『結婚式のメンバー(新潮文庫)』(カーソン・マッカラーズ:著、村上春樹:訳/新潮社)

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 せっかく秋めいてきたというのに、〈緑色をした気の触れた夏〉という言葉を見てすぐさま、湿度が高くてうだるような日本の夏を思い出してしまった。主人公の少女のどこにも行き場がなくて鬱屈とする感情と、ここ数年の出口の見えないような夏の暑さが、何だか妙にシンクロしたのだ。

『結婚式のメンバー(新潮文庫)』(カーソン・マッカラーズ:著、村上春樹:訳/新潮社)は、作家・村上春樹と翻訳家・柴田元幸の2人が偏愛する作品を新訳・復刊するべく立ち上げた「村上柴田翻訳堂」シリーズ第一作。一人の少女のあるがままを、“夏”を背景に描き、国も時代も超えて共感を呼ぶ名作だ。

 フランキー、12歳、女の子……にしては背が伸びすぎて、髪は男の子みたいに短く刈っている。〈垢抜けないから〉と言われて近所のクラブハウスからは仲間はずれ。〈「わたしがわたし以外の人間であればいいのにな」〉と毎日考えているけれど、現実は、狭くて汚い台所で家政婦のベレニス、いとこのジョン・ヘンリーと一緒にべたついたテーブルでトランプくらいしかすることがない。彼らは〈どう考えても願い下げたい種類の「わたしたち」〉。フランキーが〈「どうしたらいいいのか、わかんないわ。いっそこのまま死んでしまいたい」〉とつぶやけば、ベレニスに〈「じゃあ死ねばいいじゃないか」〉と返される。無性にいらいらする。〈「この街をそっくり潰してしまえたらなあ」〉と考える。まさに〈気の触れた夏〉。

 そんなある日、フランキーの兄が妻となる女性を連れて結婚の報告にやってくる。彼らはフランキーが今まで目にした世界でいちばん素敵な人たちに見えた。突如、彼女は目覚める。〈「彼らはわたしにとってのわたしたちなんだ」〉――。

 その瞬間から、兄たちの〈結婚式のメンバー〉となることが、フランキーの世界の全てとなった。〈「結婚式が終わっても、わたしはもうここには戻ってこないからね」〉と決めたフランキーはまさに無双状態(もちろん、彼女の中でだけ、だが)。自らを〈F.ジャスミン〉と名乗り、街に繰り出し、知らない人に結婚式のことをしゃべって回る。今でいえば、SNSで全世界へ向かって自分の言い分を発信するようなもの。たとえ見ず知らずの人でも、自分の話を聞いてさえくれれば〈心から好きになれる〉味方となる。フランキーの行動は傍から見たら“アイタタタ……”なものばかりだけれど、彼女の姿を見ていると、十代の頃の自分の姿を思い出して切なくなる。子どもの時って、家、近所、せいぜい学校までの狭い範囲が世界の全てだ。その中でもがいても結局、〈どう考えても願い下げたい種類の〉場所から抜けだせない。家政婦ベレニスの言うとおり、〈「人はみんなそれぞれのやり方で閉じ込められている」〉。これが全て。

作者は、フランキーに救いの手を差し伸べたりはしないし、物語を安易な成長物語として描いたりもしない。だからこそかえって、“必死でもがいておかしなことしちゃってもしょうがないよ、みんなそんなもんだよ”と、言ってもらえているような気がする。〈気の触れた夏〉も、読後感はからりとしているのだ。

文=林亮子