『葬儀屋と納棺師と特殊清掃員が語る不謹慎な話』(おがたちえ/竹書房)

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 葬儀の喪主が殺人事件の犯人だったということがあると、「遺族が悲しんでいるようには見えなかった」という証言が出てくるが、根拠としては弱いだろう。というのも、「葬式躁病」という言葉があり、遺族が妙にハイテンションに振る舞ったり、笑みが溢れたりすることはありえるからだ。それは、悲しみに心が押し潰されないための脳の防御機能で、過電流によってブレーカーが落ちるようなものである。では、遺族がそうやって悲しみを乗り越えるのだとすれば、最後のお別れの場を提供する葬儀屋や、故人を棺に納める納棺師、遺体が運び出された部屋の掃除をする特殊清掃員とは、どのように仕事に臨んでいるのか。『葬儀屋と納棺師と特殊清掃員が語る不謹慎な話』(おがたちえ/竹書房)では、葬儀屋でもある作者のナビゲートにより「遺族も目をそらす死の現実」へと足を踏み入れることとなる。

 とはいえ、本書の葬儀屋の章は、比較的笑えるエピソードが多い。葬儀屋の恋バナとして、葬儀後に男性社員が喪主に呼ばれて家に行ってみると、娘さんが一人で家におり、母親からの「娘をヨロシク」という手紙が残されていたなんてことは「よくある」のだとか。定番の怪談ネタでは、斎場のエレベーターで1階のボタンを押したはずなのに、地下の霊安室まで行ってしまうという苦情が「よくある」のだそう。葬儀の場で故人に隠し子がいたことがバレるのもありがちだが、とある会社の重役の葬儀では、多数のオネエな方々が参列して秘密がバレてしまったとか。お葬式をテーマにした作品を撮った映画監督がいたように、やはり数えきれないドラマが展開されている様子がうかがえる。

 映画『おくりびと』で一般に知られるようになった納棺師の章では、漫画でデフォルメされていても、読んでいて思わず死後硬直のようにページをめくる手が止まってしまった。飛んできたマンホールが顔に激突した女性は「顔が縦一文字にめり込んだご遺体でした」とのことで、作者でさえ「か…描いててリアルに怖いんですが…」というくらいである。ヤクザの葬儀で祭壇花のデザインを故人の刺青にちなんだ虎の模様でと依頼され、社員総出の徹夜作業で取り組んでみたものの、猫のようなチープなデザインになってしまったなどというネタが、どんなに一服の清涼剤となることか。

 これが孤独死や殺人事件による部屋の清掃を請け負う特殊清掃員の章ともなると、キーワードは「腐敗」と「害虫」で、うっかり昼食を食べながら読んでしまったら、箸がまったく進まない。この仕事は案外と命がけらしく、人間の腐乱臭は通常の清掃や除菌剤だけでは対処しきれないそうで、そのうえ近所迷惑になるため窓を開けての空気の入れ替えや日光にさらすこともできないことから、オゾン脱臭装置を使用するのだそう。しかし、高濃度のオゾンは中毒死を招く危険な代物であり、作業には細心の注意を払うのだという。食欲を失くすその内容は、興味半分で、しかも食べながら読んだことへの戒めなのかもしれないとすら思えた。

 ところで作者の性格なのか趣味なのか、腐乱死体に「消臭令状」とか、肥満の遺体に「死亡のち脂肪燃焼」といった駄洒落でのツッコミがところどころに入るのを、最初は不謹慎すぎと思ったものの、後半になるにつれてこのノリが愉しくなってきてしまった。今でこそ駄洒落は、オヤジギャグの別称のように蔑まれる扱いになってしまったが、昔は知性を競う遊びでもあったというから、不謹慎なネタを笑えるかどうかもまた知性を計るバロメーターなのではと言ったら言い過ぎだろうか。ともあれ、この本が不謹慎で笑えないという人がいれば、謹んでお見舞い申し上げる次第である。

文=清水銀嶺