1990年に発足というまだ歴史の浅い台湾プロ野球において、唯一、通算2000本安打を記録した「レジェンド」が日本でプレーしているのをご存じだろうか?

 その男の名は張泰山(チャン・タイシャン)。1996年に彗星のごとくデビューし、この年新人王に輝くと、台湾プロ野球20シーズンで3チームを渡り歩き、いずれのチームも優勝に導いた。個人タイトルも本塁打王3回、打点王4回、最多安打2回、MVP1回と、まさに「レジェンド」と呼ぶにふさわしい足跡を残している。

 また、これまで国際大会にも数多く出場し、長年にわたり台湾代表チームの「顔」でもあった。そんな張が、今シーズンを四国アイランドリーグplusの徳島インディゴソックスで過ごしている。その理由を「森林王子」(台湾でのニックネーム)に聞いてみた。

── 台湾リーグで輝かしい実績があり、国際舞台でも2度のオリンピックに加え、WBCでも主力打者として出場。そのあなたが、なにゆえに日本の独立リーグでのプレーを選んだのですか?

「じつは昨シーズンが終わった後、一度は引退したつもりだったんですよ。でも、今年6歳になる子どもが『パパのプレーが見たい』ってね(笑)。ようやく野球のことがわかってきた年齢で、自分のプレーを見せておかないと、彼の記憶に自分のユニフォーム姿が残らないのではと思ってね。それに、一度、台湾以外のリーグを経験したいと思いましたので。それで、かつての所属チーム(統一ライオンズ)の監督だった中島(輝士)先生が監督をしているこの徳島インディゴソックスの門を叩いたのです」

── とはいえ、実際、四国に来てみてどうでしたか? 張選手は国際大会で何度も日本にもいらしてますが、そのときに見た東京ドームなんかとは球場もまったく違うし、環境の違いに戸惑ったのでは?

「たしかに違いますね(笑)。もちろん環境は台湾の方がよかったです。でも、なにもかもが新しいことで面白いですよ。この四国アイランドリーグplusの選手は若いですが、みんな元気ですしね。かわいいですよ。夢のために頑張っている彼らの姿には感心させられます」

── 実際にプレーしてみて、日本の独立リーグのレベルはどうですか?

「台湾の二軍より少し劣るくらいでしょうか。台湾の野球はナショナルチームレベルで言うと、日本が10、韓国が8から9だとすると、5か6といったところです。でも、プロリーグは現在4チームしかない分、ファームにも一軍でプレーできるような選手がゴロゴロしているんですよ。みなさんが考えている以上に、二軍のレベルは高いですよ。そう考えると、このリーグで台湾でもプレーできるという野手はいないと思います。投手の方では、ウチで一番いいピッチャーは通用すると思います。それでも、台湾でも二軍レベルです」

── 彼らには何が足りないと思いましたか?

「技術的には十分なものを持っていますが、パワーが足りないですね。独立リーグという環境ではウエイトトレーニングの時間が取れていないのではないでしょうか。あとは、練習に対する姿勢。一生懸命やってはいますが、練習メニューの意図や目的をわかってやっている選手は少ないように思います」

── たしかに独立リーグの指導者の多くが、選手たちの精神面の未熟さを指摘しています。

「そうでしょう。私もチームのことを考えて自分なりに選手にアドバイスを送るのですが、なかなかその教えが浸透しません。たとえば、スイングについて問題点を指摘しても、自分なりの考えがあるのか、それをなかなか直さない。そのときは理解したようでも、次の日にはまた元に戻っている。私だけじゃなく、ほかの人もアドバイスしているはずなのですが、やはり素直に受け取れないんでしょうね。もちろん、この1シーズンですごくうまくなった選手もいます。そういう選手がNPBへ進んでいくんでしょうね」

── 張選手はこれまで多くの国際大会に出場し、日本チームとも多く対戦していると思います。日本の野球に対してはどういう印象をお持ちですか?

「とにかく勝利に向かって進む真摯な姿勢には感心します。それは独立リーグでも同じですね」

── 国際大会での思い出はありますか?

「じつは、あまり覚えてないんですよ。もう何度も国際大会に出ているので、数が多すぎて細かいことはすぐに出てこないですね。

 私が最初に国際大会に出場したのは、たしか1998年のIBAFワールドカップ(この年からプロの出場が解禁)だったと思います。その次の2001年のこの大会は地元台湾での開催で銅メダルを日本と争いました。このときは日本チームに、高橋由伸(現・巨人監督)や井口資仁(現・ロッテ)がいたらしいですが、それも覚えていないんですよ。その試合はなんとか勝って我々は銅メダルを獲得しました。

 高橋選手については、アテネ五輪のことをよく覚えていますね。あの試合(予選リーグ6日目)、我々は上原浩治(現・レッドソックス)投手から3点先制して7回までずっとリードを保っていたんですよ。そこで1点取られた後、高橋選手の2ランで同点に追いつかれ、延長戦でサヨナラ負けしたんです」

── そのアテネ五輪の出場をかけた札幌でのアジア選手権にも張選手は出場しています。当時アジアの出場枠は2枠。事実上、日本と韓国と台湾で争う状況でしたが、正直、2位以上に入ることができると思っていましたか?

