ワクワク、ドキドキしなければ、エンターテインメントじゃない!秋元康が歩んだ激動のテレビ・音楽・映画

かつて隆盛を極めたテレビがオールドメディアと呼ばれ、インターネットやSNSに取って代わられる時代に。そして海外からも注目のクールジャパンの未来は? 日本のエンタメを牽引するキーパーソンである、作詞家・放送作家・プロデューサーの秋元 康さんに話を伺った。

 1986年、DIMEが創刊した年、秋元康は放送作家として数々のレギュラー番組を抱えながら、作詞家としても活躍していた。『GOOD-BYE青春』(長渕剛)、『セーラー服を脱がさないで』(おニャン子クラブ)、『なんてったってアイドル』(小泉今日子)……。20代の若さで記憶に残るヒット曲をいくつも作詞した。

 その後、映画監督、CM、コンサートの演出やプロデュースを手がける。2005年からは従来の仕事に加え、AKB48の総合プロデューサーとして活躍する。彼は、エンターテインメント界のメインストリームを長きに渡って走り続けている。これまでの30年、そして、2020年に行なわれる東京オリンピックまでの間、エンターテインメントの潮流はどう変わっていくのだろうか。

◎エンターテインメントの基本は変わっていない

--秋元さんが身を置くエンターテインメントの世界は大きく変わってきているのでしょうか?

秋元さん DIMEが発刊された年、まさしく『1986年のマリリン』(本田美奈子)がヒットしました。おニャン子クラブを手がけていて、作詞の仕事が急激に増えた頃でした。当時からこれまでのエンターテインメントの流れを振り返ると、80年代、90年代、2000年以降と3つに分かれます。

 では、何が変わったかといえば、中身の基本は変わっていない。エンターテインメントという商品の基本はワクワクであり、ドキドキです。それをその時代のツールを使って、観客に届けているのがエンターテインメントビジネスです。

 では、ワクワク、ドキドキとは何かといえば、僕が中学生の頃、好きだというワクワクした気持ちを女の子に伝えるのはラブレターだった。その返事が来るのか来ないのかをドキドキしながら待っていた。伝えるツールはある時から電話になり、FAX、ポケベル、携帯になって、そして今はSNS。ツールは変わってきているけれど、人が感じるワクワク、ドキドキは全く同じもの。

 アイドルだって同じです。例えば、天地真理さん、キャンディーズ、ピンク・レディー、おニャン子、モー娘。、AKB48……。アイドル自体は変わってきているけれど、彼女たちに対するファンの気持ちは少しも変わっていない。

--では、エンターテインメントを見る人たちの様子は変わってきていますか?

秋元さん それぞれの人が好きな対象は細分化されていると思います。

 食べ物の話に例えると、昔は家族で行く食事とはデパートのお好み食堂だった。ハンバーグからお寿司から餃子まで、何でもあった。ところが、この30年の間に「餃子はやっぱり餃子専門店だね」とか「ハンバーグはハンバーグ一筋のシェフじゃなきゃダメ」みたいになってきている。もっといえば、ハーブティーだけの専門店とか、餃子でも中国東北部の餃子を出す店といったものも出てきている。細分化が進行しているわけです。

 テレビ番組でも、昔は『オレたちひょうきん族』『8時だヨ! 全員集合』は茶の間で見るものでした。家族全員が見て、笑っていた。

 それが、ある時からひとりでテレビを見るようになり、ネットやスマホを見るようになり、ついにはテレビを全く見ない人たちが出てきた。家族で見るのではなく、ひとりひとりでエンターテインメントを楽しむようになった。これもひとつの細分化の表われでしょう。

 僕自身の体験でいえば、とんねるずのネタを考えていた頃が、視聴者の様子の変わり目かもしれません。家族で楽しむネタではなかった。

 だって、成増と祖師ヶ谷大蔵出身のふたりが同世代だけにわかるギャグだけをやっていたわけだから。昭和30年代に生まれて東京に住んでいた人間しか笑えないネタばかりだった。

 こうした細分化は現在、ますます加速していると思います。

--細分化されて、狭い世界の専門家が増えてきた……。そんな時代に、番組構成から演出、プロデュース、作詞まで、何でもできるという存在は稀有なのでは?

