「日本人が海外で働く」と聞くと、駐在員や現地企業での就職などをイメージする人は多いはず。しかし実際には幅広い分野で日本人が働き、活躍しています。

この連載で紹介するのは「日本人であること」を武器に、英国ロンドンで生き生きと働く魅力的な女性たち。起業した人、お店や部門の立ち上げに参画した人などさまざまですが、日本人としての良さを生かしつつ、ローカルに根ざしたビジネスで働いています。「イギリスで生きていく」と決意し、地に足をつけてたくましく輝く女性たち。彼女たちがここに至るまでの道、これからの展望を伺いました!(連載4回)

ロンドン鮮魚店に‟日本食材部門"を作った ベルトン由香さん

セレブも多く住んでいることで知られる、ロンドン北部の高級住宅街プリムローズ・ヒル。この場所に本店をかまえるフランス人経営の鮮魚店「La Petite Poissonnerie(ラ・プティ・ポワソヌリー)」は、近隣住人だけでなくロンドンに住む日本人にはとても有名なお店です。なぜって? それはお刺身や調理済のお総菜など、おいしい日本の味が手ごろな値段で手に入る、ロンドンではとても貴重なお店だから。

この日本食材部門を切り盛りするのがベルトン由香さん。このお店で唯一の日本人スタッフです。働いて丸6年、日本で17年間鮮魚店で働いた経験をいかし、イギリスの鮮魚店で日本のお魚の食べ方を紹介。イギリスや欧州の産地直送の魚や食品と一緒に、日本人におなじみの珍味や惣菜を並べています。

日本のテレビにも紹介され、また毎日発信する自身のSNSが評判を呼び、ロンドンに住む日本人界隈でもすっかり有名になった由香さん。今や、彼女に会うためにお店に来てしまうお客さんもいるほど。ロンドンでお魚屋さんになるまでのいきさつを伺いました。

【ロンドンでのお仕事 曚店

―現在のお仕事について教えてください。

ロンドンにある鮮魚店「ラ・プティ・ポワソヌリー」に勤務しています。仕入れや陳列、鱗を取って3枚におろすなどの通常の魚屋さん作業ももちろんしていますが、主には店の階下にあるキッチンで日本食関係の仕込みや調理をしています。具体的には「刺身盛り」を作ったり、「味噌漬け」などの半調理品を仕込んだり、自家製珍味を中心としたお総菜を作ったりしています。

お刺身

―イギリスに来た理由は?

2008年12月にロンドンに暮らすアイルランド人の夫と結婚したからです。挙式は日本で行い、ビザの手続きを済ませた後2009年2月に夫が暮らすロンドンに来ました。

夫とは「メル友」だったんです。私がアイルランドに旅行に行ったときをきっかけにSNSで知り合いました。その後彼が日本に来てくれたり、私がロンドンに行ったりして交際を続け、結婚したんです。

ベルトン由香さん結婚式

【ロンドンにきて引きこもりに】

―ロンドンに来てすぐに鮮魚店で働きはじめたんですか?

いいえ、違うんです。ロンドンに来て1年間は専業主婦をしていたんですが…実は私、ロンドンに来て引きこもりになってしまったんです。当時英語はほぼ話せなかったのですが、夫が日本語を話せたのでロンドンに来ることには不安を感じていませんでした。ところがロンドンに来て翌日、夫が出勤して家にひとり残されたその瞬間から恐怖心がおそってきたんです。英語ができない、外国人だから狙われても何もできない、道を歩いている人は皆知らない人、土地勘もない…。怖さがわ〜っと押しよせてきて、まったく外に出られなくなってしまったんです。

心の中で「今やらなくてどうするの?」と励ましてくれる天使と「仕事なんてできる?」とささやく悪魔が葛藤していました

しばらくは引きこもっていましたが「それではいけない」と思い、3カ月たったころから勇気を出して少しずつ外に出る練習をしました。まずは近所を1ブロック分だけ散歩。その後、近所のスーパーへ。少しずつ距離を伸ばしていきましたが、疲れ切ってしまい寝込んでしまうことも。でも半年後にやっとロンドン中心部まで1人で行けるようになったんです。

