“ロッテの顔”が残した功績を振り返る

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 9月1日、ロッテのベテラン・サブロー(本名・大村三郎)が会見を行い、今季限りの現役引退を報道陣の前に報告した。以前、「40歳まで現役でプレーしたい」と語っていたサブローだったが、その言葉通りに40歳で引退することになった。

 22年間の現役生活で、2005年、2010年と2度の日本一に主力として貢献。その現役生活をあらためて振り返る。

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■ドラフト1位で入団。背番号は「36(サブロー)」

 1994年、PL学園の3年時に俊足巧打の1番打者としてセンバツでベスト4に。夏は3番に座り2年生の4番・福留孝介(阪神)と中軸を形成するも、大阪大会準々決勝で近大付に延長10回のサヨナラ負け。春夏連続の甲子園出場はならなかった。それでも、そのプレーはプロのスカウトの目に留まり、秋のドラフト会議ではロッテからドラフト1位指名を受けた。

 ちょうど1994年は、オリックスの鈴木一朗が登録名を「イチロー」に変え、シーズン210安打を放ち、一気にスター選手の仲間入りを果たした年だった。そのイチローにあやかって登録名を「サブロー」に。さらに背番号も語呂合わせで「36」とするなど大きな期待を担って入団する。

 新入団会見では当日不在だったバレンタイン新監督に対して、英語でスピーチしたことも話題を呼んだ。

■「つなぎの4番」として31年ぶりの日本一に

 サブローはプロ5年目の1999年、108試合に出場し1軍に定着。主に1番、2番を打ちレギュラーとなっていく。2004年には当時の背番号2を復帰したバレンタイン監督に譲り、背番号3でプレー。

 そして2005年、8月13日のオリックス戦に「4番・センター」でスタメン出場し、プロ入り初めて4番を任される。その試合以降、サブローは4番に定着し「つなぎの4番打者」としてロッテ打線の中軸に座る。サブローの活躍によって「4番打者=長距離バッター」というこれまでの概念とは違う、新しい4番打者像が確立された。

 尻上がりに調子を上げていったチームは、プレーオフを制しリーグ優勝。さらに日本シリーズも投打で阪神を圧倒し、4連勝で31年ぶりの日本一に。続くアジアシリーズも制した。サブロー自身はこの年、打率.313、13本塁打、50打点と自身最高の成績を残している。

■ベテランとして存在感を発揮

 2006年以降、サブローはチームの中心打者として打線をけん引。2007年にはシーズン後に行われた北京五輪アジア予選の日本代表にも選出され、台湾戦ではスクイズを決める活躍を見せた。

 2009年にはチームが5位に低迷するなか、自己最多の22本塁打と奮闘。翌2010年には選手会長に就任し、新キャプテンとなった西岡剛(阪神)をサポートし、チームをもり立てた。

 この年のサブローは6番に座り、井口資仁、金泰均の主軸をホームに還す役割を果たし、71打点をマークする。レギュラーシーズンは最終戦で3位を決めると、クライマックスシリーズでは西武、ソフトバンクを撃破。中日との日本シリーズを4勝2敗1分で制し、3位からの「下克上」で5年ぶりの日本一に輝いた。

 しかし翌2011年、サブローはシーズン途中に交換トレードで巨人に移籍。登録名は本名の大村三郎となり、背番号0をつけてプレーする。そしてシーズン終了後、FA権を行使しロッテへ復帰した。

 外野陣は角中勝也、岡田幸文、清田育宏らが定着していたため、復帰後は指名打者としての出場が増えることとなった。そんななかでもベテランらしい、勝負強いバッティングを見せつけた。

 9月25日、ロッテの今季ホーム最終戦となるオリックス戦がサブローの引退試合に決まった。当初、この試合は「マリンフェスタ2016」としてマリンフェスタ用の青いユニフォームを着用することになっていたが、急遽サブローが慣れ親しんだピンストライプの通常ユニフォームへの変更が決まった。

 QVCマリンフィールドの場内アナウンス担当・谷保恵美さんによる「サブローー!」のアナウンスもこの日が最後となる。サブロー最後の勇姿に注目だ。

文=武山智史(たけやま・さとし)

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