11日に初日を迎える大相撲秋場所(両国国技館)で新入幕を果たした、モンゴル人力士の千代翔馬(25歳・九重部屋)が、"千代の富士の忘れ形見"として注目を集めている。

  西十両3枚目で迎えた7月の名古屋場所で9勝6敗の成績を収め、幕内昇進を決めた。2009年名古屋場所の初土俵から7年目の新入幕に、「長かったですね」と苦難の日々を振り返った。

 モンゴル・ウランバートル出身の千代翔馬は、モンゴル相撲の大関だった父の影響でモンゴル相撲と柔道に没頭。モンゴル相撲で全国3位に入るほどに成長した彼の、日本の大相撲へ入るきっかけを作ったのは元横綱・朝青龍だった。

 千代翔馬の父と朝青龍の父が旧知の仲で、当時現役だった朝青龍が同じ一門の九重親方・千代の富士にお願いして入門が決まった。相撲協会の規定で「外国人力士の採用は各部屋一人限り」と定められており、九重部屋にはすでに外国人力士がいたため、高知・明徳義塾高校に相撲留学。1年間ほど待ったのち、ようやく初土俵を踏んだ。

 来日した時の体重は70kgしかなく、「あんな大きな人とどうやって戦えばいいんだろう」と不安だった。しかし、同じく細身の体ながら精進を重ねて31回の優勝を手にし、"ウルフ"の異名をとった第58代横綱・千代の富士の指導を受け、「師匠のようになりたい」と稽古に没頭して新入幕をつかんだ。

 耳を疑う悲報が飛び込んできたのは、幕内昇進を確実にした歓喜の千秋楽からわずか8日後。7月31日、師匠がすい臓がんのため61歳でこの世を去ったのだ。

「体が悪いことは知っていましたが、まさか亡くなるなんて......。今でも信じられません」

 目に焼き付いているのは、昨年の6月、師匠の還暦土俵入りでの雄姿。現役時代を彷彿とさせる四股(しこ)とせり上がりを思い出しながら、「60歳であんなにカッコいい体をしている人はいませんよ。ふくらはぎなんかすごく太かったですし。あんな元気だった師匠が亡くなるなんて」と絶句。「『幕内に上がったらモンゴルに一緒に行こうな』と声をかけてもらっていたのに......」と目を潤ませた。

 7月の名古屋場所、師匠は医師の忠告もあって途中から名古屋へ入る予定だった。しかし、「弟子にとっては大事な場所前。指導しなくてはいけない」と周囲の反対を押し切って場所前から名古屋に入り、稽古場に立った。それが、師匠から受けた最後の指導となった千代翔馬は、稽古場でかけられた言葉が忘れられないという。

「師匠から、何回も何回も『まわしをつかんだら絶対に離すな』と言われたんです。今は稽古でもその教えを守って相撲を取っています。死んでもまわしを離すもんかってね」

 千代翔馬の得意な形は、「右ならば、上手でも下手でも取れば自信があります」と本人が語る左四つ右上手。師匠もその長所がわかっていたからこそ、最後まで「つかんだら離すな」と指導してくれたんだと、その言葉を噛みしめた。

 参考にする力士は、ほかならぬ現役時代の千代の富士だ。必殺の左前まわしをつかみ、強烈な引き付けで一気に相手を土俵の外へ持っていく力強い取り口。その理想の形を自分のものにするため、「今も、師匠の相撲をビデオで繰り返し見ています。少しでも師匠に近づけるように、どうしたらまわしを離さないで取れるのかを考えています」と技の研究に余念はない。

 入幕を果たしたとはいえ、千代翔馬の相撲はまだまだ発展途上。部屋を継承した元大関・千代大海の九重親方からは「相手の動きに合わせた、"出たとこ勝負のケンカ殺法"の相撲になっている。もっと、自分から攻める姿勢が必要だ」と課題を突き付けられている。

 千代翔馬本人にも驕(おご)りはない。技を研究するだけでなく、四股、すり足、鉄砲など、「基本の徹底」を大事にしていた先代・九重親方の教えを忠実に守っている。

「特に重要と言われたのは四股でした。だから今は、1回の四股をおろそかにせず大切に踏むように心がけています」

 師匠は亡くなっても魂は不滅。鍛錬を積み重ねた体は身長183cm、体重130kgまで大きくなり、現役時代の千代の富士(身長183cm、体重126kg)とほぼ同じだ。

「まわしをつかんだら、師匠のように絶対に離さないで攻めていきます」

 偉大なる師匠から受け継いだ"技と魂"で、幕内の土俵で暴れまわる覚悟だ。

松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji