女性ライターのDana Michは、米ヴァージニア州で夫と愛犬と共に暮らしている。そんなDanaは、9ヶ月前に父親を亡くした。ここで紹介するのは「Washington Post」に掲載された、そんな彼女のエッセイだ。

父の葬儀で何を話そうか
ずっと悩んでいたの

9ヶ月前、私は悩んでいた。父の葬儀で、遺族の代表としてみんなに話をしなければならなかったからだ。生前、父がどんな人だったか。どんな風に人生を生きたか。簡単なことのように思えるかもしれないけれど、私にはどうしたらいいのかわからなかった。長い間、その日が来るのを恐れてさえいた。理由はひとつだ。

父は、自殺だった。

「to be, or not to be.」
(生きるべきか、死すべきか)

考えに考えた末、私は自分が父から学んだ2つのことを話すことにした。

「不安は未来から来る」、そして「憂鬱は過去から来る」ということ。

父はこの2つのことに苦しんでいた。どうしようもなくやってくる未来に、変えられない過去への後悔に。父はいつも、未来と過去を生きていた。本当に生きるべきは、現在だったのに。

でも、そうなってしまっているのは父だけじゃない。私たちの多くは、未来と過去に心を砕かれている。それはまるで、シェイクスピアのジレンマみたいだ。「To be, or not to be.(生きるべきか、死すべきか、それが問題だ)」。

私はたくさんの知人たちに見つめられ、埋葬されていく父を見送りながら、そんな話をした。話をしながら、いま、ここにいて、本当に良かったと思った。みんなと時間を過ごせて、本当に良かった、と。

「 just "be"」
(いま、ここにいる)

それ以来、私は「to be(いま、ここにいる)」ということについて、よく考える。be動詞なんて、数ある英単語の中でも一番カンタンなものなのに、それがどんな意味なのか捉えることはとても難しい。

「be」には、現在の状態を示す役割がある。この後に単語を続けることで、頭がいいとか、健康とか、努力しているとか、イケメンだとか、スポーツ万能だとか…。

でも現代社会では、みんなこういう“何か”になろうとしすぎていて、「just “be”(ただここにいる)」 ということが難しくなっている気がするの。

何かでありたい、そう思い過ぎると「to be(いま、ここにいる)」ということが難しくなって、未来と過去に囚われて、最後には「not to be(どこにもいない)」にたどり着いてしまう。

そう、私の父のように。

いつだって立つべきなのは
「いま、ここ」

それから私は、瞑想をするようになった。深呼吸をして心を落ち着かせると、自分が「just “be”(ただここにいる)」ということを感じられる。今は特別に不安に思うことも後悔することもないけれど、きっとこの先の人生を過ごしていく中で、いろいろな困難が待ち受けていることを私は知っている。そのときは、何度でも基本に立ち返るしかない。

「not to be(死すべき)」ではなく、「to be(生きるべき)」であること。「just “be”(ただここにいる)」ために。

きっとそれが、残された私たちに導き出せる、たったひとつの答えなの。

Top Photo by Cory Borgman
Licensed material used with permission by Dana Mich,(blog),(Twitter),(Instagram)