14日、澎湃新聞は、「日本はいかにして教育大国になったのか」と題する記事を掲載した。資料写真。

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2016年9月14日、澎湃新聞は、「日本はいかにして教育大国になったのか」と題する記事を掲載した。

記事は冒頭、「19世紀中期前後、日本と中国は同じように西方の圧力にさらされていたが、なぜ日本は短期間に西洋の科学技術や文化を吸収し、富国強兵を実現し、近代国家の仲間入りを果たすことができたのか?」と疑問を提起し、その重要な要因の一つに、日本には当時、すでに成熟した教育システムに基づく人材の資源があったことを挙げる。

その説明は、17世紀前後にさかのぼる。徳川家康が天下を取り、朝廷から征夷大将軍の称号を獲得。江戸幕府を開いて、1867年に徳川慶喜が大政を奉還するまでの260年余り江戸時代が続いた。記事は、「家康は抜群の見識の高さと学問への崇拝心を持っていた」とし、家康に大きな影響を与えた京都の儒学者・藤原惺窩が林羅山など傑出した学者を輩出、その林羅山が江戸幕府の文教事業において重要な役割を担ったと指摘した。

江戸時代には、幕府の指導の下、全国で藩士の子弟を教育するための「藩校」が設立され、明治維新前にはその数は800カ所を超えた。学習内容や規模はまちまちだったが、共通していたのは7〜8歳で強制的に入学させられることで、「義務教育に似た制度だった」としている。このほか、江戸時代中期には「私塾」が登場したことにも触れ、「緒方洪庵の『適塾』や、吉田松陰の『松下村塾』は日本の現代開国史上における有名な私塾である」「経済が発展するとともに、民間教育の基礎をなしてきた寺子屋で学ぶ人が増えた」などと解説した。

記事は、「科挙制度があった中国とは異なり、日本では身分が固定されていたために教育は基本的に家業の伝承が目的だった。そのため、寺子屋の教育は『読み書きそろばん』に始まり、その後、それぞれに合わせた教育が行われた」と指摘。「江戸時代に寺子屋で学ぶ学生のために書かれた教科書は現存しているだけでも7000種以上あり、そのことからも寺子屋の普及程度がよくわかる」としている。また、1874年に日本を訪れたロシアの学者レフ・メーチニコフが著書「回想の明治維新」の中で日本の庶民教育のレベルの高さに驚いたことも紹介。「当時の人の識字率は50%を超えており、これは英国(20〜25%)やフランス(14%)よりもずっと高かった」としている。

記事は最後に、「江戸時代に2世紀余り続いた“教育熱”は、国、地方政府、民間が全国に押し広め、根ざしていった。まさにこれが、近代日本の教育大国の神話を生み出したのだ」と論じている。(翻訳・編集/北田)