ポケモンGOをフィールドワークしてみた:連載「21世紀の民俗学」(8)

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配信直後から世界中に熱狂をもたらした『ポケモンGO』。仮想空間にモンスターを宿らせ、実在の史跡が遊びの拠点となるこのゲームからは、どこか民俗学の香りがする…。そんな直観に従って、ポケモンの聖地でフィールドワークを敢行した民俗学者・畑中章宏。彼がそこで見つけたのは、由緒ある激レア「モンスター」だった。

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容認・歓迎・拒否

アメリカ合衆国のコンピュータゲーム企業・Niantic(ナイアンティック)が開発する『Pokémon GO』(ポケモンGO)は、AR(拡張現実)とスマホの位置情報を活用して、現実界を舞台にポケモンを捕まえたり、成長させたり、バトルさせたりすることのできるゲームである。日本では諸外国より遅れて、2016年7月22日にサービスを開始した。ポケモンGOについてはすでにさまざまな立場から分析がなされているが、この連載では宗教や民俗を軸とした観点から、この社会現象にまでなっているゲームについて考えてみたいと思う。

まず、神社仏閣では拒否的な反応を示すところと、寛容な姿勢のところがあった。たとえば出雲大社は、神社の境内、周辺社有地などでポケモンGOのプレイを禁止した。出雲大社はドローンの飛行についても禁止の通達を出した前例がある。また東大寺などは、聖地として「静粛さ」を保つことを前提にプレイを容認している。全体的には後者のような施設が、比較的多いようである。

多くの神社仏閣、史跡が集中する京都市では、ポケモンGOでナイアンティックと連携することを発表。同市では以前に、位置情報に基づいた多人数参加型モバイルオンラインゲーム『Ingress』(イングレス)のイヴェントを開催し、市長も参加していた。ポケモンGOにかんしては、京都府知事もポケストップを活用して京都の歴史のPRに結び付けたいとゲーム内容の充実をナイアンティックに要望したという。

海外の反応では、イスラム圏から禁止を打ち出されたというニュースが相次いだ。中東のメディアによると、サウジアラビアのイスラム法学者協会が、多数のモンスターが登場するポケモンGOは、「イスラムが否定する多神教的な思想やギャンブル性が含まれている」などとするファトワ(宗教裁定)を出した。また、エルサレムの元ムフティ(イスラム法学の権威者)は、ポケモンの登場キャラが超自然的な力を持つという設定には「日本の神道思想が反映されている」として、異教徒が開発したポケモンGOで遊ぶのは「ハラーム」(禁止事項)にあたると述べている。

●西山児童公園

遊び場か、記憶の依り代か

諸国の哀悼施設、祈念施設にかんする動きもある。ナイアンティックはアメリカ合衆国ホロコースト記念博物館や広島平和記念公園、カンボジアの虐殺博物館といった慰霊の場や神聖な場所などからポケストップを削除した。

海外からの反応のなかには、次のような興味深い報道もあった。フランス東部にある住民約800人の村、ブレッソルのファブリス・ボーボワ村長はナイアンティックとポケモンに行政命令を送付し、村内でのポケモンの出現を停止するよう要請した。村長が嘆かわしく思っているのは、ナイアンティックが事前承諾を得ずに、村の"領地"にポケモンを定住させていることだという。

「フランス国内でカフェやレストランを新規に開業したければ、事前に当局に営業許可を申請する義務がある。これは、開業や公有地の占用を希望するだれしもに当てはまるルールである。たとえ、それが仮想的な定住であってもだ」「ナイアンティックの開発者は、この地球という惑星全体を遊び場にしている」と村長は語っているという。

日本の国内では、2011年3月11日に起こった東北東日本大震災の津波被災地における事例が、ポケモンGOというゲームのポジティヴな意義を示すものとして語られることもあった。ナイアンティックは、16年4月中旬〜5月末までの期間限定で、「少しでも多くのひとに東北を訪れるきっかけをつくる」ことをテーマに、これまで停止していたイングレスのポータル申請機能を復活させた。この東北復興支援のエージェント活動は「Initio Tohoku Mission」と名づけられた。