「いいえ。相手は強豪の日本、韓国ですからね。ただ、その2つの国にはプレッシャーがあったと思います。我々は国際大会によく出る分、プレッシャーには慣れていましたし、追う立場なので気持ちは楽でしたね。それに各チームとの対戦は一発勝負。だから結果はどう転ぶかわかりません」

── あの大会では、初戦で2枠目を争うライバル、韓国にサヨナラ勝ちを収めて、アテネ行きを引き寄せました。日本に負けても、中国戦は白星を計算でき、韓国は中国戦をとっても、日本戦で絶対勝たねばならなくなりましたから。

「そうです。日本には大差で負けましたけど、中国戦はきちんととりましたね。最終の日韓戦は球場で観ていたんですが、日本が勝った瞬間、つまり我々がオリンピック出場を決めた瞬間はみんな泣いていました。銀メダルを獲った1992年のバルセロナ以来、久々の出場でしたから」

── そしてアテネ五輪。あの大会は強豪のアメリカや韓国が出場を逃し、台湾も十分にメダルを狙える位置にあったと思いますが、大会前、手応えはありましたか?

「いや、なかったです(笑)。でも、先ほど話したように、あの日本戦は勝てると思いましたよ。たしか追いつかれた7回の我々の攻撃でランナーを置いて外野に飛んだ強烈なライナーを好捕されたんですよ。あれが抜けていれば、銀メダルは獲れたかもしれませんね」

── あのアテネ五輪は私も足を運んだのですが、台湾のファンとチームの一体感をスタンドで感じることができました。オリンピックだけでなく、国際大会では台湾のファンと代表チームの「近さ」をいつも感じるのですが、そのファンの応援は励みになるのでしょうか。

「もちろんです。代表レベルでも、スタンドを見て、いつも応援してくれる熱心なファンの顔はわかりますよ。『あの人、また来てくれたよ』ってね。それは台湾の文化だと思います。台湾では選手とファンは友達みたいな感覚なのです」

── あれ以来、日本のプロ野球も国際大会に本格的に参加するようになりました。野球の国際化が進むなか、台湾はこの10年くらいはなかなか結果を出せていません。それについてはどうお考えですか。

「まあ、それが野球というものです(笑)。勝つときもあれば、負けるときもあります。幸い台湾のファンは熱しやすく冷めやすいのか、すぐに忘れてくれるんです(笑)。たしかにここ数年、台湾野球はうまくいっていませんが、決して下手になったわけではありません。つまり変わっていないということです。

 台湾では、選手は引退するとすぐに指導者になることが多いんです。たとえば韓国なら日本やアメリカでコーチ修行することが多い。日本もメジャー帰りの人がいますし、そういう人たちが新しい情報を持ち込んでくれる。日本や韓国は、年々プラスアルファがあるのに対して、台湾は野球の勉強をする機会に乏しいんです。そのあたりの違いがあるんじゃないでしょうか。

 あとは国際大会に対するスピード感がないですね。来年のWBCに向けて、日本はもう監督が決まっているでしょう。あと半年しかないのに、台湾はまだ監督も決まっていないんですよ」

── それは、張選手を待っているからではないのですか(笑)。来年以降はどうするんですか? 引き続き四国でプレーするんでしょうか?

「いや、それはないです。さっきも言ったように、子どもにプレーを見せたいと思いここで現役を続けることにし、今シーズンは家族と日本で過ごしましたが、彼もこの9月から(台湾の)小学校に通い始めました。だからシーズンが終われば台湾に帰ります。現役を続けることができれば、あと1シーズン続けたいですが、それは台湾でのことになるでしょう。

 それに、できたとしてもコーチ兼任でしょうね。いずれにせよ、来年がラストシーズンです。代表監督ですか? とてもとても、大先輩方がいらっしゃいますから。昨年のプレミア12では、日本でプレーしていた郭泰源(元・西武)さんが監督を務められましたが、まだまだそういう先輩方が代表監督を務めるでしょう。将来的にはそういうこともあればいいかなとは思いますが、これだけはできるかどうかわかりませんね」

 9月16日、四国アイランドリーグplusの今季最終戦が行なわれ、張泰山は公式戦最後の打席をレフトオーバーの二塁打で締めて、174打数41安打の.236、3本塁打の記録を残した。この後、彼は日本での最後の足跡を残すため、リーグチャンピオンシップに臨む。

阿佐智●文・写真 photo by Asa Satoshi