渡英から7カ月ほどたったとき、「このままでいいのかな。働きたいのに」という気持ちがわいてきました。私は日本で17年間、奈良のスーパーの鮮魚コーナーで働いてきました。この経験をいかしたかった。でも英語が話せなかったので、心の中で「今やらなくてどうするの?」と励ましてくれる天使と「仕事なんてできる? 英語もできないのに」とささやく悪魔がいて、葛藤していました。

ベルトン由香さん勤務中

ひとまずはロンドンの魚屋さん事情を知ることからはじめようと思い、ネットで検索してみたら鮮魚店の求人を見つけたんです。「経験者求む。英語力は問わない」と書かれたその求人。悩んだ末に履歴書だけでも送ってみようと決意しました。主人に完璧な英語で履歴書を作ってもらいましたが、最後に「この履歴書は夫に手伝ってもらって作成しました。経歴に嘘偽りは一切ありませんが、この履歴書を自分で作成するだけの英語力は私にはありません」と書きそえました。

すると3日後にその鮮魚店から電話が来たんです! 日時を言っているのは聞き取れたので「面接かも?」と思い、行ってみました。そして「しばらくトライアル(使用期間)で働いてみる?」ということになり…それが今働いているお店です。いつからトライアルじゃなくなったのかも分からないまま(笑)、あの日から丸6年たちました。

ベルトン由香さん:オーナーと

―お刺身や日本風のお総菜で人気のお店になったきっかけは?

働きはじめたころ、このお店はごく普通の地元の鮮魚店で、お刺身も販売していませんでしたし日本人のお客さんもゼロでした。就職して1年が過ぎたころ、お店がニュースレターを発行することになり「私は日本語ができるんだから、日本人にも出してみよう」と思い立ちました。日本語版を作って友人たちに登録を呼びかけたんです。イギリスで美味しくお魚を食べるための豆知識的なものをまとめた内容でした。

また同時期に「私は魚屋としてこんなことができます」というのをオーナーに分かってほしいという気持ちもあり、イギリス人も好みそうな刺身や銀ダラの味噌漬けを作ってみたのですがこれが好評で。近隣住人にもよく売れ、日本人も少しずつ買いにきてくれるようになりました。

そこから少しずつ日本風の商品を増やしていったんです。オーナーには毎回「こんなものを出したい」とプレゼンはしますが、比較的自由にやらせてくれたんです。お刺身だけでなく、鯵や鯖のひらきやみりん漬け、季節の魚のかす漬けや塩漬けなどを手作りして常備し、また珍味を中心としたお総菜をパック詰めし、手ごろな値段で販売するようになりました。日本人は「こんなものがロンドンでも食べられるの!?」と喜んでくださり、イギリス人も少しずつ日本食に興味を持ってくれるようになっていったと感じました。

ベルトン由香さん:珍味

↑ちょっと笑える小ネタを添えて…twitterでもPR

日本食に火がつきはじめたのを感じ、美味しいものをもっと食べてほしいという思いも強くなり、オーナーに相談して日本のビールやお酒、お米、各種調味料、日本風の甘さ控えめのスイーツまで提供するようになりました。品数はいまもどんどん増えています。今や「魚屋」の域を超えた品揃えですね(笑)。

【SNSを駆使して、顧客を開拓】

―お客さんを開拓する上で、工夫していることは?

当店の平日のお客さんは9割ローカル(イギリス人、欧州人)の方ですが、土曜日は6割程度が日本人です。イギリスの魚屋は鱗を取ったりしてくれないところも多いのですが、当店はお客様のリクエストどおりの処理を何でもしています。香草焼きにしたいという方がいたら、ハーブと油でマリネして「後は焼くだけ」で提供することもありますよ。

日本人のお客様に対しては、「イギリスにいても美味しいお魚が手軽に気楽に食べられる」と思ってもらえる工夫をしています。日本人がイギリスに来ると、まずスーパーで扱う魚の種類の少なさにびっくりしています。どのお店にもいつもあるのは鮭、タラ、燻製の鯖ぐらい。その魚を!と思っても、魚の英語名が分からなかったり、「3枚におろしてください」と言えなかったりしてついついお店から足が遠のいてしまう。だからイギリスに来ると、お魚にうえてしまう日本人は多いと思います。

