密着・小林可夢偉(3)

 コクピットに乗り込もうとする小林可夢偉の左の手の甲には、絆創膏が痛々しく貼られていた。そのふちには、うっすらと血もにじんでいた。

 9月11日、岡山で行なわれたスーパーフォーミュラ第5戦。日曜の朝に行なわれた予選で、可夢偉のマシンはまっすぐグラベル(砂利道などの非舗装路面)を突っ切ってタイヤバリアに激突した。その衝撃で左手をぶつけ、負傷したのだ。ランオフエリアの狭い岡山国際サーキットとはいえ、コースを飛び出してほとんど減速しないままぶつかるというのは異様で、明らかにドライバーのミスではなかった。

「最初にブレーキを踏んだらロックしたんで、一度離してもう一度踏み直したら左側が効かなくて、まっすぐ行ってしまったんです。まだ(アタック前の)ウォームアップラップやったし、普段より20mも手前で踏んでるんですよ。それでも止まらない。クルマをチェックしてみても、原因はわかんないんです......」

 前戦のツインリンクもてぎの決勝でも片効きの状態になっていたというが、走行後にメカニックがチェックをしても、不具合は見つからなかった。

 それでも、可夢偉は泣き言を言わず、マシンやチームを非難することもせず、コクピットへと乗り込んでいった。

「可夢偉さん、がんばって!」

 土曜日に行なわれたレース1のスターティンググリッドで、チーム・ルマンのレーシングスーツを着た子どもに声をかけられ、可夢偉は苦笑いしながら言った。

「明日がんばるわ!」

 それもそのはず、可夢偉のマシンが駐まっているのは、最後尾グリッド。オーバーテイクが極めて困難な岡山国際サーキットで、しかも、わずか28周のレースでは、上位入賞は絶望的な状況だった。

 熊本地震の影響で中止となったオートポリス戦(大分県)の代替として行なわれたこの岡山戦は、土曜と日曜にそれぞれ予選・決勝を行なう特殊な2レース制となった。その土曜の予選で、可夢偉はスピンして最下位に終わる。

 マシンのセットアップとフィーリングは少しずつよくなっているのに、違和感を拭いきれないでいた。

「攻めてなくても、あんなふうによくわからへんことが起きるから。そんなにがんばって攻めてるつもりもないのにね......。運転してて、初心者みたいやもん。ちょっと恥ずかしいもん(苦笑)」

 マシンとタイヤが持つグリップの限界を探りながら、可能な限りそこに近づけていく。98%なのか、99%なのか、その違いが大きな順位の差になって表れる。しかし、0.1%でも限界を超えてしまえば、たちまちコントロールを失って、マシンはどこかへ飛んでいってしまう。限界に近づけば近づくほど、リスクは大きくなる。

 だが、マシンに自信を持つことができなければ、そんなリスクを冒すことすらできなくなる。

 可夢偉はクラッチにも問題を抱えている。去年あれだけ得意としていたスタートが、まったく決まらない。それは、クラッチの動作に違和感があるからだ。

「滑ってるところから、一気につながってしまうんです。『0か100しかない』みたいな感じ。ウェイティングフェイズ(クラッチパドルの開度)が61%で、『62%にする微調整がすごく重要なんだよね』と一生懸命やってて、エンジンの振動でそれがズレるから、キープするのに(ステアリング上の表示を見ながら)めちゃくちゃ集中してるんですよ。そのくらい一生懸命やってるんですけど、うまくいかないんです」

 土曜のレース後、可夢偉はピットガレージ内でマシンのコクピットに座り、エンジンをかけ、僚友ナレイン・カーティケヤン用のモノも含めてチーム内にあるステアリングを取っ替え引っ替えし、クラッチの動作を確かめた。何度も何度もクラッチをつないでみては、そのたびにマシンを押し戻して、またつないでみる。

「前にさえ出てしまえば勝てるから、要は予選とスタートだけなんですよ。でも、今は両方ダメでしょ? 今はポールを獲っても、抜かれる自信しかないからね」

 そう言って笑うが、可夢偉の目は笑っていない。これだけ負けず嫌いの人間なのだから、勝てなくて悔しくないわけがない。笑ってなどいられるわけがない。

「あぁ〜あ、どっかにパァ〜っと遊びに行きたいなぁ! 美味しい食べ物を探して(岡山から)姫路まで行ったことあったけど、今回は神戸くらいまで行ったろか?(笑)」

 イギリスGPのときにシルバーストンからロンドンまで(約120km)夕食を食べに行くくらい豪快な可夢偉だから、何があっても不思議ではないが、そう言いたくなるくらい問題だらけの週末だった。

 これまで2台が別々の方向性で進めてきたセットアップを、可夢偉がツインリンクもてぎで「これかも」と見つけた方向性で揃えたところ、土曜のレース1でカーティケヤンのマシンは見違えるようによくなって3位表彰台を獲得した。

 しかし、同じセットアップのはずなのに、可夢偉のマシンは同じ挙動を示さない。今回初めてセットアップを揃えたからこそ、これまで可夢偉が感じていた違和感がただの違和感ではなく、たしかに何らかの不具合があることがハッキリとした。

「基本的には、2台とも同じセットアップなんです。そのはずやのに、向こうがアンダーステアやって言うてるのに、僕は『どオーバー』やったりね。それでフロントウイングを下げていったら、僕のほうが5度も角度が低かったり、そんなおかしなことがあるんです。そんなことってある? マシンのいろんなところにガタがきてるのかもしれないですね......新車を買ってくださいよ。いっそのこと、輸送中にトラックの後ろのドアが開いて、バーン!って落ちてくれへんかなぁ(苦笑)」

 10番グリッドからスタートした日曜のレース2も、抜きどころのない岡山ではどうすることもできず、高すぎるタイヤの内圧に苦しみ、早めのピットストップを訴えた。だが、無線のトラブルでピット側には可夢偉の意思が伝わらず、無駄な時間ロスもした。

 そうしているうちに入賞圏内からも外れ、終了直前に可夢偉のマシンはピットレーンに入り、そのままガレージの前を通り過ぎていった。

「そう、スタート練習です。ホンマはもうちょっと早くやろかなと思ってたんやけど、あんまりやったら目立ちすぎるなと思って(苦笑)」

 冗談を言いながらも、やれるだけのことはやる。入賞の望みがないなら、テストをする。それがなんとも可夢偉らしい。

 暑くて苦しい51周のレースを終えた後、コクピットから降りた可夢偉はクルマの脇でレーシングスーツ姿のまま、長々とエンジニアたちと話し合った。

 いまだにポイントすら獲れず、コース上では可夢偉らしい走りを見せることもできない。言葉にできないもどかしい思いは、いくらでもある。しかし、小林可夢偉というレーシングドライバーは、なにひとつ変わっていない。

米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki