アメリカでは通用せず…大失敗に終わった宇多田ヒカルの全米デビュー

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J-POP史上、最高の歌姫は誰か-

音楽系2ちゃんねるのまとめスレッドでありそうなテーマですが、あなたは誰を思い浮かべますか? 松任谷由実、中島みゆき、矢野顕子、ZARD、安室奈美恵、MISIA、浜崎あゆみ、椎名林檎……。様々な論点から多彩なアーティストの名が連想され、議論はとりとめもなく続くことでしょう。

絶大なインパクトだった宇多田ヒカルの登場


もちろんその中には、宇多田ヒカルを推す声も挙がるはずです。1998年に、15歳で作詞作曲したデビューシングル『Automatic/time will tell』が、大したプロモーションもなくミリオンヒットを記録。翌年、初めて出したオリジナルアルバム『First Love』が765万枚を売り上げ、同年に出演した『ミュージックステーション』(26.5%)、『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』(28.5%)、『SMAP×SMAP』(33.5%)、3番組でそれぞれの過去最高視聴率を記録するという離れ業をやってのけます。

下積み期間を経て、スターダムにのし上がった安室やZARDがシンデレラだとするなら、宇多田はマンネリ化したJ-POP界に突如振ってきた隕石。出現した時の衝撃度でいったら、間違いなく歴代最高クラスなのは間違いありません。

音楽プロデューサーと人気歌手の間に生まれた宇多田ヒカル


そんな日本が誇る歌姫・宇多田には、ある野望がありました。アメリカ進出です。もともと、音楽プロデューサー・宇多田照實と歌手・藤圭子の娘としてこの世に生を受け、幼少期からニューヨークで本場の英語とR&Bに親しみながら育った彼女は、正真正銘、歌謡界のサラブレッド。
これ以上ないほど恵まれた音楽的土壌で醸成された、15年モノの才能は栓を開けた瞬間に芳醇な香り漂うロマネ・コンティの如く人々を魅了し、未体験な刺激で酔わせたのです。
日本史上、最も売れたアルバム(『First Love』)を発表した時ですら、まだ16歳。底知れない可能性を秘めた天才の躍進に、こう思う人も多かったはず。「彼女こそは世界で通用する歌手になる」と。

ピンク・レディー、YMO、松田聖子も苦戦した全米デビュー


アジア圏歌手で唯一ビルボードチャート週間1位を獲得した空前絶後の楽曲、坂本九の『SUKIYAKI』という例外を除くと、ショービジネスの本場・アメリカで商業的成功を収めた和製ミュージシャンはほとんど存在しません。かつてはピンク・レディー、YMO、松田聖子、パフィーなどが世界デビューしたものの、いずれも芳しい成果を上げられず仕舞い。
宇多田はそういったジャパニーズポップスターが築き上げた死屍累々の山を超えて、成功を掴み取れると思しき、これ以上ない希望の星でした。おそらく本人も、若くして日本を席巻した自分自身の能力に、大きな期待を寄せていたはずです。

世界進出のファーストアルバム、ビルボードチャート初登場160位に…


そんな宇多田が、満を持して全米デビューを果たしたのは、2004年10月。アメリカに本社を置くレコード会社『ユニバーサルミュージック』と契約し、Utada名義でのアルバム『EXODUS』を引っさげての世界進出でした。しかし、ビルボードチャートは初登場160位。2週目には早くも200位圏外になるという大惨敗っぷり。続くセカンド・アルバム『This Is the One』は多少健闘したものの、69位とやはりノーインパクトのまま。
2010年にはワールドツアーを開催するも、1000人前後という小規模キャパの会場さえ埋らないという屈辱を味わいます。それが彼女のプライドを傷つけ、同年8月、かの有名な“人間活動宣言”に伴うアーティスト活動休止につながったとも言われていますが、真相は定かではありません。

そこから時は流れて2016年。「アイドルとメタルの融合」をテーマにしたメタルダンスユニット・BABYMETALがアルバム『Metal Resistance』で、ビルボードチャート39位にランクインしました。未だ見果てぬ、日本産・世界的アーティストの輩出という夢。Utadaが果たせなかった悲願を実らせるスターは、いつの日か現れるのでしょうか……?
(こじへい)

※イメージ画像はamazonより
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