【意外と知らない】今ドキの新車に「ならし」は不要なのか?

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機械モノである以上やらないよりやったほうがいい

その昔、新車を買ったときの楽しみのひとつは「ならし」だった。ゆっくりと自分のモノにしていく感じといったらいいだろうか、中古車には真似のできない儀式だった。一方、今はというと、ならし不要という声は多いし、実際やらない人がほとんどだろう。やっても、せいぜい最初は多少控え目に運転するぐらいか。

ホントにやらなくていいのだろうか。結論から言うと、暖機と一緒で機械である以上、やらないよりはやったほうがいい。エンジンやミッション、足まわり、さらにはタイヤなども。どんなに精密なパーツを高精度で組み立てても、金属のパーツ同士が合わさっている状態に変わりなく、すき間が均一かというと、そんなことはない。

レベルが昔よりも高くなっただけで、いわゆるアタリは今どきのエンジンでも最初はついていない。いきなり出会ったパーツ同士を擦り合わせて、馴染ませ、密着性などを上げていくのが、ならしというわけだ。

たとえば、ドイツ車は馴染むのが時間かかるというが、実際に乗っていると、1年ぐらいかけてゆっくりとエンジンが軽くなっていき、乗り心地もよくなっていく。これがならしというか、アタリがドンドンと付いている状態である。

具体的な方法については、もちろん今と昔ではその方法は異なる。昔は1000kmから2000kmぐらいまでやるとされ、何回もオイル交換をして内部から出る鉄粉を排出しながら、慣らしをしていった。アクセルももちろん控え目である。

一方、現代流はさすがにそこまでシビアにやる必要はない。またやるにしてもだいたい10000kmまで控え目に走れば、エンジンや足まわりは馴染むし、ボディにも力が加わり活きが出てくる。それ以上にシビアにやるのはどうか? やらないよりやったほうがいいとはいえ、メーカー的には廃車になる時期から計算してゆっくりと走るだけで問題なしとしているので、実際は不要だろう。

どうしても気になる方は1000km時点でエンジンオイルやFRや4WDならデフのオイルを一度交換すればいい。それで内部から出た鉄粉は排出されて、問題も出なくなる(鉄粉をそのままにするとそれが内部を削る)。ちなみに次の1000kmで交換しても鉄粉はほとんど出ないのも事実。いずれにしてもシビアに考える必要はなしだ。

(文:近藤暁史)