映画「シン・ゴジラ」より/TM&(C)TOHO CO., LTD.

写真拡大

興行収入80億円も視界に入ってきた「シン・ゴジラ」。500万人近い観客が本作に魅了される理由は、映像、展開、発見など、様々のようだ。今回は自身も特撮作品の制作にかかわるプロの目を通して本作の凄さに迫る!

【写真を見る】映画「シン・ゴジラ」より/TM&(C)TOHO CO., LTD.

■ いかなる作品にも一言申す特撮ファンさえ言葉を失くす衝撃

筆者は「パシフィック・リム」にノれなかった特撮ファンである。「ラストバトルが海底ってなんだよ!ロボが全然巨大に見えないよ!」とか「ガリアンソード、短けぇよ!」などの不満が募り、両手放しでノれなかったのである。その後、ギャレス・エドワーズ監督版「ゴジラ」も大期待して観たのだが、やはりノれなかった。「違う!放射能火炎の束が細い!」とか。いや両作品とも、概ね絶賛の部類に入るンですよ?でも!それでも!(バナージ風に)本当に細かく不満が残るんです、特撮ファンって生き物は!そして「なかなかイイけどオレならこう撮るね!」とか言っちゃう。いるでしょ?(笑)。

そんな想いを繰り返したので「庵野ゴジラ」にかなり消極的な姿勢で「伊福部はかかるのだろうか?」とか「放射能火炎はビームみたいにアレンジされちゃうのかなぁ」とか不安を抱きつつ観に行った。

だが、鑑賞後は「なんか凄いモノを観たぞ」という衝撃で椅子から立てなかった。初代ゴジラを筆頭に他ジャンルへのリスペクトあり、特撮シーンなんてわずかなんじゃないの?と公開前に思われた会議シーンもテンポよく、多くを語らないことで観るモノの想像力をかき立てる演出にも感服せざるを得なかった。「パシリム」や「ギャレゴジ」のモヤモヤをスカっと吹っ飛ばしてくれた事に大喝采である。ネット上でも絶賛の嵐であり、今更「あのシーンにはオマージュが…」とか「放射能火炎は旧作と庵野監督お得意のビームの両方を取り込んだ!」とか「恋愛要素がないからこそイイ!」とか語らずともよかろう。特撮ファンとして、そして曲がりなりにも映像に関わる者として本作の見どころを探ってみたい。

■ 現実への映像アプローチと「巨大不明生物」なる畏怖の存在

まず映像全体のカラーグレーディングが素晴らしい。カラーグレーディングとは最終的な仕上げによる色彩調整のことであるが、本作品はハリウッド大作映画のような派手で彩度の高い、ハイコントラストな映像に馴れた目には非常に地味に映る。しかしこれこそが庵野監督の意図する「巨大生物が現実に現れたら?」という大きなウソを極力リアルに描こうとしている大きな仕掛けの一つだと思われる。そこに白黒映画であった「初代ゴジラ」への憧憬があるかどうかはわからないが、この繊細なカラーグレーディングは紛れもなく日本に住む我々が何度となく見た日本の曇り空であり、少しコントラストの浅い町並みの雰囲気も非常に現実的だ。

特撮にありがちな「あ、これ作ってあるモノだからぶっ壊れるぞ」というオタク的な予言もできないほど精巧なミニチュアだったりCGモデリングが、このカラーコーディネイトによって素晴らしく“活きて”くる。筆者の実家は第三形態ゴジラが立ち止まった御殿山の目の前なのだが、少年時代からあの近辺は慣れ親しんだ遊び場であり、品川車庫のあるマンションへもよく遊びに行っていた。ゴジラが品川付近を蹂躙しているシーンではその品川車庫マンションが写り、「おお!懐かしい!ここで撮影したんだ!」と思った瞬間、そのマンションがぶっ壊されるのが個人的に衝撃だった。よく知る建物だからミニチュアになっていれば何らかの違和感を感じるはずなのに「実景」だと勘違いしたのである。もうひとつ勘違いしたのは瓦屋根が崩れ落ちるカット。普通にミニチュアで瓦屋根を作ると、どれだけ細かく作ろうが、崩壊する時にどうしても“軽く”なってしまいがち。「空の大怪獣ラドン」などではそれを逆手にとってパラパラと瓦が飛ぶことでラドンの風圧の凄さを表現したが、「シン・ゴジラ」の瓦屋根は「ゴジラの歩く衝撃でズルズルと崩れ落ちる」のである。災害時の映像などで誰しもが瓦屋根が崩れ落ちるカットは見たことがあるだろう。それだけにミニチュアだと滑り落ち方に軽さが出てしまい「所詮作り物」という邪念が入ってしまうのだが、この映画にはそういった邪念の入る余地がない。

このような現実への映像アプローチの積み重ねが、現実にある物だけで非現実の巨大生物と戦うクライマックスに大きな効果をもたらした。終盤では前半と少々持ち味を変えて、晴天でハイコントラストである。新幹線が爆弾を積んで突撃するなどの荒唐無稽なシーンが続くが、映像は若干モヤがかり、リアルであることと同時に、凝固剤が完成するかどうか待機中の矢口蘭堂が見た“ファンタジックな夢”にも受け取れる。あんなに全てが上手く行くわけないじゃん!(笑)

このクライマックスで筆者が思い出したのは81年に「もんもんドラエティ」というバラエティ番組内で映画監督・手塚眞が発表した「怪獣の出てきた日」という8ミリ映画だ。世間から馬鹿にされ続ける怪獣青年の思いが通じて東京に大怪獣が現れる物語である。クライマックスでは青年を見下していた人々を怪獣が襲い、町を破壊するシーンに大戦争マーチがかかる。ラストは怪獣青年と怪獣が見つめ合い、心が通ったように見えたのもつかの間、青年は無慈悲にも踏み殺されるブラックなオチ。模は違えど「シン・ゴジラ」以前のゴジラに対して、親しみを感じていた筆者のような特撮オタクは、怪獣を再び畏怖の存在として描いた庵野監督の「巨大不明生物」によって踏みつぶされたのだ。

「シン・ゴジラ」は日本ならではの現実世界に、緻密なテクニックをこれでもかというほど積み重ね、観る者に衝撃を与えた。その“衝撃”はまさに「巨大不明生物」に初めて出会った衝撃だったのである。

【文/キムラケイサク●戦隊やライダーのCGを作り、阿佐ヶ谷でおたくBARのマスターとして毎日店に出て、アニソン研究家としてFMラジオで毎週生放送。いよいよ職業がわからなくなってきた47歳】