ポケモンGOはイングレスのポータル情報を引き継いでいるため、この特例的な「記憶のポータル」が、この度再発見されたわけである。ツイッターでは社会学者の古市憲寿が、「石巻を歩いていたら、今はもうない映画館をポケモンGOで知る。建物は消えても、ポケスポットとして残り続けるんだね」とつぶいて、多くの共感を呼んだ。

ポケストップの民俗性

1997年に岩波書店のシリーズ「今ここに生きる子ども」の1冊として刊行された中沢新一の『ポケットの中の野生』は、90年代後半に大ブームを巻き起こしたロールプレイング・ゲーム(RPG)『ポケットモンスター』の構造を読み解いた刺激的な著作だった。中沢はそこで、意識の「へり」や「穴」、世界の「襞(ひだ)」や「窪み」や「洞窟」といった概念を使いながら、このRPGの哲学的意味を摘出した。

ポケモンGOはポケットの中に入っていたRPGが、現実の平面に進出(侵出)していったものである。そのときポケモンGOの意義のひとつとして、神社・寺院、小祠、石仏石塔といった"民俗的な"ポケストップの思いがけない発見があった。プレイヤーは住まいや職場の近くで小さな祠や石仏を見つけたことを、ポケモンGOのお手柄だと主張することもあるが、これらはそもそもIngressのために申請されたものである。

イングレス・ポケモンGOによるポータル・ポケストップには、宗教的・民俗的なものにとどまらず、街角に立つ奇妙な彫像、ヘンな看板、おもしろいマンホールの蓋といった「路上観察的」なもののも少なくない。本来、宗教的・民俗的な"聖地"は、空間と時間の交点に立つものであり、「祭」が象徴するように、移動によって成り立つものだともいえる。また怪異現象が伝承されてきた場所も、木や石である場合も少なくないが、もともとは記号を持たない辻や峠であった。

●稲荷社

住宅地の奥にひっそりとたたずんでいた、稲荷社。ポケトップに登録されていた。(撮影・畑中章宏)

ポケモンの「聖地」、町田

『ポケットの中の野生』で中沢新一は、ポケモン創案の原初的思考に近づくため、このゲームの生みの親であるゲームクリエイターの田尻智にインタヴューを試みている。田尻は1965年東京都世田谷区に生まれ、少年時代を東京都町田市で過ごした。その頃の田尻本人の居住環境や、当時の小学生らしい遊び方がポケモンを発想する契機であり、ゲームの特質に大きな影響を及ぼしているとみたからである。
 

田尻 ……町田はその頃、名前だけは東京都のうちってことになっていましたけれど、まだまったくの郊外の田舎で、広々とした田んぼや森が残っていたんです。ぼくはそういうところで育って、田んぼや森で虫を取ったり、ザリガニを飼育するのが好きな子どもでした。でも、なんにでも凝ってしまうほうでしたから、虫取りなんかでもみんながやっていない方法で、効果的に虫を取るやり方を、いろいろ工夫していました。

町田は小田急小田原線快速急行で新宿から約30分、JR横浜線でも40分弱のところにある。58年に町田町、鶴川村、忠生村、堺村の合併により、東京都9番目の市として市制が施行された。以後、東京のベットタウンとして人口が急増し、市街地が開発される。

田尻の少年時代は70年代半ば、昭和50年前後にあたる。わたしは屋外に出たRPGを体感するため、ポケモンGOの源流というべき町田でポケモンGOをプレイしてみることにした。

●ポケモンGO1

恩田川でさかなポケモンの「コイキング」を捕まえた。(撮影・畑中章宏)

田んぼから生みだされたモンスター

小田急小田原線・JR横浜線の町田駅に降り立つと、まず「絹の道碑」を探した。わたしの著書『蚕──絹糸を吐く虫と日本人』に因んでのことである。町田は鎌倉時代、武蔵の国の国府・府中と、幕府の本拠地である鎌倉とを結ぶ鎌倉街道沿いの宿場町が栄えた。江戸時代に入ると農業がさかんになり、明治以降は、生糸の生産地の甲府・八王子と貿易港の横浜とを結ぶ「絹の道」の中継点としてにぎわったのである。駅からはタクシーに乗り、田尻が住んでいた「南大谷都営団地」を出発点に、恩田川に沿って歩き始めた。

