大学ではジャーナリストとしての理想に燃えていても、中国のマスコミ業界には、学生たちが在学中に身に着けた素養を生かす場所がない (JAAFAR ASHTIYEH/AFP/Getty Images)

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 この文章は、中国のジャーナリズムとは? 選択迫られる外国人教師(1)のつづきです

ウィキリークスで「天安門事件」の全貌を探る

 米バージニアコモンウェルス大学のマスコミュニケーション学部准教授、ジェフ・サウス氏の研究テーマの一つは、ソーシャルメディアだ。

 中国東北師範大学のジャーナリズム学科で教鞭を取っていた同氏は、天安門事件から25年を迎えようとしていたある日、自分の微信アカウントのプロフィール写真を、ある有名な写真と取り換えた。天安門事件の時に撮影された、軍の戦車に丸腰で対峙している男性の写真だ。中国のネット検閲機能がどの程度のレベルなのか知りたかったのと、これを見た中国人学生がどのような反応を示すかにも興味があったからだ。

 その結果、同氏の微信アカウントは3日後に閉鎖されてしまった。学生たちはほぼ無反応で、わずかに女子学生1人から「先生、どうして戦車の写真に変更してしまったのですか?」と尋ねられたに過ぎなかった。

 「私のプロフィール写真は戦車じゃなくて、戦車の前に立っている人なんだけど、この写真を見たことがある?」と学生に尋ねてみたが、この学生は写真について何の知識も持ってなかった。

 同氏が初めて中国を訪れたのは2014年。米国政府のフルブライト・プログラムからの援助によって訪問学者として中国を訪れた。

 フルブライト・プログラムとは、アメリカ合衆国の学者や教育者、大学院生、研究者、各種専門家などを対象とした、国際交換プログラムと奨学金制度の総称。このプログラムにより、毎年約500人の米国人研究者が世界約130カ国に派遣され教鞭を取る。中国に派遣される教員は、渡中前に必ずスタッフからあるアドバイスを受ける。

 「それは3T、つまりチベット(Tibet)、天安門(Tiananmen)、台湾(Taiwan)問題に触れるな、ということです」スタッフの言うことは理解できるが、実際のところ、ジャーナリズム学科で教鞭を取りながら、これらのテーマを避けて通ることは難しく、同氏にはこうした話題を避けるつもりもなかった。

 中国に来るまで知らなかったことだが、「ウィキリークス」も中国では封鎖されていた。だが、ウィキリークスのミラーサイトの一つが、中国のファイヤーウォールによる封鎖対象から漏れていたため、講義中にウィキリークスを使って89年の天安門事件の詳細を検索するという試みを行った。

 「1989年5月21日夜、天安門広場にいた学生の数は?」学生らはグループに分かれて、たった今習得したばかりの「ネット検索わざ」を使って、この質問に対する回答を探し始めた。

 当初、学生らはこの問いの意味するところをよく理解していなかった。だが学生らの出した回答が、一つ一つパズルのピースのように組み合わせられてゆくと、最終的に天安門事件の全貌が浮かび上がった。

 学生らは、検索結果から分かったことをレポートにまとめたが、最終的にはこのレポートをクラスのウェブサイトで発表するのは控えた方がよいとの意見で一致した。彼らは、このレポートが中国当局の目に触れたら問題が起きる可能性があると憂慮していたのだ。そのため、同氏は学生たちの意見を尊重し、このレポートは同氏個人のウェブサイトでしか公表しないことにした。

 

 グーグル、百度、Bing 検索エンジンの偏りを知る

 ソーシャルメディアのクラスでは、学生たちにグーグル、百度、Bingなど異なる検索エンジンを使わせ、その検索結果を比較させた。

 「この授業は、非常に示唆に富むものとなりました。学生に、検索エンジンの偏りを理解させる一助になるからです。仮にインターネットで『ダライ・ラマ』という言葉を検索したときに、最初のページに提示された検索結果のすべてが「テロリスト」や「分離独立」といったものであれば、この検索エンジンの背後にあるものが何かを理解できます。少なくともこの検索エンジンが、誰かからコントロールされていることが分かるのです」。

 同氏は、こうした内容が中国では「政治赤線」に触れることは承知していた。だが曖昧な授業でお茶を濁すことはできなかったという。「規則に違反するかどうかではなく、ただ学生たちに、ジャーナリストにとって一番大切なことは、真実を追求することだということを知ってほしかったのです。真実を追求する過程で何らかの障壁にぶつかったときには、ジャーナリストとして、こうした障壁を合法的に回避し、さまざまな角度からできるだけ多くの情報を入手する方法を探る責任があります。そうしなければ、真実に近づくことはできません」。

学んだことを生かす場所のない中国人ジャーナリストたち

 グレン・モット氏も、フルブライト・プログラムで中国の大学に派遣された米国人ジャーナリストの1人だ。同氏は2008年、北京の清華大学新聞与伝播学院(ジャーナリズム・メディア学院)で教鞭を取るために渡中した。

 モット氏は、学校の常務副院長、李希光氏が言った言葉を今も忘れられない。「ドアを閉めてさえしまえば、中で何を話しても構わない。チベットだろうが、天安門であろうが台湾であろうが、学生たちによる報道にタブーはない。だが公の場所においては、言動を慎む必要がある」

 モット氏が学部生に対する講義で使用した教材は『The Elements of Journalism』だった。これはジャーナリズムを教える米国の大学の多くで採用されている教科書で、「ジャーナリストはまずニュースの信憑性について責任を負わなければならない。市民に忠実であらねばならない。マスコミは権力を監視する独立した機関でなければならない」といった、欧米諸国のジャーナリストが遵守すべき10の基本原則がまとめられている。

 モット氏は、中国で「ジャーナリズムの原則について講義するとき、たとえ「政治赤線」が存在していようが、他の国で教えるのと同じように授業を進めていると語っている。だがこれは、中国の学生たちが、将来ここで習った原則を実際の報道現場で活用できるということを意味してはいない。

 「いつもそのことが頭にありました。中国で実際に報道に従事する場合、ジャーナリズムの原則と対立することが多いのです」同氏はかつて、このような一文を残している。

 「彼らのようなジャーナリストの卵が、70万ともいわれる中国の報道人の仲間入りをしたとたん、中国の法規やルールに従い、執筆した記事を審査する編集者と対峙することになります。さらに彼らは、自主検閲を行うことも要求されるのです」。

 モット氏は、若手の中国人記者の前途を非常に憂慮している。十分な報酬も得られないうえ、法的にも安全が確保されているとはいえず、必要な専門機関のサポートもない。最も深刻な問題は、大学ではジャーナリストとしての理想に燃えていても、中国のマスコミ業界には、学生たちが在学中に身に着けた素養を生かす場所が、どこにもないことだ。

(翻訳編集・島津彰浩)