「行き場のない思い」を受け止め続けてきた場所

人は死んだらどうなるの? 

なぜ生きているの? 

なぜ死ぬの?

生まれて死ぬということは自然の摂理で当たり前のことだから、怖がることはない……と思うけれども、やっぱり怖い。今あるものがなくなるという状態の変化が怖い。寂しい。切ない。

もしいなくなってしまった人と話せたら……人がそう思うのもまた自然の流れでしょう。

何年か前の秋、ふと思い立って下北半島の恐山(おそれざん)へ行きました。イタコの“口寄せ”で有名なあの場所です。毎年10月には恐山大祭があり、全国から亡くなった人の供養と口寄せに人が集まります。

別に何があったというわけではないのですが、なんとなく気になる場所だったので、行ってみることにしました。

東京からはかなり行きにくい場所で、夜行バスと在来線を乗り継ぎ、たっぷり半日以上はかかった記憶があります。ようやく最寄り駅に着き、バスに乗り換えて山を登っていくと、徐々に“この世とあの世の境界”のような雰囲気に……。やはり何かが違うのです。

恐山入り口に着くと、さっそくカメラを携えて中へ入りました。あたりは一面ゴツゴツとしたグレーの岩肌で、硫黄の匂いが立ち込めています。人影もまばらで、風車が時おりカサカサカサと音を立てるくらい。

死を悼む石、風車、花。お供えものの数だけ、いろいろな人の思いがあるんだなあ……。なんだかしんみりした気持ちで歩きながら、時々シャッターを切ったのでした。

そして、出口付近にきた時のこと。フィルム交換をしようとカメラの蓋を開けると……あれ? なぜかフィルムが逆さに入っていて(そんな間違いは一度もしたことない!)、なんと一枚も写真を撮れていませんでした。すると、突然目の前のカップルから「うわあ!」と声が。見ると、カメラを川に落としてしまっているではないですか。

なるほど!とっさに反省しました。ここはお参りをする場所。そんな気持ちで撮るものではないよ、と言われた気がしました。すぐにお線香を買いに走り、もう一度最初からやり直し。今度はお線香をあちこちに上げながら、ゆっくりとお参りしました。

この山は、862年に開山したといいます。その頃から霊山として信仰を集め、「どこにも持っていきようのない思い」を1000年以上受け止めて続けてきたところ。特別な感性がなくても、たくさんの“思い”が積み重ねられた場所であることはわかります。神聖な場所、というのはやはり特別なのです。

そういえば、帰りのバスで猛烈に眠くなり、見たこともない映像が次から次に出てきたのは、なんだったのでしょう……。

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