夏休みも終わり、実りの秋がやってきました。立春から数えて210日めを「二百十日(にひゃくとおか)」と呼びます。農家の三大厄日のひとつとされ、台風被害も多い時期。刈り入れを待つ五穀が無事に収穫できるよう、風を鎮めるお祭りが各地でおこなわれます。宮沢賢治の童話『風の又三郎』は、そんな9月初めの約10日間を描いた物語。激しい風は、人の心に何を残していったのでしょうか? 題名だけ知っているという方も、昔大好きだったという方も、大人の目線で謎解きしてみませんか。

お辞儀の姿も奥ゆかしい黄金の稲です


それは二百十日の風が吹く新学期でした

夏休み明けの9月1日(二百十日の日)。風が「どう」と吹く朝に、三郎くんという転校生がやってきました。
赤っぽい髪の見慣れぬ姿や変わった動作に、山あいの小さな小学校の子どもたちは緊張します。同学年の5年生・嘉助くんは「あいづは風の又三郎だぞ」と叫び、暴風をもたらす伝説の風の精が二百十日で来たにちがいないと怪しみます。一年生はひたすら怯え、六年生の一郎くんは「そんなはずないだろ」と内心思いつつも、これまでの平穏な日々を乱す存在に複雑な思い・・・
三郎くんは北海道から来たと紹介され、しゃべる言葉は先生と同じく、ほぼ標準語。にもかかわらず、初対面の子どもたちには外国語のように聞こえたそうな。
当時の田舎の子にとって、「村の外」は「国の外」もっといえば「この世の外」と同じくらいの、果てしなさ・実体のなさだったようです。そう考えると、もしかしたら先生の標準語は東北訛りで聞き取りやすかったのかもしれませんね。
三郎くんは物怖じすることなく、皆と行動を共にします。けれども、なかなか意思疎通が難しく、子どものプライドから、一見のどかな遊びの中にはさまざまな心理的駆け引きが! そしてなぜか、「どう」という風が吹くたびに、皆は不思議なものを見たり聞いたりするのです。
台風がきた月曜日、胸騒ぎをおぼえて早めに登校した一郎くんと嘉助くんに、先生は三郎くんが昨日急に転校していったと告げるのでした。

風が押し分け波打たせて通り過ぎます

風が押し分け波打たせて通り過ぎます


その名は「風野又三郎」。歌っていたのは誰?!

どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいかりんも吹きとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう
三郎くんが歌ってきかせる「風の歌」。子ども番組や映画でご存じの方もいらっしゃると思います。彼はこの歌を、いったいどこで覚えたのでしょう。
じつはこの童話は、その前に書かれたいくつかの作品の集大成だといわれています。主軸となった作品の題名は『風野又三郎』・・・まるで人の名前みたいですか? 正解です!
主人公「風野又三郎」さんは、姓名も個性もある風の精だったのです。「甘いざくろも吹きとばせ、酸っぱいざくろも吹きとばせ」と掛け声をかけながら、ばたばたと木の実を落とし、笑って笑って宙を走りまわる悪戯者。その掛け声が、三郎くんの歌になったようです。
と、こんな歌を知っているのだから三郎くんはやっぱり又三郎?という説。単にそういった妄想に取り憑かれた村の子どもの話、とする説。ときどき不思議なことをしに風の精が三郎くんになりすましていた、という説。
三郎くんは、あいさつもなく突然風とともに去っていってしまったため(一方、風野さんにはちゃんと別れのシーンがありました)、転校生の正体は結局ナゾのままなのです。
大人になって読み返してみると、三郎くんはどう考えても人間の子どもにしか思えない・・・という方も多いようです。
お父さんの転勤(鉱山のお仕事)で村に来たという三郎くん。お母さんは、何かの事情で来られなかった様子。アウェイな三郎くんは、強がってみたり受け入れてもらえるよう積極的に努力もします。それでも「異質のもの」として扱われる孤独感。転校経験をもつ大人の方は、胸がきゅんと痛むかもしれません。

熟してなくてもおかまいなし・・・

熟してなくてもおかまいなし・・・


旅する風が地に残していくものは

学校の先生はもちろん三郎くんを妖怪扱いしませんが、それは生徒たちの警戒に無頓着だから? 大人と子どもの通信には、そもそも繋がらない回線が存在しているようですね。
村の子にとって、「風」は生活を根こそぎ奪いかねない恐ろしい存在。さらに、鉱山開発に対する本能的な抵抗感も、ひょっとしたらあったかもしれません。風かもしれない三郎くんには、決して入れない子ども回線が存在したのです。
秋の台風は「野分」と呼ばれ、稲を分けるように人の思いをかき分け、鮮明な記憶を残して過ぎ去ります。子どもたちは、ちょっと苦い約10日間を通じて、風の旅する広い世界の存在を感じたことでしょう。
人間には説明のつかない恐怖や、防ぎきれない自然の力、そして自分を守るために悪気なく人を攻撃してしまうような 人の弱さ。もし三郎くんが人間の子どもだったとしても、彼を通して神さまがその技を見せた可能性は大いにありそうな気がしますが、いかがでしょうか・・・。
岩手県出身の宮沢賢治は、農業学校の教師でもあり、東北地方の稲作研究に貢献しました。相談に訪れる農民に口癖のように「イネの顔(表情)をよく見て育てるように」と説いていたそうです。
雨ニモ負ケズ。風ニモ負ケズ。風雨に耐え、たわわに実って並ぶ稲穂たち。子どものように愛情を注がれた黄金は、にっこり笑っているように見えます。
読書の秋。風の吹く日に、大人の感性で宮沢賢治ワールドを味わってみませんか。

岩手県「石と賢治のミュージアム」

岩手県「石と賢治のミュージアム」

<参考>
『風の又三郎』宮沢賢治(岩波書店)
『謎解き・風の又三郎』天沢退二郎(丸善ライブラリー)
『図説 宮沢賢治』上田哲・関山房兵・大矢邦宣・池野正樹(河出書房新社)