「内田さんは尊敬する政治家です。『(これからは)仏の高島が頑張ればいい』と言われましたよ!」

9月7日、新しい自民党東京都連幹事長に選出された高島直樹前都議会議長(66)は、内田茂都議(77)をこう持ち上げた。

内田氏の「親分気質」は、政治の世界にとどまらない。ある土木関係者は「内田さんに悪い印象はありません」と絶賛する。

「数年前、都内の道路拡幅工事に内田さんの関係者が関与していると聞き、我々も参入させてもらおうと連絡しました。『今回は遅かった』と断わられましたが、内田さんの名を聞くと仕事をもらえるのでは、と思ってしまうんです」

内田氏の性格は、どのようにして培われたものなのだろうか。

千代田区神田淡路町に生まれた内田氏は、区立一橋中学校(現・神田一橋中学校)を卒業後、当時から難関校といわれた都立九段高校に進学する。一橋中の同級生が当時を振り返る。

「茂くんは柔道部に所属していた。でも、体が小さくてレギュラーではなかったね。九段高校に進学できたのは学年で10人前後。勉強はできたんだよ」

ところが、内田氏は1956年に高校を中退。その後、1975年に千代田区議に当選するが、その間の経歴には不明な点が多い。同級生が続ける。

「テキヤの手伝いをしているということだった。その後、政治家を目指したのは、初代都知事・安井誠一郎の弟で後の参議院議長・謙氏が立候補するとき、選挙を手伝ったからだと聞いている。安井都知事は元警察官僚で、テキヤという仕事柄、支持するメリットが大きかったからね」

テキヤとして活動しながら、内田氏はある世界に人脈を広げていく。

「内田氏はテキヤ稼業を通じ、東京の指定暴力団の傘下にあった親睦団体に出入りするようになった。その団体には、現在ではトップクラスといわれるような大物ヤクザたちが所属していた」

そう語るのは、ある暴力団関係者。内田氏が区議になった1970年代当時、暴力団に出入りする人間が地方議会の議員になるのは、けっして珍しいことではなかったという。

暴力団との関係について内田氏の事務所に問い合わせたところ、「ご質問のような事実はございません」と、いっさいの関係を否定した。政(まつりごと)に関わり40年。自身の晩節を汚さずに、政治人生を全(まっと)うできるか。瀬戸際である。
(週刊FLASH 2016年9月27日、10月4日号)