かつて隆盛を極めたテレビがオールドメディアと呼ばれ、インターネットやSNSに取って代わられる時代に。そして海外からも注目のクールジャパンの未来は? 日本のエンタメを牽引するキーパーソンに話を聞いた。

小山薫堂さん
放送作家・脚本家・N35主宰
小山薫堂さん

東北芸術工科大学デザイン工学部企画構想学科長。『世界遺産』『料理の鉄人』などテレビ番組や映画『おくりびと』、キャラクター『くまモン』など数多くのヒットをプロデュース。

 放送作家としてテレビの世界に飛び込んだ小山は、型破りのテレビ番組を次々とつくり続けてきた。今は東京五輪に向けて勢いを増すインバウンド旋風の中「おもてなし」という言葉の本質を考えているという。テレビ業界の進化の歴史と日本のエンターテインメントは今後どこへ向かっていけば良いのか、を尋ねた。

◎雑誌デビューは「DIME」でした

--DIMEの創刊は1986年。小山さんは当時何をしていましたか?

小山さん 大学4年生です。その頃は『11PM』の見習い作家としてテレビ局に出入りしていました。そのネタ本がDIMEでしたね。DIMEで書いてみたら瓩辰得爾鬚けてもらい「ザ・バカ息子」って企画を出したら通って。データウオッチングのページをもらって書いたのが初です。あの頃、DIMEはデータとしていろんなものを提案していたところ。トレンドという言葉もDIMEで生まれたんですもんね。

--DIMEはモノではなく爛肇譽鵐匹鯏舛┐觧┿鎰瓩箸いΔ里法30年間徹してやってきました。

小山さん 狠里覘甅狡瓦戮覘瓩箸い行為が非常に大事でした。そういうデータやネタがまとまっている雑誌がDIMEしかなかった。それ以外は大宅壮一文庫に行って調べたり、日経流通新聞とかを片っ端から見たり。データを吸収し切り口を考えるというのがひとつの仕事でした。企画の材料として自分が調べ上げたデータは、もったいなくて捨てられなかった。切り抜きもいっぱいしました。

 ストックしていくことが、そのまま自分の経験にプラスになっていく時代でしたね。そういう意味で常に好奇心のアンテナを張っていなければ、時代についていけないと言うか、メディアを作るうえでは欠かせないような感じだった。そう考えると90年代のインターネットの誕生は大きいですよね。

その知識がすべての人のものになる、しかも手軽に手に入る。情報に誰でもいつでもアクセスできる。検索できてコピー&ペーストで他人のものを自分のもののように発信できる。そういう点で何かをキャッチする感性は今の人のほうが鈍くなっているのではないかという気がします。

小山さんが初めてDIMEで執筆した記事がこれ。
小山さんが初めてDIMEで執筆した記事がこれ。「ザ・バカ息子」をデータをもとに冷静に分析。(DIME 1987年10月15日号)

◎未来予測の番組が現実になった

--創刊当時を見返してみると、ワープロとか広告も懐かしいですよね。

小山さん 僕も親指シフト(富士通製)のを使っていました。僕が使っていたワープロは2行ぐらいしかなくて。でも当時は、テレビ台本でさえも手書きの時代でしたから、自分が思ったことが活字になるというのが新鮮でした。

しかもそれがプリントアウトできる。あの頃は、何か新しいものが出るたびに、画期的なものとして感じていたように思う。CDも82年ですよね。僕もずっとレコードだったんですが、CDプレーヤーが出た時に坂本龍一さんが持っているLPを全部捨てたという噂を聞いて。それでこれからはCDの時代になるのかなって思った記憶がある。

そして、ベータとVHSの戦争もちょうどあったりして。僕はベータ一筋でした。テレビ局にベータカムがあったし。テレビ局がベータカムを使っているんだから、ベータがなくなるはずがないって思っていました。なのでベータと共に自分の夢が砕け散ったような感じですね。ものすごく進化することにワクワクしていた時代だと思います。

でも今は、アップルがものすごく大胆なことをやっても、あの時ほどみんな興奮してないんじゃないかと思います。アップルウォッチも本当はすごいじゃないですか。30年前はビッグウエーブがいっぱい来ていた感じがするんですけど、今はそのビッグウエーブにマヒしているのかも。いろんな画期的なモノがいっぱい多すぎてマヒしている。

--テレビ番組も変わりましたよね。

小山さん 1992年に『5年後』って番組をやっていたんです。これは『カノッサの屈辱』で過去をひも解き、『TVブックメーカー』で今を知り、そして『5年後』で未来を予測する。って一応3部作としてのものだった。老けメイクをした牧原アナウンサーが「93年のみなさん、こんにちは」って出てきて、「5年前は大変な時代でしたね〜。雅子妃の結婚ぐらいしか明るい話題がなくて……」みたいな感じで進む。

 番組では携帯電話の5年後、クルマ業界の5年後ってやっていて半分コントだった。携帯電話の5年後で、小学生がケータイ持って、ランドセル背負って、歩きながら学校に通っている。「授業中ケータイの電源は切りましょう」って教室に張り紙が張ってある。

すべてがコントとしてやっていたのに、今思えばコントでも何でもない。サッカーも打ちっぱなしのゴルフ場がどんどんつぶれて蹴りっぱなしに変わるっていうのをやったりとか。コントネタとしての未来予測をしたんです。

◎機材の進化がテレビ番組を変えた

--テレビはネットで流行ったものを後追いし始めて、ダメになってしまった?

