(明慧ネット)

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 米月刊誌『The Atlantic』 ネット版に「Choosing My Religion」というコラムがある。改宗にまつわる体験談や考え方を読者同士がシェアするこのコラムに、ある生物学者からの体験談が寄せられた。彼は自身の難病を通じて法輪功に巡り合い、精神的な救済を得ることができたという経験を語っている。以下はその抄訳。

 私はカトリック教徒として育ちました。ですがそれ自体に大した意味はありません。私は教会で数々の偽善を見てきましたから、10代のころは生意気にも不可知論者(たとえ神が存在したとしても、その存在や性質を認識することはできないという考え)を公言していました。そして、宗教とは、支配者が大衆を征服するための手段にすぎないと思い始めていました。

 世界を知るためには、科学だけで十分だと思っていたのです。一時、道家の太極拳をかじったこともありましたが、それは単にリラックスすることだけが目的でした。

 私は生物学者となり、生態や進化、保護の分野の研究をするようになりました。夢は教授になることで、全て順風満帆でした。潤沢な研究資金も得ることができ、学術分野で良好な提携関係も築き上げ、理想的なフィールドワークの場所も見つけました。私が本当に興味を持っているのは、非ダーウィン進化仮説です。博士課程の研究のため、私はマダガスカルでフィールドワークを行い、異なるキツネザル間の優性交配について研究を重ねていました。

 しかし帰国後、私は体力の減衰と気分の落ち込みを感じるようになり、しばらくすると細かい作業をする身体能力が徐々に衰えていきました。過労がたたったのだろうと思いましたが、睡眠を取っても回復せず、ある日道路を渡ろうとしたときに、両足の力が入らなくなって、道路に倒れそうになってしまったのです。

 大学病院で診察を受けたところ、ギランバレー症候群と診断されました。これは免疫システムが自身の末梢神経システムを攻撃するという非常にまれな神経疾患で、治療法は確立されていません。さらに寄生虫感染と、伝染性単核球症も見つかりました。つまり、私の身体はボロボロだったということです。

 それからの半年間は、苦悩と絶望の連続でした。身体の自由がだんだんときかなくなってゆくなか、学術提携の話は消え、講義もままならず、恋愛関係も暗礁に乗り上げ、私は自分の将来が粉々に打ち砕かれていくのを黙って見ているしかありませんでした。さまざまな代替医療も試してみましたが、どれも効果はありませんでした。

 ある日のこと、学園都市の喫茶店で、古い知り合いに出くわしました。彼は東洋の精神修行の教えをくまなく探求してきた人物で、「このおかげで長年患っていた慢性疲労症候群から回復することができたんだ」と言いながら、私に1枚のDVDをくれました。

 このDVDを初めて見た時のことは、一生忘れられないでしょう。これは法輪功、もしくは法輪大法と呼ばれる功法を紹介するもので、佛法原理に基づく中国式ヨガとも言えるものでした。

 私はゆっくりとした功法の動作を真似てみました。30分後、病気を発症してから初めて、身体が回復するような感じを覚えました。この感覚を説明することは難しいのですが、私の心と体、そして思考が、歌を歌いだしたようだったと言えるでしょうか。

 それで私は、法輪大法の入門書を読むことにしました。当初、中国の気功に関する専門用語や民間に伝わる伝統について、すぐに理解することは難しかったのですが、この功法を学ぶようになって、自分が一日一日と良くなっているのを実感するようになりました。そしてある日のこと、私の深部反射が回復していることに気づいたのです(深部反射の喪失は、ギランバレー症候群の症状の一つ)。

 数カ月後、私は神経科の医師を尋ね検査を受けました。「おめでとうございます。完全に回復していますよ。あなたがなぜ回復したのか説明できませんが、これまでやってこられたことを、今後も続けてください」この言葉は、今も脳裏に深く刻み込まれています。

 法輪功の修煉で、興味深い「副作用」も現れました。

 私には喫煙習慣があったのですが、修煉を初めて一週間たったころ、タバコの味を不味く感じるようになりました。しばらくすると今度は、お酒の味を不快に思うようになりました。このような状態については、『転法輪』(法輪大法の主要書籍)に全て記載されています。

 またある日の夜、座禅を組んでいると、私のこれまでの人生全てがまるで映画のように私の脳裏に浮かびあがりました。幼少時からの人生で起こった様々な出来事を、細部に至るまで見ることができたのです。本当に映画を見ているようだと思いましたが、映画と違って場面の移り変わりが非常に早く、ほんの数分間で、私は人生で起きたたくさんの出来事を見終えてしまいました。

 ただ、私が見たのは確かに私の人生に違いないのですが、ところどころ自分の記憶と食い違うところがあったのです。それを不思議に感じましたが、そのあと突然気づいたのです。これは私の母親が見ていた私の人生なのだということに。これは私にとって、とても大きな衝撃でした。それから、何時間も泣き続けました。

 私と母との関係は、少し複雑なものでした。互いに相手のことを思いやってはいましたが、落ち着いた穏やかな気持ちで、同じ部屋に15分以上いることはできませんでした。ですが、今回の経験で、私は初めて母を本当に理解することができたのです。母の苦しみ、母の本心を。

 私にはもう、母との関係を修復するすべも分かっていました。実家に帰ると、すぐにそれを試みました。もちろん、完ぺきとは言えません。ですが母との関係は一変しました。愛と尊敬に満ち溢れているのです。

 この時私は、大切なことを学びました。法輪功の教えで、修練とは絶え間なく執着心を捨て去る過程であり、より広く、より深く、より寛容で慈悲深い心と視点をもって世界を認識してゆく道程であることを知りました。

 はじめに、私の身体は健康を取り戻しました。そして今、私は自分の思考や行動を変えることができるようになりました。自分にそんなことができるなんて、これまで考えたこともなかったのです。それで私は、法輪功の修練を続けることに決心した。

 組織的な宗教団体で私が遭遇したあまたの問題が、法輪功に全く見当たらないのは、特筆すべきことです。お布施は禁止されています(これは、わずかにある戒律の1つです)。ランク付けもありません。ただ、修練の原則に従って自分の進歩を判断するだけであって、誰かと比較したり、誰かを模範とするわけではないのです。

 法輪大法の学習を通じて、私は自分が日々誠実で、善良な、寛容の心を持った人間に変化しているのが分かります(真・善・忍は法輪功の大原則です)。

 私が法輪功を学ぶようになったきっかけは、自分の健康が奇跡的に回復したことですが、その過程でもっと意味深い大切なもの、つまり精神世界の修復を見つけました。ある意味、これはまさに救済なのです。

(翻訳編集・島津彰浩)