9月10日(土)、バレーボールトップリーグ50周年記念大運動会で、全日本女子チームが今年度の活動を振り返る報告会を行なった。

 主将の木村沙織がこう切り出した。

「4回目のオリンピックでしたが、キャプテンとして臨んだオリンピックは初めてで、すべてがこれまでと違う大会でした。目標としていたメダルに届かなかったことは本当に残念です。力が出し切れなかったというよりは、これが自分たちの現状の力。今回オリンピックを経験した選手もたくさんいるので、今回の経験が次の東京でいい方向に行くんじゃないかなと思う」

 そして、メダル獲得がならなかった理由をこのように続けた。

「(要因は)たくさんあります。初戦の韓国戦から、全体的に安定しなかった大会でした。(ロンドン五輪後の4年間で)ハイブリッド6とかMB1とかいろんな作戦をやってきて、最後その集大成だった。その4年間にやってきたことは間違っていたわけではないけど、つながりがなかった。シーズンごとに選手も毎回変わって、軸になる選手がそれぞれの大会で変わっていたので、それが五輪でなかなかかみ合わなかった理由だと思います」

 全日本女子チームは準々決勝で敗退したあともリオに滞在し、3位決定戦と決勝戦を会場で観戦した。

「同じアジアの中国が金メダルを獲ったことに、感銘を受けました。私たちももっと工夫をしていけば、もっとおもしろいバレーができると思う。自分たちより高さもパワーもあるチームを相手にメダルのかかった試合をするには、メンタル面も技術面ももっと磨いていかなければならない。これから東京五輪を控えて、やれることはたくさんある」(木村)

 さらに木村は日本女子バレー史上初の4度目の五輪出場について問われて、「4回目だからこそ改めてオリンピックという場所、オリンピックという大会が素晴らしいものだと実感しましたし、そこで結果を出していくことが日本のバレーボール界のためになる。そこに出るだけではなくて......次、東京がありますけど、そこに向かってそこで結果が出せるようになればいいと思います」と答えた。

 ロンドンオリンピックのあとは全日本引退を決意していた木村だが、この日のコメントでは何度も「東京に向けて」という言葉が出た。自身が東京オリンピックに出場するという気持ちはあるかという質問に対して「今、そこは考えていない」といったんは否定した。だが、「自分が出たいとは?」と重ねて問われると、「やっぱり自分の国でオリンピックを開催するというのはすごいことだと思いますし、今回出てみて、(オリンピックは)本当に素晴らしい大会だと痛感したので、出るか出ないかわからないですけど、これからどういう形にしていくかは考え中です。今度のリーグが終わって、次の全日本に招集されたら、そのときにまた考えたい。東京を目指すかといったところも含めて、考えたいと思います」と東京五輪に前向きな姿勢を示した。

 一方、初出場でチームの司令塔を担った宮下遥は、「オリンピックに出られなかったらということも少なからず考えたこともあったので、本戦の結果はダメでしたけど、本戦の舞台に立てたことはよかった。得られたものは......世界選手権やワールドカップといった他の大会よりも、もっとたくさんの人たちに熱く応援されているということに気がつけたこと。それが自分にとって、今回のオリンピックでの一番の収穫です」と振り返った。

 5位入賞に終わった理由として、宮下は"トスの速さ"を挙げた。

「オリンピックメンバーに絞られてからの合宿で、監督からトスを速くしろと言われて、大会が始まってからもそれを言われていて、トスを速くすることに必死になりすぎて、自分が大事にしなければならないポイントを忘れてしまっていた。私が自分の良さを忘れてしまうと、私自身もダメになってしまうし、チームもうまくいかなくなってしまう。本当に申し訳なかったと思うんですけど、今はそういう反省を踏まえて、充実した時間を過ごしています」

 解説者の杉山祥子さんや大林素子さんは、ミドルブロッカーを使う場面が少なかったことを再三指摘していた。そこで「それはメンバーが大会1ヶ月前まで決まらず、ミドルブロッカーとの信頼関係を築くのが間に合わなかったから?」と質問してみた。

「そう捉えてもらっても全然構いません。短い期間で、ああいう大きな場面で、絶対の信頼関係を作るのは本当に難しいと実感した。時間がなかったという風にとってもらえれば」

 東京五輪に向けては、「まだ、自分が絶対に中心になって東京に出るんだという熱い思いはないです。でも、私も目指せる立場ではあるので目指したい。今回の経験が、『経験できてよかった』で終わらないように、しっかり次につなげたいです。4年後はすぐに来ると思うので1日1日を大事に過ごしたい。日本が強くなるためにどうしたらいいかは......次にスタッフになる方が考えることだと思います」

 日本の多くの指導者が目標と掲げる"速いバレー"はブラジル男子の、特に2000年代の高速バレーがモデルとなっている。眞鍋政義監督はロンドンオリンピックのときも速いバレーを目指していたが、木村が速いトスに合わせることで不調になったのを見て、当時のセッターであった竹下佳江が進言し、元のスピードに戻した経緯がある。80年代のアメリカ男子バレーのレジェンド、カーチ・キライがアメリカ女子代表の監督に就任して、やはり速いバレーに取り組み、2014年の世界選手権で優勝したことで、眞鍋監督も速いバレーに再度、勝算を感じたのかもしれない。しかし、結果としてメダルには届かなかった。

 宮下の言葉どおり、4年という時間は長くない。リオ五輪では歯がゆいことの多かった全日本女子チームだったが、東京に向けて切り替え、次のステップに進むことを望みたい。

中西美雁●文 text by Nakanishi Mikari