『サバイバー 池袋の路上から生還した人身取引被害者』(マルセーラ・ロアイサ/ころから)

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 東京の新大久保はK-POPグッズが並び、韓国料理が食べられる「コリアンタウン」として知られている。しかし20世紀の終わり頃まで、この界隈は「危ない街」と言われていた。理由は辻々に外国人女性が立ち、客をとっていたからだ。

 マルセーラ・ロアイサさんもその1人だ。といっても彼女は新大久保ではなく池袋や横浜にいたが、1999年にコロンビアから訪れて、日本人相手に売春していた。マルセーラさんの値段は「ニマンエン」。見知らぬ男性とホテルに入り、コンドームを二枚重ねにして数十分の行為に及んでいた。時には顔の形が変わるほど殴られたり、時にはスカトロ行為をリクエストされたりするなど、まさにスペイン語で言う「ミエルダ!(くそったれ)」な仕事を強いられてきたそうだ。

 2001年にコロンビア大使館に駆け込んで自由を得た彼女の手記『ヤクザに囚われた女――人身取引被害者の物語』は、本国でベストセラーとなり(2009年出版、2012年時点で4刷)、日本でも今年8月に『サバイバー 池袋の路上から生還した人身取引被害者』(ころから)として出版された。

 貧しいシングルマザーの彼女は、日本で売春をしていた旧友の話を聞き「少しの間だけなら」と出稼ぎを決意。「数年日本でダンサーをすれば、大金持ちになって戻ってこれるんだぜ」とブローカーに言われたものの、待ち受けていたコロンビア人女性の「マニージャ(スペイン語で手錠の意味。管理売春をさせるマネージャー)」から、売春をして1日2万円の売り上げを渡すことと500万円もの借金があることを聞かされ、騙されたと気づく。彼女は心身ともに「マニージャ」に支配されながら働くが、逃げ出すことを決して諦めない。しかしその一方で元締めのヤクザに恋してしまうなど、ドラマチックな展開に溢れた一冊になっている。

 マルセーラさんは今、当時のことをどう受け止めているのだろうか。自分を「ニマンエン」で買った日本人男性たちのことは「思い出さないようにしているし、1人の女性(私)が要求に応えようと、自分を偽らなければならなかったことなど彼らは知らないのだろう」と振り返る本人に、話を聞いた。

■ラテンアメリカでは、長男長女に家族を養う責任が

「日本は美しくとても発展していて、テクノロジーに溢れている国です。違った状況で訪問できればよかったのにと思います。お店に入ると店員さんたちがとても謙虚に挨拶をするのが、良い思い出として私の心に残っています」

 日本の印象は「美しく豊かで謙虚な人たちの国」と、決して悪いものではないと語った。しかしその国でマルセーラさんは、ケリーという名を与えられて売春を強要されていた。もちろん身体を売ることはうすうすわかっていたが、行動を逐一監視されるその生活は、まさに債務奴隷そのものだった。しかし彼女は大使館に逃げ込むまで、自身が人身取引の被害者だという自覚はなかったそうだ。

 家族には首都のボゴタで働くと嘘をついて来日したが、いつしか家族は彼女からの送金をあてにするようになり、売春の事実を伝える羽目になった。このことの責任は、誰にあると考えているのだろうか。

「責任は誰かにあるのではなく、私の貧困や娘の病気、失業、そしてコロンビアではチャンスが少ないことや、また人身取引についての知識がなかったなど多くの要素が絡んでいると思います。ラテンアメリカの国々では、長男長女は家庭の中で大きな責任を負うように教育されます。幼少時には衣食を与えられ、わずかであっても教育を受けますが、大人になると両親からその義務の多くを受け継ぎ、家庭(家計)に寄与しないといけない現実があるのです」

 本には自身を利用していたヤクザの「サトウ」と、恋に落ちるエピソードも登場する。被害者でありながら、なぜ加害者を求めることができたのか。憎いはずの相手に愛情を抱いた理由を問うと、こんな答えが返ってきた。

「たぶん孤独感や愛情の欠如、家族がそばにいないことが、よく知らない人との絆を深めることにつながったのでしょう。ある時には私は、彼から守られていると感じていましたから。このことは『人間には、自分を捕らえている人までをも愛する力がある』ということを、示しているのかもしれません」

■恐怖は一生、消えない。ヤクザのイレズミと同じ

 スリリングな展開の詳細は本に譲るが、帰国したのちアメリカに住まいを移したマルセーラさんは現在、「人身取引」の実態を語る証言者として講演など行っている。しかし本が出た当初は、コロンビア国内で「被害者ぶるな」というバッシングを受けたそうだ。

「確かに出版したばかりの頃は、人身取引や女性たちが囚われた状況にあることがあまり知られていませんでした。だから起きたことに対して私を悪者扱いするなどのリアクションがあり、根拠のない反発や評価も受けました。しかし時間が経って、本の内容や世界の各地で行われた人身取引予防に関する私の講演を通じて、私に対して敬意の念を抱いてもらえるようになりました。今の私は、自身の経験を決して話すことができない、人身取引被害者の声を代弁できているのではないかと思います」

「恐怖は一生、消えない。ヤクザのイレズミと同じです」と語る彼女は、今でも日本のヤクザにおびえている。「報復されたら」と恐れる心からは、人身取引の辛い記憶が消えることはないかもしれない。しかしそれでも日本のことを知りたいし、日本人にはぜひ同書を手に取って一緒に考えてほしいと願っている。

「今でも匂いなどから、強烈で痛々しい思い出がよみがえることがあります。でも日本のことをもっとよく知りたいし、私にはその権利があると思っています。このひどい記憶の一幕を終わらせ、主人(帰国後彼女は再婚している)と手とつなぎながら、東京の街を観光客として歩きたいです。

 そして人身取引はまさに現代の奴隷制であり、武器と麻薬に次いで多大な利益を世界中で生み出している、違法なビジネスです。途上国だけが苦しんでいるわけではなく、日本にも被害者がいます。確実に今この瞬間にも、売春を強要されるなど犠牲者がいると思います。私は人身取引が原因で崩壊してしまう家庭を、これ以上見たくありません。人身取引の悲惨な状況を人々に伝え、それについて意識を持ってもらい、被害者を生み出さないようにしたい。だから全ての人にこの本を読んでもらい、一緒に考えてほしいと思っています」

取材・文=玖保樹 鈴