先月5歳になったばかりの娘と、国貿商城のスケート場に出かけた時のこと。お金を払って物を買う仕組みをようやく理解し、また何とか中国語でコミュニケーションが取れるようになった彼女は「自分で!自分でお水買ってくる」と言い張る。

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「ママ、のどが渇いた」。先月5歳になったばかりの娘と、国貿商城のスケート場に出かけた時のこと。お金を払って物を買う仕組みをようやく理解し、また何とか中国語でコミュニケーションが取れるようになった彼女は「自分で!自分でお水買ってくる」と言い張る。筆者が「お釣りをちゃんともらってきて」と財布から10元を取りだすと、「まかせて!」と娘は一目散にサンドイッチ店『Subway』に駆けて行った。(文:佐々木美穂国際協力機構・中華人民共和国事務所次長)

しばらく経って、娘が店から出てきた。右手に握った紙コップには水が入っているらしく、こぼさないよう慎重に歩いてくる。「紙コップのお水を、買わされた?」と筆者は思った。「お釣りは?」と声を掛けると「あるよ!」。小さく左右に振って見せた左手に数枚の1元札。てっきりペットボトル入りのお水を買ってくると思っていた。「温水器から酌んだ紙コップの水なら、無料でもよさそうなもの。しかし、お釣りがあるということは、お店は1元くらい取ったかな?」

「はい、お釣り」。そろりそろりと呆れるほどの時間をかけてベンチにたどり着いた娘は、筆者にお札を押し付けると、喉を鳴らして水を飲み干す。その横でお釣りを数えた筆者は驚いた。10元。もう一度数えた。5元札が1枚と、1元札が5枚で10元。紙コップの水は、やはり無料だった。

『Subway』の店員は、片言の外国語で買い物に来た小さいお客の「メンツ」を立ててくれたのだ。娘が「買い物ができた」と思えるよう、わざわざ10元を受取り、お釣りに見立てて細かいお金に変えてくれた。「ああ!おいしい!」。自分の力で買えたと信じ込んでいる娘に、その水の味は格別だったと思う。

日本に「粋(いき)」という言葉がある。江戸時代に生まれ「人情に通じ、その身なりや振る舞いがカッコいい」ことを意味し、日本人の美意識を表す言葉。大学で日本文学を少々かじった筆者は『Subway』の店員の振舞いに、まさにこの「粋」を感じた。

一方で「これが日本だったらどうだろうか?」と考えた。おそらく子どもに水を手渡し「お金は要らないよ、飲んでいいよ」と言うだろう。『Subway』の店員のような対応はまずあり得ないだろう。万が一あったとしても、必ず親を探して言うだろう。「本当はタダですが、お子さんの気持ちを考えて、こうした対応をしました」と。これは「粋」ではない、「無粋(ぶすい)」である。

2014年は中国から日本への旅行者が240万人を超え、統計史上、最多人数となった。日本へ行ったという中国の人々は、筆者が日本人であることを知ると「日本は清潔だ」、「サービスが良い」と褒めてくれ、また「中国人はうるさいでしょう?」、「中国人はマナーが悪いでしょう?」と問うてくる。確かに、そうした面があることは否めない。夜景を見ながら静かに食事を楽しむレストランでは大声で話さない方がいいし、チケットや切符を買う時の列はきちんと守るべきだ。

しかし、小さい子どもに対する『Subway』の店員のような振舞いはどうだろう? この点において、筆者は中国に日本が学ぶべきところだと感じる。筆者が仕事で中国に来てから1年が経つ。夫は日本で仕事をしており、北京の生活は娘と2人だ。それゆえ、中国の人々の娘に対する「粋」な振舞いには本当に頭が下がる。満員のバスでも必ず誰かが子どもをひょいと膝に乗せてくれる。スーパーで干しブドウの山に興味を示している娘にそっと味見用のそれを数粒握らせウィンクをくれる。地下鉄の長い階段では後ろから娘をスッと抱き上げ、上りきったところでポンと下ろし足早に去っていく。江戸にも北京にも「粋」な人々は結構いるのだ。

日中の間には様々な課題が横たわる。「Cool Japan」、「Cool China」というお互いの優れた点を認め、学び合う姿勢があれば日中間は多少のギクシャクがったとしても大丈夫と感じている。(提供/人民網日本語版)