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○乾坤一擲のAMD Opteron

AMDに24年間勤めていていつも疑問に思っていたことは、"この会社にはバックアッププランと言うものはないのだろうか?"、という事であった。昨今では株主に対する企業価値のアピールの重要な項目のうちに"当社はサステーナブルな成長を目指します"、と言うものがある。"サステーナブル=維持可能な"、というのは簡単に言ってしまえば、"成長し続ける自信があるのでしょうね?それなら今の戦略がダメだったらどういうプランで生き残るのかちゃんと説明してください"、という株主の質問に答えるものである。

一般的に企業のサステナビリティは、キャッシュフロー、保有現金、債務、運転資金、果敢な投資の継続などというそれぞれが背反する項目の適正なバランス、市場の変化に柔軟に対応するための組織の構築、などで説明されるようであるが、当時のAMDのCEOジェリー・サンダースの答えは呆気にとられるようなシンプルなものであった。

1. AMDは将来の成長を担保するために赤字の時でも売り上げの25%を研究開発に投資します。
2. 今の戦略は間違っていません、故にバックアッププランなどはありません。目標に向かって驀進するのみです。

こんなことをあけっぴろげに言っていたサンダースの度量には凄いものがあるが、古き良き時代のシリコンバレーの新興企業は皆そうだったのであろう。事実、バックアッププランなどを用意する余裕などなかったのが現実である。こんなかっこいい啖呵をきっていたサンダースであるが、実際には赤字続きの時には寅さん映画に出てくるタコ社長よろしく常に金策に走り回っていた(AMDはジャンクボンドの王様と言われていた時期もある)。

そして、シリーズのK5の話で述べたように戦略的プランに重大な欠陥が見つかった時にはすかさず次のプランの策定に自ら乗り出さなければならない。こんなことを思い出していたら、私のAMDのTシャツコレクションの中に面白いスローガンを見つけた。背中に大きく"There is no plan B !!"と書いてある。プランBというのはバックアッププランという意味だ。

その意味では、AMDが満を持してリリースしたすべてのインテル対抗製品には実際にバックアッププランは存在せず、常に一発勝負にかけていたのだ。K8コアで全く経験のなかったサーバー市場に打って出たOpteronもAMDにとってはまさに乾坤一擲の製品だったのだ。

○インテルのバックアッププラン

AMDがOpteronでサーバー市場に攻め込んでいたころ、インテルの64ビットコンピューター戦略IA64とそのメインCPU製品Itaniumは明らかに大きな問題を抱えていた。

1. 既存の32ビット・x86のアーキテクチャとの互換性を断ち切って無敵の高性能64ビットコンピューティングを標榜したインテルのIA64であるが、肝心のメインCPUの仕上がりがよくなく、延期に次ぐ延期の繰り返し。IA64はインテルとHPの独占志向が見え見えで、なかなか他のサーバーメーカーへの普及が進まない。
2. UNIX/LinuxがデフォルトOSである高性能サーバー市場の中に割って入ろうとしていたマイクロソフトは、インテルのIA64が一向に市場拡大できないことで苛立ってきていた。

AMDがOpteronを発表して、SUNが強力にOpteronベースのサーバーを拡販していた頃であったと思うが、私はAMD社内である噂を聞いた。その噂とは"インテルがどこか秘密の研究所でAMD64そっくりのCPUを開発していて、その開発コードネームはYamhill(ヤムヒル)という"、ということだった。調べてみると、Yamhillというのはインテルの工場があるオレゴンあたりを流れる川の名前であった。インテルはCPUの開発コードネームを川の名前にするのが伝統である(ItaniumのコードネームはMerced)のでこの噂はいよいよ現実味を帯びてきた。

噂はさらに続く。"インテル社内では数々のプロジェクトが並行して動いている。64ビットコンピューティングについては社内で意見が分かれていた。32ビットx86との互換性を取りながら64ビットの拡張命令を実装する方式(これがAMDがとった方法である)を主張するグループと、ハード・ソフトの過去資産への互換性を断ち切り全く新しいアーキテクチャでぶっちぎりのソリューションを打ち立てようとするIA64を主張するグループである。両者が激論をした結果、後者で行くというトップの決定が下って今まで開発予算がつけられてきたが、度重なる遅延、AMD Opteronの登場、マイクロソフトからの圧力でとうとう幹部連中も方向転換を迫られている。x86の拡張命令で64ビットをサポートしようとした開発グループは、それまで人数も絞られ残されたエンジニアで細々と開発を継続してきていたが、ここに来てまたお座敷がかかったと…"。

386から486に移行させる時もそうだったように、K7でAMDがシェアを取った時もそうだったように、見栄もメンツも捨ててしゃにむにインテルが一直線に走り始めるとどんなことが起こるか、長年の経験でそれをよく知っていた私は背筋に寒いものを感じた。インテルは本気なのだ…インテルはOpteronを排除しなければならない敵と認識した。インテルは必ずやってくる、それはもはや時間の問題だ。

しかしAMDもただじっと待っているだけではない。AMD各部門のするべきことは明らかだった。開発部隊は次の製品をどんどんロードマップ通りに完成させ、製造部隊は増加する需要にしっかり答え、我々営業・マーケティングはインテルが追い付いてくるまでにどれだけお客を取り込み、市場での地位を確固としたものにするかだ。私は、背後から荒々しい息をしながら必死に追いかけてくるすごい形相の猛獣をイメージした。

Yamhillの噂は正しかった。しばらくすると鼻の利くメディアがそういったプロジェクトがあることを嗅ぎ付けてインテルのプレス発表会などで質問するのだが、インテルの幹部はこれをなかなか認めない。インテルのジレンマは下記の通りだった。

1. x86の64ビット拡張を実装するということは、AMD64を認めることになる。CPUの王者のメンツがつぶれる。Opteronが市場でさらに地位を固めるとインテルがAMD互換機を出すことになる。
2. これを認めると、それでなくても市場浸透が遅れているIA64を殺すことになる。それでは今までの巨額の投資を回収できない。株主にはどう説明する?
3. マイクロソフトはもうすでに業を煮やしてAMD64を64ビットOSに採用してどんどん圧力をかけてくる。Opteronは市場受けがいいのでカスタマはどんどん増えている。そこに後発で参入するということはOpteronよりも安い値付けをしなければならない。利益率が下がる。
4. バックアップの開発は細々と継続していたとはいえ、まだ開発中の製品を量産までもっていくのには時間がかかる。しかもマイクロソフトが採用したAMD64との互換を取らなければならない。

2004年の1月、インテルの当時のCEOポール・オッテリー二はついにインテルがx86の64ビット拡張を行うことを公にした。株主相手のインタビューなので執拗に食い下がる質問者をのらりくらりと避けていたが嘘を言うわけにはいかない。2003年4月のAMD Opteronの発表に遅れること9カ月だ。ここでYamhillプロジェクトの存在を認めるということは、開発はかなり進んでいて製品発表ももうすぐだということであろう。いよいよインテルの猛追が始まった。

著者プロフィール
吉川明日論(よしかわあすろん)
1956年生まれ。いくつかの仕事を経た後、1986年AMD(Advanced Micro Device)日本支社入社。マーケティング、営業の仕事を経験。AMDでの経験は24年。その後も半導体業界で勤務したが、今年(2016年)還暦を迎え引退。現在はある大学に学士入学、人文科学の勉強にいそしむ。
・連載「巨人Intelに挑め!」記事一覧へ

(吉川明日論)