田尻 ……「ニョロモ」っていう水モンスターがありますが、これなんかは町田の田んぼで見たおたまじゃくしから、そのまま発想しています。小学生の頃、ぼくはおたまじゃくしをすくって、よく観察していたことがあります。おたまじゃくしのおなかは、腸が透けて見えるほどに透明で、ぼくはそれをじっと見つめていた体験があります。それがひどく気になっていたんでしょう。そんなふうにして思いついたモンスターは、たくさんあります。

南大谷都営団地の近くの公園でまず、まぬけポケモンでみず・エスパータイプの「ヤドン」をゲットした。幸先がいいのかどうかよくわからないが、ここから田尻が通った町田市立南大谷小学校、町田市立南大谷中学校と恩田川のあいだの道に歩みを進める。

この辺では、くらげポケモンでみず・どくタイプの「メノクラゲ」を捕まえた。恩田川はJR横浜線の北をほぼ平行に流れ、神奈川県横浜市緑区青砥町と緑区中山町の境界で鶴見川に合流する一級河川である。

激レアな鳥天狗と「おこう」がおびきよせたコウモリ

田尻は「町田も、急激な変化をおこして、都市化して、土がどんどんなくなっていきました。田んぼや森のあったところが造成地になって、つぎつぎに家が建てられていきました」と証言しているが、当時を知らないものには、十分すぎるほどの郊外風景が続く。恩田川ではさかなポケモンでみずタイプの「コイキング」を何匹もゲットした。ところが、このあとはコイキングしか現われなくなる。それにしても暑熱の夏の午前、ポケモンGOを楽しんでいる人どころか、虫捕りや水遊びをしている子どもも全く見かけない……。

途中でバスを使い、ステーキランチを食べ、町田市成瀬地区へと入っていく。このあたりはじつは、民俗学的には大変重要な聖地なのである。まず山之根の「稲荷社」を探していくと、緑濃い草の向こうに小さな社が建ち、その手前に烏天狗型道祖神の石像がたたずんでいた。この石神像は、日本全国でもこの地区に3体しかない、烏天狗の顔を持つ珍しいタイプの道祖神なのである。

恩田川沿いの道に戻って、「西山児童公園」をめざす。川辺の高台で2体目の天狗型道祖神をゲットした。夏の太陽が容赦なく照りつけ、蝉は激しく啼くものの、新たなポケモンは姿を現わさない。

成瀬クリーンセンター前の丘の麓で、3体目の烏天狗型道祖神をゲットした。地神塔や馬頭観音石仏も並ぶこの地点は、天狗型道祖神としてポケストップになっていた。結局ポケモンの聖地と思ってきたわりには、レアポケモンには出会うことはできず、レア道祖神を確認するだけにとどまった。

成果の少なさを挽回するため、道祖神の前で「おこう」を焚くことにした。「おこうを焚く」というのはゲーム内のショップで購入できるアイテムを使用して、ポケモンを呼び寄せる行為である。そうするとようやく、こうもりポケモンで、どく・ひこうタイプの「ズバット」が現われた。

ところで「おこうを焚く」という言い回しは、いったいなにに由来するのだろう。道祖神石仏の前でおこなったいまの行為は、ひょっとすると宗教的な儀式だったのだろうか? 真夏の太陽の下、烏天狗は澄ましているばかりで、なにもヒントを与えてくれないのであった。
●天狗型道祖神1

丘の麓に鎮座する天狗型道祖神。近年できた新しいコンクリートの上に再設置されたようだった。(撮影・畑中章宏)

●恩田川2

田尻が通った小学校のすぐ側を流れる恩田川。「コイキング」が多く生息していた。(撮影・畑中章宏)