秋元さん 僕は作詞家として35年やってきているけれど、今でも、はみ出し者だと思っている。アウトサイダーですよ。日本ではひとつのことを長くやり続けている人が評価される傾向があります。マルチに仕事をしていて正統派と認められるのは難しいんじゃないだろうか。

 ただ、ひとつに絞り込むことは悪いわけじゃない。太陽光線は虫眼鏡で絞り込まなければ発火しないでしょう? 誰もが初めは対象を絞る。そこから広げていくか、またずっと同じところだけを照らしていこうとするのかはその人自身の考え方だと思う。

--これまでに様々な企画を通してきたと思いますが、何かコツはあるのでしょうか?

秋元さん 実は企画を通すというよりも、いつも声をかけていただいたんです。高校生の時にラジオの深夜放送に投稿を採用された時も、僕は別にはがき職人じゃないんです。あの時が初めてでしたし、たった1回だけだった。平家物語のパロディーを書いて送ったら、おもしろいと言われて「遊びに来ないか」と。それで放送作家になった。作詞家、映画監督だっていずれも、やらないかと声をかけられて、その時に、根拠のない自信で「やります」と答えてきた。

 でも、勉強したり、いろいろと分析したことはあります。大人向け番組の構成をやってくれと言われた時、歌謡曲を紹介する口上を書くには曲を知らないといけないでしょう。ニッポン放送のレコード室にこもって、昔の歌謡曲をずーっと聴いていました。美空ひばりさんの『お祭りマンボ』の歌詞はカッコイイなぁ、とか。本当に勉強になりました。

◎打ち合わせの時間が短いほど曲が売れた

--ほかにも努力されたことはありますか?

秋元さん ファンからのはがきを整理しながら、よく考えていました。はがきを読んでいたら聴取者の関心はどこにあるかがわかる。

「松田聖子さんの『小麦色のマーメイド』ですけれど、マーメイドには足がないのに、なぜ裸足なんですか?」とか。ああ、聴いている人の心には、この部分が刺さっているんだなとわかった。毎日、はがきを読んでいるうちに、曲を聴いている人はどの部分が耳に残るのかがわかってきた。はがきの整理でも真剣にやっていると、何か得られるものがある。

 そう、もうひとつあります。『ザ・ベストテン』の構成をしていた時、ディレクターとデザイナーが曲ごとに美術セットの打ち合わせをしていて、それを見ていてわかったことがあります。

「打ち合わせの時間が短ければ短いほど、その曲は売れる」

 なぜなら、イメージが強烈だったり、キーになる言葉がある曲はすぐにセットを作ることができるから。

『お祭りマンボ』でも『津軽海峡・冬景色』でも、手前味噌だけれど『恋するフォーチュンクッキー』でも、セットのイメージは誰でも思い浮かびますよね。

--作詞に役立ったわけですね。

秋元さん はい。そうしているうちに訳詞、作詞を任されるようになりました。初期の頃でしたけれど、発注に対して、2通りの歌詞を出したことがあります。

『子供達を責めないで』(伊武雅刀・1983年)という曲でしたが、元はサミー・デイヴィス・ジュニアのもの。原曲の詞は、子供たちを守ろうといったものだったけれど、そのまま訳してみたら、当り前のものになってしまいました。だから真逆にしてみた。

「私は子供が嫌いです」というように……。結局、そちらが採用されてヒットしたのですけれど、この時、僕は発注されたとおりの歌詞も提出してるわけです。アヴァンギャルドなものをすすめたのだけれど、発注されたとおりの仕事もしたんです。

 ビジネスマンが企画書を作る時はどうしても発注元のほうを見てしまうのだけれど、その背後にいる消費者を見ることも必要だと思うんですよ。要は、ヒットしなければクライアントも満足しないのだから。

◎予定調和の企画よりその場のリアクション

--今後エンターテインメントでやっていくことはありますか?

秋元さん ブロードウェイで忍者のミュージカルをやる予定です。テーマは「忍者だって、恋をする」。どういうものかって? はは、まだわかりません。2018年の冬を予定しています。

 企画って、ハラハラ・ドキドキが基本ですよ。とにかく予定調和を壊したいと常に思っています。AKB48に関しても、来年どうするんですか? と聞かれるけれど、決めてない。僕が決めていなければみんながハラハラ・ドキドキする。予定調和の計画を作るよりも、その時々のリアクション、レスポンスがおもしろい。開演直前に「あっ、指原のスキャンダルが出た、どうしよう」とか。エンターテインメントのおもしろさって、僕はそういうものだと思っています。

--最後にDIMEがやったら面白いことって、ありますか?

