9月13日、リオデジャネイロオリンピックで「日本史上初」「レスリング史上初」「女子史上初」となる大会4連覇を達成した伊調馨(いちょう・かおり/ALSOK)の国民栄誉賞受賞が閣議で決定。受賞理由を菅義偉(すが・よしひで)官房長官が、「人一倍の努力と厳しい修練の積み重ねにより世界的な偉業を成し遂げ、多くの国民に深い感動と勇気、社会に明るい希望を与えた」と発表したことを受け、同日午後4時から東京・新宿にある京王プラザホテルで会見が行なわれた。

 国民栄誉賞は2013年の長嶋茂雄・松井秀喜以来24例目。レスリングでは2012年、世界大会13連覇の吉田沙保里に続いてふたり目の快挙となるが、吉田と比べて人柄や普段の練習についてあまり知られず、まさに"ベールに包まれた女王"といった感のある伊調。今回の受賞に至る経緯から見えてきた「3つのキーワード」を軸に、彼女の人物像に迫ってみたい。

 まず、ひとつ目は、「求道」。

 北京オリンピック以降、練習の拠点を母校・中京女子大(現・至学館大)のある愛知・大府(おおぶ)から東京に移した伊調は、出稽古で男子の選手・コーチと練習するようになると、レスリングの奥深さを知り、以来レスリングを極めんと孤高の道を歩んできた。

 目指すのは、「今よりずっと高い技術力があり、偶然とか力ずくではなく、試合前にイメージしたとおりの展開になり、攻めるにしても、守るにしても、すべてが理にかなっている、説明のできるレスリング」。

 そのため、「勝負」より「技術」を追うようになり、目標とするレスリングができなければ、世界選手権で優勝しても満足せず、自己採点は「45点」や「25点」。ロンドンでオリンピック3連覇したときですら、「甘く見て、70点。まだまだ技術不足。もっと技を出さなければいけなかったし、質が悪い」。さらに、決勝戦で残り30秒から大逆転したリオでの戦いは、「最悪の5点。金メダルを獲れたことを足しても30点」と厳しく、試合後の会見でも、「できるなら、同じ相手ともう一度勝負し直したい」と悔やんでいる。

 そして、「東京でオリンピックをやるのは、なかなかない。挑戦してみたい気持ちはある」と意欲をのぞかせながらも、近ごろは、「レスリングはやめたくない。やりたい、健康体ならいつまでも。でも、いつかはやめなければならないから、コーチになってレスリングを追求するというのもいいかなと思っています」と発言している。

 ふたつ目は、「感謝」。

 国民栄誉賞受賞の会見で、「この受賞を今、一番に伝えたい人は?」と問われた伊調は、次にように語った。

「リオでの決勝戦、最後は母が助けてくれたので、母に伝えたいという気持ちもあるが、母はきっと、『死んだ人間に感謝するのではなく、生きている人間に感謝しろ』と言う気がします。これまで自分を支えてきてくれたみなさんに伝えたいです」

 伊調は子どものころから両親に、「人として、迷惑をかけるな。おごるな。有頂天になるな。勘違いするな」と教え込まれてきた。所属ではない警視庁・第六機動隊から温かく迎えられて指導を受け、男子の代表合宿にも参加させてもらっている自分は、「誰よりも多くの人のお世話になっている」と感じている。

 また、オリンピックイヤーに入ってすぐの今年1月、ロシア・ヤリギン国際大会でまさかの黒星を喫した際には、「今回負けたら、本当に多くの人が自分以上に悔しがってくれました。『そうか、そんな思いをさせてしまってゴメンナサイ』という気持ちです」と語った。

 この日の会見でも、伊調は「感謝」を連発。最後は、レスリングへの感謝も忘れない。

「レスリングが私自身を作ってくれた。3歳からレスリングを始め、多くの人と出会いがあり、楽しさ、おもしろさ、やりがい、難しさを教えてくれました。レスリングがなかったら、ここまで人生をかけることはありませんでした」

 そして、最後のキーワードは、「吉田沙保里」だ。

 ふたりは、同じ中京女子大の卒業生。しかも、昨年12月に吉田が退社するまで、同じALSOKに所属する選手だった。初出場のアテネオリンピックから何度も日の丸を背負ってともに戦い、一緒にオリンピック4連覇を目指してきた伊調と吉田は、何かと比べられる。でも、「沙保里さんも、私も、比べられることをまったく気にしていない」と言う。

「今回、国民栄誉賞をいただくことになっても、同等とは思っていません。沙保里さんは成績以上に、人間性において見習わなければならいないことがまだまだいっぱいあります。いつも私に気を遣ってくれて、助けてくれて。尊敬する先輩であり、自分にとってはありがたい存在です」と、感謝の言葉を述べた。

 吉田と伊調は対称的だ。吉田は時間が許すかぎりマスコミの取材や講演などを受け、テレビやラジオにも積極的に出演する。ところが伊調は、練習以外のことで時間を取られ、生活のリズムが崩れることを嫌い、取材などもできるだけ断ってきた。

 会見でも、「取材というか、マスコミが苦手で......」と口にしたが、それでも引き受けたことは真摯に、全力で対応する。インタビューではひとつひとつ丁寧に言葉を選び、撮影でもカメラマンの難しい注文に嫌な顔ひとつせず応じる。形は違うが、本人たちはまだまだマイナーなレスリングを広めようと、自分にできることを懸命にやっているだけ。互いに妬む気持ちもなければ、逆に優越感もない。

 伊調は「沙保里さんがいなければ、レスリングはここまで注目してもらえなかった。負担がいってしまい、本当に申し訳ないと思っている」と常々語っている。そして、世間への露出度は低いかもしれないが、「自分は現場が似合っている」からと、地方にも出向いて講演や教室などで子どもたちにレスリングの魅力を伝え、吉田とは違ったやり方で愛するレスリングの普及、メジャー化に努めている。

 今年1月、新聞社が主催する日本スポーツ賞グランプリの表彰式で、伊調はすでにグランプリを2度受賞している吉田を引き合いに、「歴史があり、名誉ある賞をいただけるのが私でいいのかな......。こういうことは沙保里さんに任せているので」と苦笑いしながらコメントし、会場を笑わせた。

 さらに、リオで吉田が4連覇できずに銀メダルに終わったときも、「沙保里さんを支えて、少しでも負担を軽くしてあげればよかった」と、心の底から後悔していた。

 一方の吉田も、「私だけがレスリングを引っ張ってきたわけじゃない。カオリンがいたから、女子レスリングを率いる第一人者としての責任、日の丸の重さに耐え、困難を乗り越えることができた」と振り返り、伊調とともに戦ってきたことを誇りとしている。

 伊調は「自分が出場する階級の選手全員がライバルです」とは言うものの、アテネオリンピックから12年間、ずっとライバルとして意識し続けてきた選手は吉田の他にいないだろう。それは、吉田も同じだ。自らを高めてくれる最強のライバルを追い求め、ふたりが辿り着いたのが、お互いだった。階級が違い、マットで闘うことはないが、伊調と吉田は互いに尊敬し合い、女子レスリングをリードしながら、ライバルに負けまいと励んできた。

 自分を高めてくれるライバルを常に意識し、一切妥協せず、とことん自分を追い込んでレスリングを極めようと日々努力しながら、自分を支えてくれる人への感謝も忘れない――。そうしてひとつひとつ壁を乗り越え、一日一日強くなり、伊調馨は1896年から続く近代オリンピックの歴史に名を遺す「偉大な英雄」となった。

宮崎俊哉●取材・文 text by Miyazaki Toshiya