『クソアニメと呼ばれて10年〜「秘密結社 鷹の爪」10年史』(扶桑社)

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 2006年4月の深夜に放映が始まった『秘密結社 鷹の爪』は、実に2次元的な紙芝居アニメだった。その特異さゆえに一発ネタだと思っていたが、翌年には劇場版第1作が公開され、CMキャラクターにも抜擢。テレビシリーズもNHKのEテレ夕方枠へと舞台を移し、さらには主役キャラの一人「吉田くん」が島根県の「しまねSuper大使」に就任するなどの快進撃。「なんだこの勢いは!」と驚いていると、いつの間にか10周年を迎えていた。それを記念して刊行された『クソアニメと呼ばれて10年〜「秘密結社 鷹の爪」10年史』(扶桑社)なら、なにかその秘密が分かるかもと思い、早速手に取ってみることに。

 本書は『鷹の爪』のキャラ紹介や各シリーズ放映リスト、劇場版公開リストのほかFROGMAN氏をはじめとしたスタッフインタビューで構成されている。10年にわたり描かれてきたキャラクターや怪人のバラエティー豊かさもさることながら、やはり、小生はFROGMAN氏のインタビューに注目したい。そのインタビュー記事は2部構成となっており、一つ目は最初の劇場版が公開された2007年当時のもの、2つ目が本書のための新規取材である。

 元々映画制作の現場を歩んできたFROGMAN氏は、業界に嫌気がさしていた頃に島根ロケで知り合った女性と結婚し、映像業界を離れ島根へと移住する。その後、処女作「菅井君と家族石」をWeb上で発表すると、たちまち大好評となり、それに目を付けたのが映像プロデュース会社DLE社長の椎木隆太氏だ。以降、DLEのプロデュースにより数々のフラッシュアニメを制作していく。

 ここで驚くのが『鷹の爪』テレビ放映決定の道のりだ。FROGMAN氏と椎木氏の出会いが2005年夏。そしてその冬に、FROGMAN氏は2006年4月の放映開始を知らされる。この椎木氏のスピード感が、後の勢いを生んだともいえるのではないだろうか。実は、DLEにとってもテレビ放映権の購入は大きな賭けだったという。深夜枠とはいえ、在京キー局の枠となると4500万円(当時)もしたのだ。着実に成長を続けているDLEからしても、かなり大きな額である。だが、それでもその投資はしっかりと実を結ぶのだから、椎木氏の持つ先見の明に感服するしかない。

 だが、とんとん拍子に決まった分、放映開始まで間がない。2015年12月にFROGMAN氏は単身上京。そしてDLEに「怒涛の会社300連泊」の武勇伝を残すこととなった。当初はテレビ版『鷹の爪』制作のためだったが、他にも劇場版を含め仕事が山積みのため、下宿への帰宅すらできなかったそうだ。作品自体はゆる〜い雰囲気だったが、やはりアニメ作りはハードである。

 また『鷹の爪』テレビ放映から半年足らずで流れた、TOHOシネマズのマナームービーも印象的だ。マナームービーとは、映画上映の合間に上映中の注意事項などを案内するショートムービーである。きっかけはテレビ第1期放映後に行なわれた『鷹の爪』ファンイベント。たまたま様子を見に来ていたTOHOシネマズの幹部がその熱気に感銘を受け、話が決まったという。しかし自由奔放な「吉田くん」たちに任せて大丈夫なのかと思ったが、元サラリーマンである「総統」が意外にも本来の常識人ぶりを発揮し保護者視点でマナー喚起をする見事な展開だった。

 そして2007年6月にはサントリーの栄養炭酸飲料「カクタスX」を皮切りにテレビCMにも進出し、さらに2008年には吉田くんが「しまねSuper大使」へと任命された。とはいえ、CMも親善大使も人気タレントやキャラクターとのコラボが一般的であるが、当時の一般視聴者にはどれくらい馴染みのキャラだったのか? いや、たとえ馴染みがなくても一目見たら忘れられない作品のパワーが、見る者を強引に引き寄せていったのだろう。

 一見すると単にチャンスに恵まれただけとも思えるのだが、実際には「怒涛の会社300連泊」をはじめ、苦難の連続だったという。プロデュースをするDLEとて億単位の赤字を抱え業績悪化の危機があったのだ。それでもチャンスを掴んで離さず、作り続けたからこその10年だろう。これからも『鷹の爪』の世界征服から目が離せない。

文=犬山しんのすけ