パートやアルバイトというような非正規雇用が増え続けている現代。いわゆるフリーターと呼ばれているアルバイトやパート以外に、女性に多いのが派遣社員という働き方。「派遣社員」とは、派遣会社が雇用主となり、派遣先に就業に行く契約となり派遣先となる職種や業種もバラバラです。そのため、思ってもいないトラブルも起きがち。

自ら望んで正社員ではなく、非正規雇用を選んでいる場合もありますが、だいたいは正社員の職に就けなかったため仕方なくというケース。しかし、派遣社員のままずるずると30代、40代を迎えている女性も少なくありません。

出られるようで、出られない派遣スパイラル。派遣から正社員へとステップアップできずに、ずるずると職場を渡り歩いている「Tightrope walking(綱渡り)」ならぬ「Tightrope working」と言える派遣女子たち。「どうして正社員になれないのか」「派遣社員を選んでいるのか」を、彼女たちの証言から検証していこうと思います。

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今回は、都内で派遣社員として働いている長野恵さん(仮名・28歳)にお話を伺いました。恵さんのSNSのプロフィール名は、「ナレーターメグミ」。銀座のカフェでお茶をしたり、有志が開催している朝食ビュッフェ会に参加したりと、非常にアクティブな印象を受けます。小柄ながら、ぴったり目の半袖のニットに白いパンツを合わせた着こなしは、少し前の清純派女子アナといった雰囲気。

しかし、話し出すとややかすれたハスキーな地声の声質を隠すためのわざとらしい発声や、やたらと会話の中で「一期一会」「今を大事に生きています」という言葉が飛び出し、少々うさん臭く感じられます。

「靴は凄く気を使っているんです。よく歩くので。あと足のサイズが22.5cmと小さいので、シンデレラサイズっていうんですか? 合うサイズが少ないんですよ」

自称靴好きという恵さんのSNSには自慢の靴を並べた画像がアップされていて、ダイアナやプールサイドのような駅ナカドメスティックブランドの靴が主流です。SNSの印象では“キラキラ女子”という言葉が似あう恵さんに、今回は、どうして派遣で働いていたのかを聞いてみました。

「大学までエスカレーター式の女子高に通っていたんで、地元に残ればそのまま大学に進学できたんですよ。でもどうしても叶えたい夢があって上京してきました」

恵さんの子供の頃からの夢というのは、女性アナウンサー。

「大学は、あまり有名なところではなかったのですが、浪人は許してもらえなかったので。ダブルスクールで、テレビ局がやっているアナウンサースクールに通っていました」

寝る間もないくらい忙しい学生生活だったと言います。

「大学時代は、学祭の実行委員会に入って運営をやったり。オープンキャンパスの企画で司会をして校内誌に載ったりと、凄く楽しかったですね。ミスコンはない学校だったのですが、周りが“メグミが出れば優勝だよ”って言ってくれたり」

あまりに課外活動が忙しく、大学の成績の方はよくなかったとか。

「アナウンススクールに通っている時は、知り合いとかもできてコネも多少。結構、いいところ行くと思ったんですけどね」

女子アナを目指した就職活動は、キー局から地方局、ケーブルテレビなど募集があるところはすべてエントリーした結果、どこも手ごたえなく終わったのです。

「母親から、実家に戻って来いって言われて。やむ得なく、コネで複合ビルの受付の仕事を始めました」

女性アナウンサーとして華々しい社会人生活をスタートさせる予定が、現実は違いました。

「受付の仕事は、時間給の契約社員みたいなので、厚生年金や保険にも加入していたので手取りから色々、引かれました。しかたないので、夜は○○(大手ビールメーカー)のビアホールでバイトしていました」

さらに、不運が彼女を襲います。

「声を使った仕事がしたいっていうのが諦めきれなくて。悩んでいるうちに、受付業務をすべて派遣社員に切り替えると言われて、一旦、契約が終了しました」

このことがきっかけで、派遣会社を検討するようになったと言います。

「学歴も職歴も中途半端だったのですが、とりあえず派遣に登録して。受付業務だったら経験があったので、また受付業務で仕事を探しました」

夢をあきらめきれない恵さんは、派遣社員として職探しを続けます。

「念願だったテレビ局に派遣が決まったんですよ」

女子アナの夢をあきらめきれなかった恵さんが、テレビ局で取った行動とは?

受付業務は、ルーティン業務で楽だったと言う恵さん。しかし、年齢のせいか最近は受付業務の紹介がされなくなったとか。

その2に続きます