25歳、東京を飛び出した。シリコンバレーで戦うデザイナ女子のつぶやき

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はじめまして。高橋クロエです。

今日から連載を始めることになりました。

「クロエ」というのはEnglish Nameで、カフェで名前を伝えるときやレストランをブックするときに気に入って使っています。

この連載では、眠らない街「東京」を駆けまわる営業女子がアメリカで理転し、やりたいことで独立するまでのストーリーを伝えられたら、と思っています。仕事をがんばる女子へ、ちょっぴりの刺激やアイデアをおすそ分けできたらうれしいです。

第1回目は、素人エンジニア女子がエンジニアの最高峰を知り、高揚感と失望を味わったお話。

グッバイ、シンデレラガール!

東京にあるインターネット広告会社に勤めていた頃、

「いつか世界中にサービス展開できるスキルを身に付けたい」

「この不確かな世界で、自分の実力で生きていける素敵な女性になりたい!」

そんなメラメラ野心を胸に秘めていました。

日本のシンデレラ・ストーリー風潮に嫌気がさしていた当時の私は、女性のキャリアというものを、それなりに真剣には考えていた。25歳だ。25歳で海外に出ることにしよう、と。

そうやってスーツケースを両手に日本を飛び出してしまった25の私。

右も左もわからない状態の私をみかねたのか、ある日突然エンジニアの友人がエンジニア養成学校に推薦をしてくれたのがことの始まり。

そのエンジニア養成学校は、アメリカのITのメッカ、シリコンバレーというところにあった。

一人前のソフトウェアエンジニアになるために、入学者全員が8週間かけてiOSのゲームアプリをひとつ作るという内容のものだった。もともと技術的なスキルがないのに、何か世の中に価値を生み出したいと考えていた私は、プログラミングを覚えることで、自分の夢にもっと近づけると信じていた。

MITやスタンフォード出身者たちが参加するプログラミング学校

20160913_chloe_02.jpgプログラミング未経験の私はまぐれで試験と面接の両方にトントンと受かってしまい、シリコンバレー行きの切符を手にした。が、現実はそれほど甘くなかった。

毎朝8時から夕方5時まで、講師による授業と与えられた課題の提出が毎日続いた。これは初日の自己紹介タイムで気付いたことなんだけど、世界中から集ったエンジニアのたまごたちは、なんと名門MITやスタンフォード大学の生徒や卒業生ばかり。

MITって、テレビの「学者が解説することには...」みたいなコーナーで聞いたことあるあれでしょ? なんだかの世界のトップらしいじゃん。なんで私がそんな人たちと一緒に座っているの(笑)と、おかしくなった。

英語すらできなかった私にとって、この8週間は試練の連続。

そもそも先生の言っていることの意味がわからなかったし、そもそも文系女子の脳みそでは、どうしたらそういう思考回路になるのか、エンジニア脳を理解するのもキツかった。

そしてエリート集団の思考スピードにも、当然ついていけない。

「いつか世界で!」と思い描いていたのは本当だけど、何もこんな短期間で、いきなりこんなハイレベルな走りだしなんて予想してないよ。毎日、東京で話題のパンケーキのことばかり考えていた私には、その世界が予想の何倍にも違って見えた。

切符を手にしてしまえばこっちのもの

20160913_chloe_03.jpg現実はそれほど甘くはなかったけれど、一度切符を手にしてしまえばこっちのもの。そんなアウェーな状況なのに、当時の私は、なぜかちょっぴり余裕な心持ちがあったのも本当。

手に入れたこの切符で乗り出した私は、どこへでも行ける。そんなことをぼんやりと考えていた。

そうやって過ごしたあっという間の8週間。

前職できたえあげられた根性と執念で全プログラムを完了し、最終日のDemo Dayで投資家や起業家達の前で自分の作ったアプリをお披露目したとき、彼らから返ってきた言葉はとても意外なものだった。

続く。