秋元さん 考えなきゃいけないのは言葉であり、概念かな。僕自身もそれがやりたい。ヤッピーでもハマトラでもオタクでも何でもいいのだけれど、まず言葉を作る。その言葉が「族」になる。その「族」の人たちはある種の商品を持って、ある種の場所へ行く。行動の形態ができる。言葉が拡大して、行動になり、生活になる。それをやってみたい。

【1986】「おニャン子クラブ」結成1年後が、1986年。フジテレビのバラエティー番組『夕やけニャンニャン』から生まれたアイドルグループ。

おニャン子クラブ

【2016】2005年に秋葉原で結成されたAKB48。現在は名古屋・大阪・博多・新潟やジャカルタなど海外を拠点とした姉妹グループも含め、メンバーは約500人に。

AKB48
(c)You,Be Cool!/KING RECORDS

【2003】ホラー小説『着信アリ』。携帯電話への着メロが死を呼ぶという仕掛けが新鮮で共感を呼ぶ。2004年、映画化され、ヒット作に。『着信アリ2』『着信アリFinal』とシリーズに。

『着信アリ』
『着信アリ』DVD(通常版)発売中
価格:4700円+税 発売元:角川映画 販売元:バップ
(c)2004「着信アリ」製作委員会

【2008】ハリウッドで『着信アリ』のリメイク版『ワン・ミス・コール(One Missed Call)』が公開。ハリウッドでは、その後も特撮やアニメといった日本映画のリメイク版が製作されている。

ハリウッドで『着信アリ』のリメイク版『ワン・ミス・コール(One Missed Call)』が公開

《AKIMOTO'S EYE 1》爛ルピスの原液瓩鬚弔れたら勝負できる

「これまで僕がずっと放送作家をやってきたテレビは、ヒットしているものに焦点を当てるので稀薄化してしまう。だから爛ルピスの原液瓩鬚弔りたいというのがずっとありました。いまだに僕がビジネスマンになれないのは、やっぱりその優位性を考えちゃうんですよ。例えば、僕はコーヒーのチェーン店は起業できない。だって同じようにコーヒーを提供したらどこに優位性を持っていけるかわからない。でもカルピスの原液をつくれたら勝負できると思う。例えば、カルピスウォーターやほっとカルピスみたいに。だからAKB48がどんなに人気になっても、これを薄めてビジネスをするということに興味がないんですよ。AKB48でTシャツを作るとかは、ただ単に薄めてることじゃないですか。だからドラマをやるにしても、ただAKB48が出てるということで終わってしまうと薄めることになるので、例えばAKB48でヤンキーものをやるんだとか、ヤンキーものだったらそこの役名とかがまたひとつの新しいカルピスになる。カルピスのオレンジ味じゃないけど。だから何かやる時に、何か新しくならないとつまんないなというのは、すごくあります」

《AKIMOTO'S EYE 2》クールジャパンは自分たちの文化に自信を持つこと

「日本はある種アニメにおいては鎖国されていた。つまりディズニーを目指したら勝てっこないですよ。そうじゃない人たちが、いや俺たちには俺たちのアニメの作り方があるんだとなったことが、結果爛ールジャパン瓩砲覆辰燭隼廚Δ鵑任后AKB48を作って思ったのは、かつての世代は欧米に憧れ、欧米みたいなことをやりたかったんですよ。映画をつくりたくて、80年代にハリウッドに行って打ち合わせしたんですよ。もうけんもほろろ。秋元、いくら資金があるのかってことしか言わないわけ。向こうは、企画書がバーンとあるわけですよ。だから全然アジア人を必要としてないと……。もう勝てないなと思って、日本でやるしかないと『着信アリ』を作ったら、ハリウッドからリメイク版のオファーが来た。それはなぜかというと、やっぱり爛献礇僖法璽坤曠蕁辞瓩箸いΔ里魯疋瓮好謄ックなわけ。クールジャパンというのは自分たちの文化に自信を持つことだと思ったんです」

★秋元 康さん

1958年東京生まれ。テレビ番組の企画構成、映画の企画・原作、CMやゲームの企画、新聞・雑誌の連載など、多岐にわたり活躍中。国民的アイドルAKB48瓮哀襦璽廚料躪腑廛蹈妊紂璽機爾睫海瓩襦

取材・文/野地秩嘉

ノンフィクション作家。『TOKYOオリンピック物語』(小学館)ほか著書多数。近著に『SNS時代の文章術』(講談社+α新書)、『サービスの達人たち-究極のおもてなし-』(新潮文庫)がある。