広島カープ優勝!炎と燃える真っ赤な花が、いま、まぎれもなく開いた『赤ヘル1975』

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2016年。野球界にとってそれは、広島カープの年だった、と後年語り継がれるはずだ。

1991年の優勝以来、25年ぶりの歓喜。カープファンにとって、優勝からこれほど遠ざかったこと、歓喜を待ちわびたことは過去に一度しかない。球団創設26年目の1975年、広島カープ初優勝のとき以来だ。

そんな今だからこそ、読んでおきたい小説がある。重松清『赤ヘル1975』(講談社)だ。2013年に上梓され、野球ファンはもとより、野球を知らない人たちからも絶賛された物語が、カープ優勝を待ちわびたかのように今月、文庫化された。


広島市民の、祈りにも似た大きな夢


《赤は女子の色だと思っていた》
物語はそんな一節で始まる。舞台はタイトルどおり1975年の広島だ。東京から広島へ引っ越した中学1年生のマナブが、野球少年のヤス、将来は新聞記者志望のユキオらと仲良くなり、広島の街と広島カープ、そして原爆の影と交錯していく。

1975年。それは広島市民にとって、そしてカープにとって特別な年だ。原爆投下から30年という節目の年であり、カープのチームカラーが「赤」に変わった年。

だが、今でこそ当たり前で愛される「赤ヘル」も、当時はすんなり受け入れられたわけではなかった。

《大好きなカープが、男の中の男の集団が、なにが悲しくて女子の色の帽子をかぶって野球をしなければならないのか》

そんな「赤ヘル」がなぜ、ファンに受け入れられ、カープの代名詞となったのか。それはこの年、万年Bクラスの貧乏球団・広島カープが奇跡を演じたからだ。小説冒頭に、当時のカープが置かれた苦境が端的に記されている。

《広島カープは弱かった。一九四九年の設立から一九七四年までの二十五年間で、リーグ三位以内のAクラス入りを果たしたのは、一九六八年の一回のみ。最下位に沈んだのは八回を数え、しかも、一九七二年から一九七四年──昨年のシーズンまでは三年連続再開という体たらくだった》

《弱いだけでなく、貧乏でもあった。親会社を持たない市民球団である。本拠地は、一地方都市にすぎない広島市、おまけにそこはわずか四年前に原爆を落とされたばかりで、「今後七十五年は草一本生えない」とさえ言われている街なのである。球団設立など、ビジネスの論理としてはありえない。ありえないからこそ、それは、広島市民の、祈りにも似た大きな夢だったのだ》

こんなどん底から快進撃を演じていく1975年の広島カープ。ファンと街が興奮しないはずがない。当時のカープの置かれた状況(それは決して、今とそう違わない)を学ぶことができるともに、《広島市民の、祈りにも似た大きな夢》というフレーズに、思わずグッときてしまう。

ベストをつくせ。カープのファンは素晴らしい


物語は、現実世界のカープ躍進とリンクしながら進んでいく。だから当然、山本浩二や衣笠祥雄、安仁屋宗八、古葉竹識ら、当時の選手・監督たちのペナントレースでの言動、つまり「ノンフィクション」が「フィクション」の世界と混じりあっていく。そこがまた面白い。

「赤ヘル」を導入した張本人であり、この年、開幕当初指揮を執っていたジョー・ルーツ監督の有名な演説も小説の中で登場する。

《君たちは君たち自身に、野球に、そして地域社会に対して責任がある。君たちの可能性に富んだ毎日に向かって頑張ってほしい。ベストをつくせ。カープのファンは素晴らしい。彼らにいい試合を見せねばならない。ファイトこそ勝利への基本である。勝つことが全てではない。しかし勝たねばならない》

カープとは? 広島とは? カープファンとは? 野球ファンとは?
小説でありながら、そんなことを考えさせられてしまうのだ。

炎と燃える真っ赤な花が、いま、まぎれもなく開いた


野球ファンに限らず、人は大逆転劇や大番狂わせが大好きだ。昨年、日本中を感動させたラグビー日本代表の南アフリカ戦勝利、サッカー「マイアミの奇跡」、モハメド・アリの「キンシャサの奇跡」……。アップセットやジャイアントキリングは、後世にまで語り継がれ、新たな物語となる。

であるならば、1975年のカープ優勝は、日本プロ野球において最初のジャイアントキリングだったのではないだろうか。

《『明日こそ』いうんは今日負けたモンにしか言えん台詞じゃけぇ、カープは、セ・リーグのどこのチームよりもたくさん『明日こそ』をファンに言うてもろうとるんよ……》

《今日の試合は巨人が逆転を狙ってるけど、もっと長ーい目で、歴史をたどっていったら、カープが大逆転しようとしているんだよ、いま》

そして再び、2016年へ。開幕前、評論家でもカープ優勝を予想する人間はほとんどいなかった。大エース・前田健太は海を渡り、Bクラス予想も大勢を占めていた。そんな状況で起きた快進撃だからこそ、カープファンだけに限らず、他チームのファンであっても思わず拍手を贈りたくなるのではないだろうか。

本書では、1975年に優勝した翌日、中國新聞の名物コラム「球心」のこんな一節が紹介されている。
《真っ赤な、真っ赤な、炎と燃える真っ赤な花が、いま、まぎれもなく開いた。祝福の万歳が津波のように寄せては、返している。苦節二十六年、開くことのなかったつぼみが、ついに大輪の真っ赤な花となって開いたのだ》

そして今、苦節二十五年の真っ赤な花が開いた。

(オグマナオト)