天野篤(あまの・あつし) 順天堂大学順天堂医院 院長/1983年、日本大学医学部卒。亀田総合病院、新東京病院、順天堂大学心臓血管外科教授などを経て、2016年4月から現職

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 人の体の中でも、特に手術が難しい「心臓」。並外れた技術で、重症患者を次々救っているのが順天堂大学順天堂医院の天野篤院長(60)だ。これまでの手術数は7300例以上。天皇陛下のバイパス手術も担当した。週刊朝日MOOK「突然死を防ぐ 脳・心臓のいい病院」で、その極意を語っていただきました。

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 医師生活34年目を迎えた2016年春、順天堂医院の副院長から院長に就任した。しかし、変わらず外科医として手術台に立ち、1日最大3件の手術を行っている。

「周りからは、院長と心臓外科医を両立できるのかと聞かれます。でも両方100%の全力が大切です。200%の新たな人生です」

 天野医師はこれまで7000件以上の心臓手術を執刀。昨年も平日はほぼ毎日、計400件ほどの手術を行ったという。予定された手術なら成功率は99.5%と驚異的だ。これだけの数をこなしながら、意外にも疲労は蓄積されないという。

「手術はチーム医療です。自分自身が参加する時間は1例あたり長くても3〜4時間なので、それほど疲れることはありません」

 さらに、「執刀中はもっている五感を最大限生かすので、目から入ってきた情報が反射的に手に伝わって、自然と手が動きます。頭を使わないので、疲労は少ないです」。

 天野医師の場合、手術はだいたい8割5分は予想通りにいき、1割5分のことが起きると初めて頭が動きだすという。「この状況をどう切り抜ければいいのか」「進むべきか、他の道を探すべきか」蓄積されたエビデンスや自己の経験から、さまざまなシミュレーションが瞬時に繰り返される。さらに危ない状況になると、体にある変化が起こるという。

「まるで幽体離脱したように、手術台を俯瞰(ふかん)するような感覚になります。冷静に手術を見ているもう1人の自分が、手術をしている自分に点検項目の指示をしてくれる。その中から難局を打開するアイデアが生まれたり、進むべき道が見えてきたりします」

 こうした“もう1人の自分”が出てくるようになったのは、医師になって10年目ごろの30代後半だったという。30歳から本格的に積み上げていった心臓外科医の経験を、当時「日本一の心臓外科医」と呼ばれた須磨久善医師のいる新東京病院(千葉県)で、徐々に開花させていたときだった。

 天野医師は幼少の頃から手先が器用で、小学生のときはプラモデル作りに没頭した。年間500個以上完成させたこともあったという。

「これに加えて、3浪中には手でレバーを引くタイプのパチンコに、その後入学した医学部ではテニス部に所属しテニスに熱中しました。これらの経験から、手術に必要な指先の感覚と絶対に諦めないという感性が磨かれたと思います」

 そんな天野医師の代名詞といわれるのが、人工心肺を使わず、心臓を動かしたまま行う冠動脈のバイバス手術(オフポンプ手術)だ。今でこそ、この手術が主流になっているが、1990年代初頭は心臓の動きをいったん止め、代わりに人工心肺で全身に血液を送りながらのバイパス手術(オンポンプ手術)がほとんどだった。

 しかしこの手術は、高齢者や重要臓器に障害のある患者へのダメージが大きく、手術後に人工透析を受けることになったり、脳血管障害などの合併症を引き起こしたりすることがあった。

 天野医師がオフポンプ手術を本格的に手掛けるようになったのは96年のことである。

「難易度が高くでも、やるしかないという気持ちでした」

 当時、新しい補助器具が登場したことも追い風となり、天野医師は高齢者や人工透析患者へのオフポンプ手術を次々と成功させた。

「手術で神経を研ぎ澄ませていると、拍動している心臓がほんの一瞬とまって見えます。そのタイミングを見計らってハリを通して、迂回(うかい)路となる血管をつないでいくのです。30例目をやったころには、確かな手ごたえを感じていました」

 その後も、オフポンプ手術にさまざまな改良を加え、世界のフロントランナーと評価されるようになる。2012年、当時78歳だった天皇陛下が狭心症で東大病院に入院された際には、執刀医に指名された。日本中が注目する中、4時間弱でオフポンプ手術を成功させた。 大学ヒエラルキーが色濃く残る日本で、東大病院の医師団が私立大学病院の教授に手術を委ねたことは、画期的な出来事と報じられ、広く国民に知られるところとなった。(文・吉田健城)

※週刊朝日MOOK「突然死を防ぐ 脳・心臓のいい病院」