偏見とは「かたよった見方や考え方」を意味する言葉であり、客観的な根拠なしにある対象について好意的でない先入観や判断を抱くことを意味する。中国国内には日本に対する偏見が数多く存在する。(イメージ写真提供:123RF)

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 偏見とは「かたよった見方や考え方」を意味する言葉であり、客観的な根拠なしにある対象について好意的でない先入観や判断を抱くことを意味する。中国国内には日本に対する偏見が数多く存在する。

 だが、中国メディアの今日頭条はこのほど、日本に3年間留学した経験のある1人の中国人男性が日本の生活で感じた点をいくつか紹介している。この中国人男性の感想には愛国主義という偏見につながりかねない要素が一切入っていない。

 記事は日本での留学生活を通じて見聞きした日本の姿をありのままに紹介している。例えば、アルバイトでは雇い主や職場の厳しさを体験したようだが、「日本人の情け容赦ない厳しさは雇い主のためのものではなく、むしろ自分自身のためのものだということを理解した」と感想を紹介。日本人の厳しさは「誰か」に限定したものではなく、すべての社会人に平等に求められるものだと紹介し、中国の労働環境との違いを実感したようだ。

 また、日本の犯罪率は「非常に」低いく、日本は交通法規の知識が「非常に」広く普及しており、事故率も「極めて」低く、また日本のスーパーの食品保存期間審査は「非常に」厳格であるとも説明。同留学生は日本の様々な習慣を表現する際に「非常に」という言葉を多用して説明しているが、これは日本と中国の違いを明確に現している表現だろう。曖昧でも通用する中国社会と違い、日本では何事も徹底することが求められるということだ。

 偏見のない同記事には、中国のネットユーザーからも、「愛国主義に基づかない日本体験記は新鮮に感じる」と、とても好意的に評価する声が寄せられている。愛国主義は他の国家やその国の人々を客観的に観察する能力を奪ってしまう。しかしこの中国人青年はそうした偏見を持たずに日本での留学生活で感じた点をストレートに表現している。日本の職場の厳しさに対する理解や「非常に」という言葉を用いて日本の長所を称賛できているのは、偏見のない視点で日本を観察した結果と言えるのではないだろうか。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)