人類の歴史は、輝かしい面ばかりではありません。片方の国が発展を遂げた影には、戦争に敗れた国もあり、産業発展のあとに振り子の揺れ戻しで衰退が訪れた街もあります。

そんな人類の悲しみの現場と対峙する旅が「ダークツーリズム」と呼ばれるもの。そこには悲しみや怒り、絶望しかないのかもしれません。でも、実際に足を運ぶことに意味があるのではないでしょうか。

今回紹介するのは、1992年に勃発した紛争により「民族分断の象徴」となったボスニアのスタリ・モストです。

【ボスニア スタリ・モスト】
崩落した歴史ある石橋

Photo by Mihai-Bogdan Lazar/shutterstock.com

16世紀に当時最高峰の技術でつくられた石造りの橋は、建築以来400年の歴史を誇り、その美しさから「世界で最も美しい橋のひとつ」と称されていました。

しかし、1992年の内戦で銃弾を浴び崩落。橋の左右で民族が分かれて陣営をつくったことから、民族を分け隔てる象徴となってしまったのです。

崩壊から和解へ

ボスニアは、ボシュニャク人、クロアチア人、セルビア人の3民族共存の地でした。しかし、1992年ボスニアの独立をきっかけに、3民族は互いに対立し、民族浄化を行う紛争へと発展したのです。

反独立派のセルビア人は独自に建国。モスタルでは、スタリ・モストを前線に、西はクロアチア人、東はボシュニャク人が街を占拠し、激戦を繰り広げました。

1993年のスタリ・モスト崩落後も紛争は続き、死者は20万人、避難民は200万人。その数がヨーロッパにおける第二次世界大戦後、最悪の紛争であることを表しています。

停戦後、建設当時とほぼ同じ石材と技術によって蘇ったスタリ・モスト。再建には、ボシュニャク人とクロアチア人をともに雇い、和解の象徴として復元されたのでした。

こんなところも
訪れてみては?

【破壊されたままの建物】20年以上残ったままの銃痕
スタリ・モストの橋から少し離れると、紛争以降そのままになった建物が。壁には数多くの銃痕が残っており、市民同士の銃撃戦がいかに激しかったかを物語っています。

【スタリ・モストの東と西】醸し出す街の雰囲気の違い
紛争後、和解したものの居住地区は分かれています。西のクロアチア人地区はカトリック教会があり西洋的なのに対して、東のボシュニャク人地区にはモスクがありエキゾチック。

【サラエボのトンネル博物館】全長800mのトンネルからできた博物館
紛争中、サラエボへ物資や人を輸送するために掘られたトンネル。現在はほとんど塞ぎ、武器などの展示に使用。トンネル出口の民家にも銃弾の跡が生々しく残っています。

■ベストシーズンは、6〜9月
雨の多い地域ですが、真夏になるほど雨は少なく、気温も20度前後と日本の夏より過ごしやすい気候に。8月は年に一度のスタリ・モストからの飛び込みコンテストが開催。

■予算は16万円〜
飛行機代、宿泊費含む、諸税等別途必要、燃油サーチャージ込み

■プランは6日間
1日目 東京発、経由地乗継、サラエボ着
2日目 スタリ・モスト/モスタル観光
3日目 モスタル観光
4日目 サラエボ観光
5日目 サラエボ発、経由地乗継
6日目 東京着

※最寄りの都市サラエボまでは日本から飛行機で約15時間。サラエボからスタリ・モストのあるモスタルにはバスで2時間半。列車で行くことも可能。

橋の再建により、再び繋がった民族間。平和のアイコンとして存在し続けるその石橋から、じかに歴史を感じてみてはいかがでしょうか。

世界中に点在する、戦争、迫害、破壊、災害、虐殺、社会差別など、人類の悲しみの現場と対峙する「ダークツーリズム」をまとめたガイドブック。誰もが知る有名な場所からマイナーな場所まで36ヶ所を掲載。歴史解説と見所やモデルプランを同時に読める貴重な1冊。