アジアユースオーケストラ(AYO)の公演を聴きに行った。8月30日、日本最後、そして彼らの2016年シリーズ最後の演奏だった。写真は筆者提供。

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アジアユースオーケストラ(AYO)の公演を聴きに行った。8月30日、日本最後、そして彼らの2016年シリーズ最後の演奏だった。

まず、AYOについての説明をしておこう。本拠地は香港。中国、香港、台湾、日本、韓国、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイ、ベトナムからオーディションで選抜された10代後半から20代の若い演奏家がメンバーだ。

参加者出身地は台湾が最も多いことが一般的で、今回は29人だった。僅差で中国大陸。次に香港、日本などと続く。

活動期間は夏。一同は香港での3週間のリハーサル・合宿を経て、演奏や移動を含め7月から8月にかけての6週間、文字通り、寝食を共にする。

ここで注目しておいたいのは、本拠地が香港であるということだ。若い音楽家による、純粋な芸術活動といっても世間の波風、特に政治的な影響を受ける恐れはある。特に、東アジアを巡る情勢については、中台問題、日中問題など、さまざまな不安定要素がある。

そこで、AYOの本拠地が香港であることが「効いて」くる。香港ならば、中国大陸の人も台湾人も来やすい。日本人もだ。違うシチュエーションを考えればわかりやすい。本拠地が日本だったらどうなるか。日中関係が極度に緊張すれば、中国人演奏家は来れるのか。本拠地が中国大陸部でも台湾でも同じことだ。どうしても政治的影響を受けやすくなる。

AYOは本拠地を香港に置いたことで、政治などの外界の影響をできるだけ排すことが可能になったと理解することができる。

さて、30日の演奏だ。指揮者はリチャード・パンチャス。ちょっと意外だったのは、以前に聴いたAYO演奏とは違って、演奏者の「自主判断」にまかせた部分が、かなり多かったことだ。

簡単に説明すると、ピアノからピアニシモの部分では、指揮者の意思を徹底させた。楽器の絡み合いの部分では、互いに音をよく聴かせ、アンサンブルとしての統一性を保つことを要求した。特に弦(ソロを含む)と木管のユニゾンでは「ウィーンフィルでも、ここまでやるか」と思えた瞬間が幾たびもあった。

もちろん、個人個人の技量では、プロのオーケストラに比べれば、見劣りしてしまう部分がある。率直に言って、金管のピアニシモや、弦がハイポジション奏法で大音量を出す際の音の濁りは気になった。しかし、彼らの演奏には欠点を補って余りある「感動力」があった。

音楽の演奏に技術は欠かせない。しかし音楽は心から生み出されるものだ。特にオーケストラのように、場合によっては100人を超す演奏者が参加するとなれば、心がどれだけ統一されているかが、演奏の「感動力」にとって決定的だ。

彼らは6週間前に出会った。音楽のとらえ方でも、かなりの違いがあっただろう。しかし、リハーサルや演奏家、そして日々の交流を通じて、互いに心を通わせることができた。だからステージでも、音楽の心を溶け合わせることができた。演奏者の心の状態は、聴衆にダイレクトに伝わってくる。

私がAYOを聴くのは2回目だ。前回と同様、「感動力の発信」に舌を巻いた。これだけのユース・オーケストラは世界を見ても、そうは存在しないのではないか。

もちろん演奏者にとって、AYOに参加できただけで、プロの音楽家として「前途洋々」というわけではないだろう。まして、一流の演奏家としてやっていくには、さまざまなコンクールで好成績を獲得しつづけねばならないなど、難関が待っている。

しかし、出会ったばかりの仲間と心を通わせ、さまざまな葛藤はあったと思うが、すばらしい演奏を実現できたことは、彼らにとって比類なき経験になったはずだ。そして、生まれ育った社会の風潮の違いとは関係なく、「人と人はその気になれば、相手と心を通わせることができる」という経験は、彼らにとって音楽家として、いや、人として限りなく大きく成長させるきっかけになったのではないか。

その意味で、AYOの活動は、極めて重要な示唆にあふれると評価したい。運営は楽でないと思うが、どうか今後も長く続けてほしい。そして、周囲から活動を支えるさまざまな人々、そして香港当局に心からの敬意を表したい。(9月2日寄稿)

■筆者プロフィール:如月隼人
日本では数学とその他の科学分野を勉強したが、何を考えたか北京に留学して民族音楽理論を専攻。日本に戻ってからは食べるために編集記者を稼業とするようになり、ついのめりこむ。「中国の空気」を読者の皆様に感じていただきたいとの想いで、「爆発」、「それっ」などのシリーズ記事を執筆。