そんなお客様のために、ブログや<Twitter>などのSNSを使って在英邦人向けにお魚情報を発信し、魚の英語名や注文の仕方を教える講習会を開いています。私にとってSNSは強い味方です。「プリヒル(お店のあるプリムローズ・ヒルの略)姉さん」と自分をキャラ立てしギャグを交えて発信しているのですが、SNSが広がってお客様もどんどん増えているんです。

↑英語での魚の呼び名を面白く&分かりやすく紹介。

この木曜日、日本人男子若者グループ7名が来店、お刺身丼を注文してくれました。 ・ "持ち帰り"との事だったので姉さん着替えて支度する所でしたが、今回は丼の持ち帰りと言う事だったようなのでお刺身丼をせっせと作り始めました。 ・ 姉さんが作っている後ろでなにやら... 👦🏻「あれがブログ書いてる人かな?!ヒソヒソ🗣」 聞こえてきました。 姉さん心の中で.. ・ 🌚「あんなおバカなブログをオーナーの嫁が書くわけないでしょwwしかも日本語わからないしw」 とツッコんでいました。 若者グループと言う事もあり、イカのお刺身もプラスして姉さんSPにしてあげました。 ・ 姉さん🌚「みんなイカ好きですか⁇おまけ入れときますね。ウフっ」 若者👦🏻「好きっす‼️あざーーす!」 ・ このウェーイ系な若者のノリ好きだなあ。 よって皆様、ご注文の際(事前注文が嬉しいです。)にはTwitterやインスタグラムでフォローしてます。やブログ見てますとお声かけて頂ければ姉さんちょっとおまけしちゃうかも👌 ・ #マーブルアーチ#魚屋#ロンドン#イギリス#プリヒル姉さんは時に乙女になる

A photo posted by プリヒル姉さん (@primrose_hill_sakanaya) on

↑由香さんのSNSにアップされる日常が楽しそう。

【イギリスに暮らす日本人の味方になりたい】

―今後トライしていきたいことは?

イギリスで美味しい日本の魚文化を広めていきたいです。寿司や刺身だけじゃない、美味しい日本の味を知ってほしいと思っています。

そしてもう1つ、私はこの国に住む日本人の味方になりたいという気持ちが強いんです。学生さん、働いている方、駐在員のご家族、国際結婚で来英した方など、いろんな理由でイギリスに滞在していますが、きっと日本の味が恋しいはず。そういう方々が求める味を提供していきたいんです。

今私が特に力を入れているのは、お正月用の「おせち料理」や赤ちゃんが誕生した100日目に行われる「お食い初め」用の鯛(焼いたもの)、季節の節句用の料理など、日本の行事や儀式にちなんだ料理です。例えば小さなお子さんがいるご家族で、お宮参りや七五三をしたくても海外ではできない。でも食べ物の面だったら、私が提供することで日本の伝統の食文化を伝えることができるんです。この分野もSNSでどんどん告知し、「お節料理」は毎年大好評、「お食い初め」も多いときでは月に7〜8件もの注文が入るほどになりました。

ベルトン由香さん:お食い初め

それから「イギリスは美味しくない」と思っている方が多いんですが、イギリスのお魚、とっても美味しいんです! 日本人の方はお刺身があるだけですごく満足していただけるんですが、実は火を通しても美味しい魚がたくさんあるんです。そういったこともお店で直接お話したり、講座を開いたり、SNSを使って伝えていきたいと思っています。

イギリスに来て大変なこともいろいろありました。でもチャンスはどこに転がっているか分からないということも、ここにきて知りました。長年の日本での経験があったからこそ、今こうしてロンドンでも働くことができています。魚屋は私の天職です。日本で学んだことを武器にしつつ、イギリスで求められるものを臨機応変に考えながら、これからも美味しいものを提供していきたいです。

ベルトン由香さん:

1973年生まれ、愛知県出身。日本ではスーパーマーケットの鮮魚コーナーに17年間勤務し、魚についてのノウハウを叩き込まれる。結婚により2009年に渡英。2010年から鮮魚店「ラ・プティ・ポワソヌリー」(Primrose Hill本店、Marble Arch支店の2店舗あり)に勤務。

<由香さんブログ>

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※記事内の値段表記は1ポンド=135円で計算。

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