでしょう?

強制や規制はもちろんネット空間にそぐいません。自然にその方向に行けばいいのだけど。SNSも日本は匿名性の強いツイッターだけど、欧米などではアイデンティティが表れやすいフェイスブックですね。日本はどうしても自らを隠そうとする文化がある。どっちにせよ、ネットメディアは手放せない。ならば、どうやってネットを有効に活用していくか。を考えるべきです。この国では非常に低いレベルでネットが消費されていることが問題です。

-偉そうにメディアリテラシーの話をしていますが、僕自身もメディアの人間なので、自戒の意を込めてお話しています。自分がいつ加害者になるかわからないし、知らない間に加害者になってるかもしれないですし。

つい先日、釣りをしていた男性が小学生か中学生と見られる少年二人に堤防から背中を押されて海に落とされたとの事件が、メインストリーム・メディアで当たり前のように報道されていました。大阪府警は殺人未遂容疑で捜査中と発表しています。

でもこれって、そもそも全国紙でニュースにすることでしょうか? 堤防の高さは一メートル。男性はすぐに自力で上がったそうです。子どもたちがふざけてやった悪戯でしょう? もちろん、万が一の事態に発展することはあるかもしれなし、子供たちは大目玉を食らっていいけれど、少なくとも殺人未遂はありえないし、報道するメディアにはもっとあきれます。もっとニュースにすべきことがあるはずで、明らかにプライオリティがおかしいです。危ないことをした人、ルール違反した人をみんなで排除する、叩こうとする世相が強くなっている。10年前なら地方紙にも載らないレベルの話です。

-各社揃って数字が取れるものをトップにもってくる。それを見た視聴者は、さも重大な事件だと思い込んでしまうという、恐ろしいからくりですね。

先日、CNNがテルアビアブで崩壊したビルの事故をトップニュースで報道していたんですけど、よく考えたら、世界のどこかの地方都市でビルが半壊した、というだけの話です。イスラエルだからテロの可能性もあると、そういう見出しがつけられるかもしれないと思って報道しているんだと思います。そういう報道によって、不安や恐怖が増幅されているんですよ。

-テレビの視聴率って、実はかなり少ない世帯数で計算されているんですよね。昔、あるテレビ局がいくつかの世帯を買収したら、視聴率が0.5パーセント上がってしまったという事件がありましたよね。メディア事態が、視聴率を意識して物作りをしています。

買収は論外としても、視聴率に左右される事態は、ある意味で仕方のないことです。テレビ局も新聞社も出版社も営利企業なので。視聴率が広告費に換算され、それで彼らは生活しているので、簡単にダメとは言えない。ただしジャーナリズムで考えると、営利だけじゃなく、社会貢献という言葉は嫌いですが、そういう駆動力も必要だと思います。市場原理に埋没するばかりでは、どうやったら売れるかしか考えなくなる。そういう国、そういう社会にどんどんなっていくんです。

難しいのは、売れない商品をずっと店頭に並べておくわけにはいかない。みんなが興味を示してくれなければ、放送を維持できないんです。メディアは社会の合わせ鏡なので、よくマスゴミとかいうけれど、メディアがゴミなら社会も僕らもゴミ。僕らが選んだ政治もゴミなわけです。三流です。

-森さんはどこから情報を取っていますか?

偉そうなこと言ってるけど、結構ネットも多いかな。新聞も読むし、本を読むし、映画も観るけど、ネットはやはり便利ですよね。

-ジャーナリストの津田大介さんは、WEB:紙媒体:人と会うが、3:3:4らしいです。ネットは便利だけど客観性に欠けるので、出版物が全て正しいわけじゃないけれど、新書を一冊読んだ方が効率も良い、ということらしいです。

人と会うのは、決して効率は良くないだろうけど、インパクトというか体験としては大きいですね。

大切なことは、大きく二つです。視点が変われば世界は変わるということ、情報は誰かのフィルターが入っているということ。全部人間を通過しているものなので、そこにバイアスがないわけはない。絶対的な公正中立なんてありえないということ。この二つさえ意識していれば、リテラシーを半分以上達成できると思います。

ついつい情報に沸騰しちゃうけど、そういう時は自分に冷水を浴びせることも大事です。視点が変わると違うものが見えて、すごく面白いんですよ。メディアだけの話じゃなく、世界がどんどん豊かになるんです。

-色々な意見を咀嚼すること、それでしか中立性は保てない気が僕もしています。メディアを通じて知ったような気になるけど、それも限られた情報であるということを意識しないとですね。

多様な意見によって達成されるフェアネスが大事なんです。日本の選挙報道は、これとは逆に、沈黙するフェアネスの典型です。各党の党首や当選した候補者に本音を聞く池上彰さんの番組が毎回話題になるけれど、本来は投票の前に見るべき内容です。でも日本の今の報道の状況では、それは公正中立ではないとの理由でNGとされてしまう。おかしいです。沈黙することによってフェアネスは達成できない。都知事選候補は18人いたのに、有力候補3人にばかり報道が集中した。マック赤坂が同じ供託金を払っているのにと異議を申し立てたけれど、まったく正論です。でも都知事選の場合は、3人を紹介した後にメディアは必ず、「他に15人の候補者がいます」と付け加える。これによって公正中立を担保しているとの論理らしい。ばかばかしくて話にならない。欧米のメディア、例えばアメリカでは、ニューヨーク・タイムスは今回はヒラリーを応援するとか、FOXは一貫して共和党支持とか、メディアはメディアとしての意見をしっかり出すし、俳優やコメディアンも自分の主張をします。沈黙しない。意見を言い合う。主観を出すんです。でも日本のメディアと社会は、公開の場で政治的な主観を見せてはいけないとの妙な暗黙の縛りがある。

そういう政治風土の中では、政治への関心が高まるはずがないんです。だから投票率は先進国で最下位レベル。沈黙でフェアネスを達成しようというのは大きな間違い。好き勝手に意見を言い合うこと、それによって達成されるべきです。匿名性ともつながる話ですが、そこを根本的に変えていかないとダメですね。


森達也(もりたつや)
◯1956年、広島県呉市生まれ。ミゼットプロレスを追ったドキュメンタリー作品『ミゼットプロレス伝説〜小さな巨人たち〜』でデビュー。以降、ドキュメンタリーを中心に数々の作品を手がけ、98年にはオウム真理教事件の真相に迫った『A』、2001年にはその続編『A2』を発表し、議論を呼んだ。著作に、『放送禁止歌』『下山事件(シモヤマ・ケース)』『僕のお父さんは東電社員です』『オカルト』『A3』『死刑のある国ニッポン』、長編小説作品『チャンキ』などがある。

最新作『FAKE』が全国で公開中。
http://www.fakemovie.jp/