小山さん テレビでいうと、機材の進化はあると思う。僕が大学生の頃の少し前に、ベータカムができた。その前はニュースも機動力がなくて、その後8mmビデオができた頃からディレクターがカメラマンに頼らなくても、タレントに密着してロケに行けるという体制になってきた。それを『進め!電波少年』が最初にやって。

今のテレビ界はそれがさらに進み、素人が4Kでちゃんと撮れて、音さえちゃんと拾えていれば普通のカメラマンと同じぐらいのクオリティーは撮れるようになった。コストも不景気で制作費が下がっている中、カメラマンを排除しディレクターとタレントで行くというパターンがすごく増えてきていますよね。それが当たり前になってきている。今までと違う、よりパーソナルな感じのVTRが作れるようになっているんじゃないのかと思います。

--料理やグルメ番組についてはどうですか?

小山さん 明らかに言えるのが『料理の鉄人』によって、料理人の名前が非常に前に出てくる時代になりました。それまではお店が出て、人の名前はあまりなかった。料理人にスター性が出始めたのは90年代に入ってからかなと思う。それは今も続いている。人に注目が集まるというか、昔は人よりも会社であるとか、個人個人の存在が昔のほうが薄かったような。

秀でたスターには当然スポットライトが当たっていましたけど、スターじゃない人にはスポットライトが当たることはなかった。それが今じゃ個人でも、例えば小さな存在でもスターになって共感を集める。そういう時代になった。

--小山さんの仕事のスタイルや考え方で変わった点はありますか?

小山さん 本当に調べることが楽チンになったので、それが良くないなと思いますね。逆にやりやすくなったこともある。いろんな思考をする時に、こういうことってほかの人も考えているのかなって検索して、こっちはないなとか。昔だったら自分だけが考えているんじゃないかと思って、突き進んでいくとすでに似たようなアイデアが出てるとか。

そういうものをふるいにかける作業がしやすくなった。僕は比較的、語源とか、そもそも何でこういうふうにいうんだろうなとか、そこからそれをヒントに何かを考えることが多い。当たり前だと思っていることを、1回それの源流に立ち返って発想するということがある。そういう時に調べものがやりやすくなって、考えやすくなりました。

◎成果や結果を求められた2000年代

--2008年に公開された映画『おくりびと』は米アカデミー賞外国語映画賞を受賞し世界からも注目されましたが。

小山さん 映画『おくりびと』はたまたまというか……ウケたのはたまたまだと思っている。賞はとるかもしれないけど、ヒットはしないだろうなって思いながら書いていましたので。それがよく受け入れられたなって思う。今はSNSもあり、小さな価値にも人が集まれる時代になってきている。

またネットフリックスのコンテンツだったり、非常に挑戦的な野心的なものが出始めている。そこにファンが集まることで成立するビジネススキームになっていて、マスでなくても成立するものが増えてきていると思う。ニッチなものがますます増えてくるのでは。世界にウケるコンテンツを考えなきゃという気になる。

日本人だけにウケてもしょうがないというか。世界で当たるもの、あるいは世界が興味を持つ日本のコンテンツは何だろうって考える。それは明らかに2000年代のやってきたことと違う気がする。

◎「おもてなし」はもういらない

--インバウンドについてはどうお考えでしょうか?

小山さん 中国人向けの情報やお土産を作っても絶対売れないし、彼らも買いたくない。日本人が支持しているものじゃないと彼らにもウケない。そういう意味では日本人が参考にしている情報誌を自分たちも読めるようになると、マーケットは確実にありますよね。

エクスペディアの調査でインバウンドの伸び率ランキング(地方都市)で熊本が1位だった。その理由はくまモンだったんです。デパートの中に、くまモンの執務室があって、週4回くまモンが出勤してくる。150人ぐらい入るスペースで120人以上が台湾や香港からの人だった。

 最近、おもてなしがいけないんじゃないかなと思っています。東京五輪招致を機に、おもてなしというワードが話題になって、いろんな人がおもてなし、おもてなしと言っています。

 実はこれが「おもてなしストレス」を作っているんじゃないかと思っています。

 日本人は、ちょっとおもてなしをしなかったら文句を言うでしょ。タクシー乗ってドア開けてもらうのが当たり前みたいな。それって世界的に見てもかなり特殊じゃないですか。普段もてなしている側の人間が、もてなされる側になった時に、ちょっとでも自分がもてなされないと文句を言ったりしているんじゃないかなって思う。

 おもてなしという言葉の本質を4年後には問われているのではないか。本来おもてなしは、価値にはならないし、おもてなしで人は来ないと思うし、呼ぶためのコピーにはならないんです。

 1964年の東京五輪がハード的な日本の進化の追い風になったとしたら、2020年の東京五輪は精神的というか心の中の豊かさ的なものがひとつの追い風であったり、気づきになるのではないかと思います。

小山薫堂さん

【1990】『カノッサの屈辱』(フジテレビ系)。「幕末ビール維新」「原始オーディオ文明の黎明」など、流行やモノの変遷を歴史になぞらえて解説。

カノッサの屈辱
写真提供:フジテレビ

【1992】『進め!電波少年』(日本テレビ系)。映像機器の発達でディレクターがカメラマンに頼らないパーソナルなVTRがお茶の間に。

進め!電波少年
写真提供:日本テレビ

【1993】『料理の鉄人』(フジテレビ系)。裏方の仕事人を表舞台に出して初めてスポットライトを当てた。

料理の鉄人
写真提供:フジテレビ

【2010】くまモンブーム。地方都市の訪日客数伸び率No.1となった熊本県。テトリアくまもとビル1Fには、ガラス張りのくまモン営業部長室もある。

くまモンブーム
(c)2010熊本県くまモン

文/編集部