『パリの小さなキッチン』(レイチェル・クー:著、多田千香子:訳/翔泳社)

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 フレンチというとハードルの高いイメージがあるけれど、実はそうでもないらしい。確かに和食にもハレの日向きの手のこんだメニュー(懐石料理など)から、卵焼きや肉じゃがのようなお惣菜まで様々な種類の料理がある。海外の人から見たら味噌汁も天麩羅も同じ和食というカテゴリーに思えるように、フランス人が食べている料理ならそれがすなわちフレンチ。特別扱いする必要なんてない。そう心から思わせてくれる1冊が『パリの小さなキッチン』(レイチェル・クー:著、多田千香子:訳/翔泳社)だ。

 著者のレイチェル・クーは、イギリス出身の新進気鋭の料理家。マレー系中国人とオーストリア系の母の間に生まれ、アジアとヨーロッパ2つのルーツを持つ。フランスのお菓子に魅せられ、パリに移住した彼女は、料理学校「ル・コルドン・ブルー」を修了後プロの料理人になった。そんな彼女の名を一躍世に知らしめたのが、イギリス・BBC製作の料理番組『レイチェルのパリの小さなキッチン』だ(日本でもNHKで2016年に放送あり)。その番組を書籍化したものが本書である。

 彼女は自宅でレストランも開いている。しかし彼女が住んでいるのは、小さなアパルトマン。キッチンも家庭用のもので、決して広いとはいえない。基本的な設備は、2口のガスコンロとミニオーブン、そして小さな調理台。日本の単身向けマンションのキッチンといい勝負だ。でもこんな恵まれているとは言い難い環境でも、ちゃんとしたフレンチは作れる。現在ひとり暮らしでキッチンが狭くて悩んでいる人にこそ、本書は真価を発揮する。もちろんフレンチに興味はあるけど、今まで挑戦する勇気がなかった人にもおすすめだ。ことこと煮込むだけのスープ、グリルした野菜で作るサラダ。魚のムニエル。シンプルなレシピではあるけれど、これも立派なフレンチだ。

 フレンチを気軽に楽しんでほしい。本書からは、そんな著者の思いが伝わってくる。フランス料理を学ぶ最初の1冊としても使えるように、紹介されているレシピは、ポトフやコックオーヴァン、グラタンドフィノアなど伝統的な料理が中心だ。忙しい現代人でも作りやすくするため、彼女らしいアレンジを加えたものもある。家庭でも再現しやすいレシピが多いのが印象的だ。なかには調理時間30分以下のレシピもある。普段の夕食作りやお弁当にそのまま活かすこともできるだろう。

 フランス人の食生活は、我々の想像よりも質素だ。朝食はパンやシリアル、飲み物で済ましてしまうし、昼食も手軽に食べられるサンドイッチが多かったりする。そもそもちゃんとしたコースを食べようと思ったら、2、3時間はかかってしまう。すべてのフランス人が毎日豪華なコース料理を食べているわけではない。クリスマスなどの季節行事や友人を招いてのディナー、ピクニックなどのときには凝ったものを。忙しい平日はさっと作れるものを食べる。この点の事情は、日本とほぼ同じである。本書のレシピも、普段から作れるお気軽なものと、気合を入れて作るとっておきのものに分かれている。おもてなしに使えるメインから、おやつ感覚で作れるスイーツまで、ジャンルは様々。その中から自分の得意料理を見つけて、極めてみるのも楽しいかもしれない。フランス料理の基本についても触れられているので、初心者の人でも安心して取り組める。

 もっとも、この本には1つだけ重大な注意点がある。それは、決して夜中に開いてはいけないということだ。美しいカラー写真のマジックも働いて、眺めるだけでお腹が空いてくる。それだけでも辛いのに、著者は「カロリーなんて気にしない!」と明言しているレイチェルさんである。食いしん坊の彼女は、料理を作る際にバターや生クリームをケチったりしない。本書のレシピは、カロリーよりも味が最優先。さらに恐ろしいのは、卵料理やサラダなど思い立ったらすぐできる一品もあることだ。本書を開いたら最後、突発的にキッチンで料理をしたくなってしまうこと間違いなし。食欲と理性の間で悶え苦しみたくないのなら、読むタイミングには十分ご注意を。思わぬ飯テロに遭ってしまっても、それは多分著者の責任ではない。

文=遠野莉子