就労状況にある女性の57%が非正規雇用という現代。非正規雇用のなかで多くの割合を占める派遣社員という働き方。自ら望んで正社員ではなく、非正規雇用を選んでいる場合もありますが、だいたいは正社員の職に就けなかったため仕方なくというケース。しかし、派遣社員のままずるずると30代、40代を迎えている女性も少なくありません。

出られるようで、出られない派遣スパイラル。派遣から正社員へとステップアップできずに、ずるずると職場を渡り歩いている「Tightrope walking(綱渡り)」ならぬ「Tightrope working」と言える派遣女子たち。「どうして正社員になれないのか」「派遣社員を選んでいるのか」を、彼女たちの証言から検証していこうと思います。

☆☆☆

今回は、都内で派遣社員をしている豊田晴子さん(仮名・38歳)にお話を伺いました。濃い目のアイラインを引いた目元を強調したメイクに、ヒステリックグラマーや70年代風のロックっぽい古着ファッションの晴子さん。カジュアルな服装と、小柄な外見は実際の年齢よりも若そうに見えます。

晴子さんは、人口45万人ほどの地方都市で育ち、大学進学で上京しました。

「映画館も全然ないような街で育ちました。今は、大型ショッピングモールが建てられてシネコンとかあるみたいですけど。学生の頃からファッション誌や音楽雑誌を読み漁っていたので、上京の目的はバンドの追っかけだったんですよね」

卒業後はファッション業界に就職を希望する人が多い中、在学中からバイトをしていたレコードショップへ就職します。

「大学は服飾学科でした。デザイナーさんになれる学科ではなくて、商品企画とかマーケティングの方の学科で。カラーアナリストの資格とかも取ったんですが、全然使っていないですね。音楽が好きだったので、レコードショップのバイトから契約社員になったのですが手取りはあまり変わらなかったです」

東京生活を謳歌していた晴子さんだったが、転機を迎える。

「親から、25歳を前に戻って来いって言われたんですよ。自分が20代の頃って、25歳過ぎたら結婚する人も周りに多かったので。親を安心させるために、東京でwebの制作会社にDTPとして就職しました」

就職先は社員数30人ほどの中小企業で、新入社員だった晴子さんは電話応対から、備品発注、デザインの仕事まですべてこなさなければならなかったと言います。

「ものすごい男性社会の会社で。女性が全体で3人しかいなくて。わからないことがあっても聞きづらい雰囲気だったんですよ。スキャナーひとつ取るにも、初めてでわからなくて。横で何度もやり直してるのを、横目で見て笑われたり」

仕事のストレスもあって、バンドの追っかけが加速していったと言います。

「デパートが開いているような時間で退社できず、どんどんお金が貯まったんですね。平日はライブが見に行けなかったので、週末は遠征して見に行ったり。暫く普通に働いていたのですが、ずっとフジロックに行ってみたかったので、思い切って有給申請したら気まずい雰囲気になって」

晴子さんは、そこで一大決心をします。

「レコードショップの時の同僚とかが夏フェスに行ったり、ライブに行ったりしてるのを見て、好きな事した方がいいなって思って」

零細企業とはいえ、数年働いたweb制作の会社を退職し、派遣社員として働き始めます。

「まだ2006年頃って、リーマンショック前で派遣の時給が高かったんですよ。某タワービルに入っていたIT企業に派遣されていたのですが、別の階のIT企業にバンギャ仲間が行っていてエントランスで偶然会ったり」

派遣先の企業は大手で、責任が重い業務が少なくやりやすかったと言います。

「当時は、派遣バブルというかひとつの部署に10人近い派遣がいたので、気が楽でしたね。自分以外にも、海外への短期留学が趣味で派遣やってる子とか、ジャニオタで派遣やってる子とか。早退も休みも取りやすかったんです」

実家がある地方には戻らず、東京暮らしを謳歌すると決意した晴子さん。仕事よりもライブの優先順位が高い生活を送ります。

「ずっと見てみたかったけれど、年齢的にライブを見に行けなかったバンドの再結成が相次いだんですよ。次、いつ見に行けるのかわからないから、全通(ツアーの全公演を見に行く事)しようと思って。凄く居心地が良い派遣先だったのですが、一旦、終了しました」

生活の優先順位のすべてを追っかけに捧げた晴子さん。

非正規雇用のままアラフォーに突入し、厳しい現実が待っていました。

レコードショップの店員は、給料は安かったけれど、レコード会社の人からサンプルやTシャツを貰えたり、やりがいがあって楽しかったそう。

無利子のキャッシングを繰り返し、派遣を続ける生活に……⁉︎

その2に続きます。