開会のあいさつをする城西大学の水田宗子理事長。

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 城西大学(埼玉県坂戸市ほか)の国際現代詩センターは9月16日、シンポジウム「俳句と現代詩のあいだ」を同大東京紀尾井町キャンパスで開催した。ドイツ語と日本語で作品を発表している芥川賞作家の多和田葉子氏による特別講演「だぶる文字、かさなる声」に続き、第一線で活躍している俳人や詩人ら4人が、「俳句と現代詩のあいだ」をテーマに発言した。

 日本の詩歌の伝統を持ちながら現代の詩表現として発展してきた「俳句」と、20世紀の新たな表現として世界的に詩表現の主流となった「現代詩」。この2つのジャンルの間に広がる表現の空間について語り合うことを目的にしたシンポジウム。初めに城西大学の水田宗子(みずた・のりこ)理事長は、アメリカ暮らしが長かった自身の経験の中でも俳句が小中学校で教えられていたことなどを挙げ、「俳句が西洋の詩に与えてきた影響や、俳句と現代詩のあいだにどのような空間があり、広がっていくのかということに向き合ってみたいと思う」と話した。

 特別講演で多和田氏は、初めに「俳句と現代詩がテーマだが、私は俳句を書いたことがないので、“川柳もどき”をまず朗読したい」と話し、「恋人を 持てない自動詞 持てる他動詞」、「国文法 酷な文法 お国のために」、「ニジマスは ですますよりも イキがいい」など、言葉遊びに満ちた川柳を、書いた紙を読むごとに自分の前方にヒラヒラと投げるスタイルで披露した。

 そして、ドイツ系ユダヤ人の詩人、パウル・ツェラン(1920〜1970)の詩を例に挙げ、「多言語詩人」という存在について解説。現在はウクライナ、当時はルーマニアに属していたブコビナ地方の町・チェルニウツィーに生まれたツェランは、両親がナチスの強制収容所で命を奪われている。多和田氏は、ツェランの詩集『誰でもないものの薔薇 』の中の詩の1つに出てくる「Neige」という言葉に注目。ドイツ語では「傾いた線」、「ワインの残り」といった意味で使われる特殊な単語だが、その後にドイツ語で雪の意の「Schnee」という単語が出てくることから、「Neige」はフランス語で雪を意味する「neige」ではないかと気づくことができると指摘。さらに、「Neige」の「ge」を取ると、英語で「いななき」を表す「ナイ(neigh)」と発音することができ、この詩の後半に出てくるドイツ語の「いななき(Gewieher)」と一致すると解説。「アルファベットというのは、発音されない限り何語であるか分からず多義性が保たれているが、声に出した途端に1つのナショナルランゲージに定義されてしまうということがあるのではないか」と述べた。このようにツェランの詩はドイツ語で書かれながら複数の言語が隠れている形になっているが、ツェラン自身は「多言語詩人」と言われていることを非常に嫌っていたという。その背景として、当時の評論家たちの中には、「2つの言語を同じように近しく感じている“多言語詩人”は“真の詩人”ではない」と考える強い偏見があったことや、ドイツ国外に住む人が使うドイツ語は、ドイツ国内に住んでいる人からはゆがんだ過激なものとして警戒されたこと、ツェランのユダヤ人としての迫害の経験などを挙げ、「ツェランには、ドイツ語文化から締め出されるということは死ぬということだという強い恐怖感があった」と解説した。

 後半のシンポジウムには、高橋睦郎(詩人・歌人・俳人)、高野ムツオ(俳人)、神野紗希(俳人)、田原(詩人・翻訳者)の4氏が登壇。高橋氏は、日本の文学詩の歴史は歌の歴史であるとし、あえて単純に表現すれば長いものが短くなっていく歴史だと表現。「日本の詩歌のもっとも進化したものが俳句であるはずだ」などと述べた。高野氏は、俳人の高齢化などから俳句の未来に不安を感じているとしたうえで、ゆっくりと時間をかけてこそ味わえる俳句の魅力や、限られた文字の中で言葉がぶつかるおもしろさなどを挙げた。神野氏は、俳句と現代詩が与え合ってきた影響などをわかりやすく解説し、「最近の現代詩の音楽的な部分に、俳人として刺激を受けている」などと話した。中国河南省出身の田原氏は、俳句の翻訳の難しさに触れるとともに、俳句はどの国の人も自由に書けるとして、「中国語の閉鎖性に対して日本語はあらゆる言語を話す人にオープンだ」と話した。

 4氏の発言を受け、多和田氏は、「『俳句と現代詩のあいだ』というタイトルを見た時に、なぜ『あいだ』が平仮名なのかと思ったが、皆さんのお話を聞いていて『俳句と現代詩の愛だ』なのだと思った」と述べ、終始ユーモアにあふれた語りで参加者を魅了していた。