国枝慎吾(ユニクロ)のリオパラリンピックが終わった。銅メダルを首にかけた国枝は、静かにこう語った。

「この銅メダルで、報われた」

 パラリンピック2連覇中の車いすテニス界の顔と言える国枝。だが、今季は右ひじのケガの影響でランキングを落とした。リオではシングルスの第6シード。「チャレンジャー」として臨んだパラリンピックだった。ギリギリまで調整を重ね、何とか大会に間に合わせたが、ベスト8で力尽きた。

 大会前に自身も不安視していたのは、試合勘だった。今年に入って出場した大会数は、優勝したゴードン・リード(イギリス)が13、第1シードのステファン・ウデ(フランス)が15なのに対して、国枝はわずか5大会のみ。

「いろんなものの嗅覚が衰えていた」と丸山弘道コーチが危惧していたように、準々決勝のヨアキム・ジェラード(ベルギー)戦では、ショットのコースが単調になり、ボールコントロールが浅くなったところを強打で突かれるなど精彩を欠いた。格下相手だった2回戦、3回戦でも、振り切りの弱さに首をひねっていた。すぐに練習で修正を試みたが、最後まで感覚は戻らなかった。
 ちょうど1年前の9月、国枝は全米オープンで優勝し、自身5度目の年間グランドスラムを達成。ロンドンからの3年半は、今までにないくらい充実していた。それが、最後の半年で崩れてしまった。「去年にパラリンピックがあれば、と何度も思った」と、国枝は声を絞り出す。

 そんな国枝が、リオで最後にプライドをかけて戦った試合があった。男子ダブルスの3位決定戦だ。齋田悟司(シグマクシス)とペアを組み、日本の後輩、三木拓也(トヨタ自動車)・眞田卓(さなだ たかし/フリー)組と対戦した。

 三木・眞田組が強打で押してくるのに対し、国枝と齋田はロブを上げ、確実につなぐテニスを選択した。コートの横も後ろも広くとられたセンターコートでは、齋田の高い守備力がより生きるからだ。ただ、国枝も齋田も本来は攻撃的な選手。守りに徹するテニスは「やりたくないプレー」というところが本音である。だが、ここはパラリンピック。「内容よりも、勝つか負けるかを大事にした」

 その言葉通り、ラリーに持ち込み、ボールが高く跳ねるショットで相手のミスを誘った。ベテランペアの経験が光る、勝ちに徹した試合だった。

「試合内容としては、エキサイティングかどうかは疑問符がつきます。でも、それだけ勝ちたかった」と国枝。最後のブロンズメダルポイント。相手のショットがアウトになると、ガッツポーズと同時に国枝の目から一気に涙があふれ出た。齋田と肩を組むその手は震え、しばらくその場から動けなかった。

 テニスを始めたころから第一線で活躍していた齋田の背中を追いかけ、自分も日本を代表するプレーヤーになった。齋田と組むダブルスは、4大会目。最初のアテネ大会で金メダルを獲得し、北京大会では3位。ロンドンでは表彰台を逃した。それだけに、ふたりで手にした結果に「今回は格別です。アテネは12年前ですからね。そりゃあもう、本当にすごいことです」

 国枝は涙をぬぐい、すがすがしい表情でこう語った。

「シングルスが終わってからの2日間、手ぶらで帰るのか、そうじゃないかは大きな差だと、自分自身にプレッシャーをかけていました。ここでメダルを獲るか獲らないかで、今後が大きく違ってくる。きっと、この銅メダルが心の支えになると思います」

 国枝はテニス人生のゴールを4年後の東京に定めている。その気持ちは、リオで悔しさを経験してさらに強くなった。次の目標達成のために、「すぐに日常に戻りたい」と国枝。彼が言う"日常"とは、ツアーを指す。車いすテニスの選手も一般のテニス選手と同じように、世界ツアーを転戦している。

 前述のように、今シーズンは出場した試合が少なく、その結果も芳しくなかったため、世界ランキングは9位まで落ちている(9月16日現在)。上位8人のみのグランドスラムで再び戦うためには、ツアーで勝利し、ポイントをしっかり稼いでいきたいところだ。

「1年1年、勝負していきたい」

 そう言い切った国枝は銅メダルを胸に、東京に向けて新たな一歩を踏み出した。

荒木美晴●取材・文 text by Araki Miharu