江戸時代までの日本の医学や本草学は、中国医学書の影響を受けていた。写真は「本草綱目」のパロディー作品。

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江戸時代までの日本の医学や本草学は、中国医学書の影響を受けていた。日本の医学者は中国の医学書を研究することで独自の治療法を身につけ著書を書いていたのである。特に日本の江戸時代(17世紀初〜19世紀中)その流行はピークとなった。

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ところが、その医学書および中国医学の研究が流行するにつれて、医学とは何の関係もないところで中国医学書が利用される事態が生じた。あろうことか、中国医学書をパロディーにした娯楽作品が作られたのである。

例えば、いまや本草書の聖典である明の李時珍が発表した「本草綱目」(1596年)。この書はすぐさま日本にも輸入され、和刻本も出版され、大いに日本の医学界を発展させた。しかし、「本草綱目」は医学発展に寄与しただけではなく、そのタイトルをマネした「加古川本草綱目」、「翻草盲目集」などのパロディー作を日本で生み出した。「本草綱目」だけではない。清代の汪昂の「本草備要」を模した「本草妓要」、明代の「万病回春」を模した「世間万病回春」、果てには古代医学の「傷寒雑病論」を模した「剽軽雑病論」などの文学作品が作られた。それらは、中国医学書の知識がないとその面白さが読み解けないほど凝った戯作作品なのである。

こういったことが先頃、福田安典(日本女子大学教授)により『医学書のなかの「文学」』(笠間書院)としてまとめられ、詳しく解き明かされている。中国の医学書がパロディー化される現象はあるいは日本の江戸時代だけかもしれない。(編集/内山)