『障害者のリアル×東大生のリアル』(「障害者のリアルに迫る」東大ゼミ:著、野澤和弘:編/ぶどう社)

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 先月放送された日本テレビ系列『24時間テレビ〜愛は地球を救う〜』の裏番組としてNHKが放送した『バリバラ』。「バリバラ」では、マスコミが障害者を視聴者の感動をかきたてる素材として扱うことを「感動ポルノ」という言葉で批判。パラリンピックでの選手たちの活躍は、障害の有無関係なく、純粋に感動させられるものだが、ふと、「バリバラ」の放送を思い出しては、障害者と健常者の関係に関して考えずにはいられない。

 どうして私たちは障害者を、どこか遠い存在のように捉えてしまうのだろう。それは東京大学の大部分の学生にとっても同じことらしい。東大生の間では、アフリカの貧困や中東の紛争を考えることには熱心なのに、国内の障害者のことを考える人は、少数。「福祉は自分たちが関わる分野ではない」といった意識もあるのかもしれない。そんな現状を目にした学生たちが「東大で障害者問題をメジャーにしたい」という思いで立ち上げたのが、自由研究ゼミナール「障害者のリアルに迫る」。担当非常勤講師、毎日新聞社論説委員・野沢和弘編著『障害者のリアル×東大生のリアル』(ぶどう社)のなかでは、学生たちが自身の言葉で、障害者たちのリアルな姿と、自身の心の変化に触れている。

 このゼミでは、毎回、障害者本人や障害者問題に関わる人をゲスト講師として招聘、後半には講師と学生が本音でディスカッションを行っている。

「死のうと思ったことはないですか」
「症状が進行する間何度も自殺しようと思いました。けれど気づいたら自殺をすることもできない身体になっていました。まさに手遅れというやつですね」

 学生とそんな討論を重ねたのは、ALS(筋萎縮性側索硬化症)を患う岡部宏生さん。元々は会社の社長で、自分にも他人にも厳しく周りに頼られる敏腕の会社社長だった。脳や末梢神経からの命令を筋肉に伝える運動ニューロンが侵される ALSは、日々岡部さんの身体の自由を奪っていく。だが、病気で失われるのは身体の動きだけで、脳の動きは何も変わらない。変わらないどころか身体が動かない分、脳が爆発しそうになるほど活発になる場合すらある。

 ALS患者に最終的に残される唯一の身体的自由は「まばたき」。岡部さんは介護者に助けてもらいながら、「まばたき」で一文字ずつ紡いで文章を完成させていく。簡単なことを伝えるのにも時間がかかってしまうので、授業といっても彼が東大生たちに投げかけることばの量は限られている。普段の生活も介護士4人がかりで介助されている。

 岡崎拓実さんは、岡部さんの話を聞いた時、不謹慎ながら「なんのために生きているんだ?」と思ったという。だが、岡部さんに「もし、今、ALSを治して元の身体に戻ることが可能だとしたら、戻りますか」と質問した時、岡部さんは「絶対に戻りません。戻りたくありません」と答えた。

「ALSになって、最初は絶望と葛藤しかありませんでした。けれど今はALSにならなかったらできなかったことをやっています。いろんなところにいってこの病気のことを知ってもらう生きがいがあるのです」

 岡部さんと討論をするなかで岡崎さんは岡部さんを「かわいそうで憐れだ」と見下し、優越感を得ていた自分に気づかされたという。だが、岡部さんの方がより毎日を全力で生き、幸せを感じていたという事実に気づくと、恥ずかしくなった。

 また佐藤万理さんは、岡部さんのこんな言葉が心に残ったという。「楽しいことは何もないんですよ。だから、私は楽しく暮らそうというテーマでは話せない」。つい障害者は苦労して生きているのだから、きっと心の拠り所となるような楽しいことを見出しているはずだと考えてしまう。そうでなくては、生きている意味はないのではないかと。だが、私たちは障害者たちに、何かを託しすぎなのかもしれない。

「どういう支援をされたら嬉しいですか」「それは、それをしてくれる人が好きか嫌いか次第だよね。好きな人だったら何をしてもらっても嬉しいよ」。他のゲスト講師たちも学生に偽りない姿をさらけ出す。障害を持っている人は健気で聖人。支援を受ける側は、何でも支援をありがたがっている。そんな幻想をゲスト講師たちは簡単に打ちくだいていていく。

 彼らは障害者たちに対して無意識に偏見を抱えていた自分に気づき、障害者とどういう関係を築いていけばよいのか、葛藤し続ける。その真摯な姿勢は、答えや正解を探し続ける優等生そのもの。障害者、としてではなく、一人の個人として相手と向き合うべきなのだろう。東大生が自らの抱えていた偏見に気づき、これから先の答えを探し続けているように、私たちも、自分たちの心で障害者の今を感じ、自らの偏見に気づき、そして、彼らのように、答えを探し続けねばならない。

文=アサトーミナミ