煌(きら)びやかなシンガポールの街並みを縫うように走る「マリーナベイ市街地サーキット」には、ストレートと呼べるような場所はほとんどない。常に要求されるステアリング操作と、コンクリートウォールに囲まれた狭くて曲がりくねったレイアウト、そして夜になっても肌にまとわりつくような暑さと湿度――。シンガポールGPはシーズンでもっともタフなレースだと、F1ドライバーたちは声を揃える。

 そんなサーキットだからこそ、マクラーレン・ホンダにはチャンスがある。夏休み明けのベルギー、イタリアの高速連戦では苦戦を強いられたが、全開率の低いシンガポールではパワーユニットの非力さが足枷(あしかせ)にならないからだ。少なくとも、そう思われていた。

 だが、金曜日に走り始めてみると、ホンダのドライバーたちの表情は曇った。

「まったくグリップ感がないんだ。アンダーステアとかオーバーステアという問題ではなく、全体的にグリップがプアなんだ。正直言って、ここに来る前の期待値が高すぎたと思う」(フェルナンド・アロンソ)

「ライバルになるだろうと思われるチームと比べると、僕らは全体的にものすごくグリップが低くて苦しんでいる。僕らがベストを引き出し切れていないのも事実だけど、思っていたよりもずっと厳しい週末になりそうだ」(ジェンソン・バトン)

 土曜になってもその症状は変わらなかったが、予選ではラバーが乗った路面のグリップ向上に助けられてマシンのフィーリングがよくなり、アロンソがQ3進出を果たした。バトンもコンクリートウォールにこすって左リアタイヤを壊していなければ、Q3に進めていたかもしれない。

「同じサーキットだとは信じられないほど、グリップレベルがさっきとは全然違うよ!」(アロンソ)

 しかし、1年落ちのパワーユニットを積むトロロッソ勢に完敗してしまったのは、明らかにマシンの性能不足を表していた。

 ホンダの長谷川祐介F1総責任者は語る。

「トロロッソ勢に前に行かれてしまったのは、ショックでした。ドライバーたちはFP-3(フリー走行3回目)までずっと不満を訴えていて、『予選になって、初めてクルマに満足した』って言っていましたからね。でも実は、セットアップはそんなに変えていないし、正直、何が理由でよくなったのかはよくわかっていないんです(苦笑)」

 決勝では、12番グリッドのバトンはスタート直後にニコ・ヒュルケンベルグ(フォースインディア)のクラッシュを避けようとして他車に追突し、フロントウイングやフロアに大きなダメージを負って最後尾まで後退した。大きくダウンフォースを失ったマシンで43周目まで粘り強く走ったものの、「僕のレースは1周目で終わったようなものだった」という状況で、最後はダメージに起因するブレーキ不調でリタイアを余儀なくされた。

 一方、9番グリッドのアロンソは好スタートで5位までジャンプアップ。トロロッソ勢とマックス・フェルスタッペン(レッドブル)を巧みに抑えながら、レースを進めていった。

 上位で何かが起きれば、表彰台もあり得るのではないか......と思ったというアロンソだが、その淡い期待は裏切られた。

「シンガポールで上位に何も起きないなんて初めてだ。信じられないね!」

 フェルスタッペンと最後尾から追い上げてきたフェラーリのセバスチャン・ベッテルは抑え切れず先行を許したが、3強チームの6台に次ぐ7位は守り切ってフィニッシュした。

「スタートで5位まで上がったから、一瞬、表彰台を期待したんだ。毎年荒れるシンガポールだから、もし前で何かが起こればってね。でも、今日は何も起きなかった。それよりも後ろからベッテルとフェルスタッペンがすごい速さで追いかけてきてしまった。僕らとしては、自分たちの手にあるものは出し切れたし、これが今日のレースでは最大限の結果だよ」

 予選後には落胆の表情を見せたホンダの長谷川総責任者も、この結果には満足の様子だった。

「全体的に見て危なげのないペースでしたし、実力で獲った7位だったと言えると思います。しかし、特にスタートでジャンプアップできたのが大きかったと思います。レースペースでいえばトロロッソを上回っていたと思いますけど、スタートで前に出ていなければ抜けなかったと思いますから」

 ただし、低速サーキットのシンガポールでMP4-31が期待したほどのパフォーマンスを発揮してくれなかったことも、また事実だった。予選の純粋な速さではトロロッソに負け、トップには2秒もの差をつけられてしまったのだ。同じく非力なパワーユニットを積むトロロッソとの差、そしてレッドブルとの1.5秒もの差は、そのまま車体の実力差を表していた。

 事前の期待値が高すぎたという初日からの印象は、最後まで変わらなかった。アロンソは言う。

「正直言って、このサーキットでの僕らは4番目に速いチームではなかった。それでも3強に次ぐ7位を獲得できたのは、戦略のおかげだよ」

 たしかにシンガポールは、パワーをあまり必要としないサーキットだ。しかし、それはマクラーレン・ホンダにとって「苦手ではない」ということでしかなく、必ずしも「得意である」ということではなかった。むしろ、空力優先でデザインされたマシンだけに、メカニカルグリップが重要になる低速コーナーは弱い。モナコで苦戦したように、シンガポールでもそれは変わらなかった。

 だからといって、MP4-31は高速コーナーが得意なわけでもない。最大ダウンフォース量ではトップチームほどの力はないのだ。シンガポールに1セットだけ持ち込まれた新型リアウイングも、金曜にテストされたのみで、実戦投入は見送られた。

 得意なのは、中速コーナーとハードブレーキングという極めて限られた分野のみ。スイートスポットの狭いマシンでは、優位に戦えるサーキットも限られてくる。シンガポールで3強チームに次ぐ7位を手にはしたが、厳しい現実を見せつけられたことも事実だった。その現実と向き合わなければならない。

 次のマレーシアGPでは、その翌週の日本GPに向けた"鈴鹿スペシャル"とも言うべき改良型パワーユニットを投入し、事前にグリッド降格ペナルティを消化しておきたいところだ。

 しかし、今の自分たちにそんな余裕があるのか? シンガポールで突きつけられた現実に、チームは自問自答の色を濃くしている。

「まだチーム側とも相談しているところですが、少なくともマレーシアに2台ともに投入するということは避けたいと思っています。今の我々は中団グループのなかでポジションを守ることはできても、一旦後方に下がってしまうと、そこから上がるだけの実力がありませんから、(ペナルティを受けて)後ろからスタートするというのは厳しいかなというのは、今日のレースを見ても明らかでしたからね。(2台とも最後尾スタートで)完全にレースを失うようなことにはしたくないというのが、今、チームと話し合っているところです」(長谷川総責任者)

 日本のファンとしては鈴鹿での快走を見たいところだが、チームの利益を考えれば、少しでもマシンのスイートスポットに近いマレーシアで上位でのレースをしたい。シンガポールで突きつけられた現実は、鈴鹿に向けた戦略にも影響を及ぼすことになったのだ。

米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki