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 緊急事態を想起させるシーンが多く描かれている大ヒット上映中の「シン・ゴジラ」。日本の危機管理を考えさせるその内容に、石破茂・元防衛相が現実世界における日本の安全保障問題について口を開いた。

 都民など360万人もの住民が避難する設定も描かれる。石破氏は自ら手がけた国民保護法についてこんな思いを漏らした。

石破:私がいわゆる有事法制において、どうしても国民保護法を整備したかったのは、沖縄戦や東京大空襲で大勢の民間人が亡くなったという過去の過ちがあるからです。当時の日本政府には、「民間人を戦場に置いてはいけない」という発想がなかったんです。いちおう防空法という住民避難のための法律はありましたが、所管が内務省なのか陸軍省なのかよくわからなくてお互い押し付け合った結果、有効な避難ができませんでした。そもそも「民間人を守る」という考え自体も希薄でした。今回のゴジラはどんどん巨大化するし、動きもけっこう速い。映画にあったような避難の対応が、想定のない現状でできるとは私には思えません。

 避難といえば、現実にはゴジラ上陸よりも、北朝鮮の核ミサイルの危機のほうが深刻です。そのための国民保護計画ですが、これに基づく訓練は最近おろそかになっていないでしょうか。

――官邸の総理執務室などで、閣僚や官僚たちの会議のシーンが丁寧に描写されていた。映画のように活発な議論が行われる政治的素地はあるのだろうか。

石破:議論できるだけの知見がなければ、官僚に対して「何とかしろ!」と怒鳴って終わりです。しかし私たち国会議員は「国民の代表」として、この国を動かす根本的な仕組みである法律を作ってくださいと、負託されているわけです。主権者たる国民の代表だからこそ、自衛隊という実力集団の統制も負託されている。であれば、映画のように最初から「超法規」と言ってしまうのは一種の自己否定ともなりかねない。自衛隊法、防衛省設置法、有事法制、安保法、日米安保条約、日米地位協定は、主権者の負託を受けて作ったものなのですから、国会議員も閣僚も文民統制の主体として、法律や運用について高い知識を持つことが求められます。いざというとき、映画のような白熱した議論が行われると信じますけどね。

――劇中、早口で飛び交う法律や防衛の専門用語。恋愛ドラマの要素は影を潜め、官邸中心に描かれる政治ドラマでもある。政治家は映画からどんなメッセージを受け取るのか。

石破:政治家は国民から選ばれているのだから、政治家も国民もみんなで見て考えるべきだ、と朝日新聞や週刊朝日が書いてくれたら、空気が変わるみたいなところがあるんじゃないんですか。三島由紀夫の小説に『美しい星』という異色の作品があります。UFOが出てきて、三島の作品の中でもっとも受けなかったものの一つだと思います。文学界でも「三島がそんなの書くなんて」と言われてしまったりします。

 日本ではどうも、UFOとかゴジラとか、一般の人が興味のあるようなフィクションでも、永田町や霞が関で語ることがなんとなくタブーみたいなところがありますね。やっぱり私みたいに揚げ足取られるから嫌なんでしょうね。

――閣僚の一人が日米安保条約を適用して、害獣駆除を在日米軍に肩代わりしてもらうことを提案すると、防衛相が毅然(きぜん)としてこう言い放つ。「いえ、まずこの国の政府と自衛隊が動くべきです。安保条約があっても米国はあくまで支援の立場です」。防衛相のこの発言を、石破氏は高く評価する。

石破:あの防衛大臣のセリフは正しい。よくわかっていると思いました。例えば、尖閣諸島で武力攻撃を受けたとして、当初から日米安保条約が発動されると考えるのは間違いです。以前、クリントン前国務長官が「日米安保条約の適用対象」と明言しましたが、だからといっていきなり米軍が出動することは考えられません。まずは個別的自衛権で、日本が自ら対処すべきです。

 総理大臣は優柔不断な態度を見せながらも、だんだんとしっかりしていくところがいいですね。防衛大臣や総理大臣というものは、いかなる事態が起きても対応できるように、常に訓練を積んでおかないといかんということでしょう。

――元防衛相が、映画から受けた教訓とは何だろう。

石破:どんな政策にもリスクはあります。だから政治として、あらゆるリスクを認識したうえで政策を進めないといけない、ということだと思います。第2次大戦で帝国陸軍がリスクを国民に知らせないまま無謀な戦争に突き進んだ。これは有名な話ですが、海軍だって同罪だったと私は思います。山本五十六・連合艦隊司令長官は近衛文麿首相に日米開戦の見通しを聞かれ、「はじめの1年や1年半は存分に暴れてごらんにいれます。しかし、その先は保証できません」と言い、そのとおりになりました。

 同じ過ちを繰り返さないためには、精緻なリスク分析が必要です。誰だってノーリスクの絵空事を説きたくなるし、極限事案など考えたくもない。しかしリスク分析から目を背けることは、あれほど犠牲を払ってくれた先人の教訓としても、あってはならないと私は思っているのです。

週刊朝日  2016年9月9日号より抜粋