連続テレビ小説「とと姉ちゃん」(NHK 総合 月〜土 朝8時〜、BSプレミアム 月〜土 あさ7時30分〜)第21週「常子、子供たちの面倒をみる」第126話 8月27日(土)放送より。 
脚本:西田征史 演出:安藤大祐


125回のレビューで「シン・ゴジラ」のことを書いたら、126回で「ゴジラ」(54年の初代ゴジラ)の話題が登場。このシンクロに、今週も張り切って参りましょう!
まずは、21週のおわり、126回のおさらい。

「君は社員が毎日しあわせに働いているかどうかをいつも気にかけている番人になれ」
「そして、社員が仕事のことで外部と面倒なことになったらまずは君が出ていって謝れ。
 謝るということは会社の代表として一番大きな仕事だ」
「わたしはわたしのやり方で戦う」 

登場した頃の花山(唐沢寿明)はとっても魅力的だったのだが、最近、なんだかおかしい。
主人公みたいと喝采したのが、本物の主人公的によろしくなかったのか、精彩を欠きはじめている。
上記のセリフが最たるもの。常子(高畑充希)に面倒なことを押し付ける勝手な人としか思えない。
ここは常子に「花山さんったら!」とか軽くでもいいからツッコんで、笑って済ませてほしかった。

しかも、おそらく、この花山の言葉が常子の女としての幸せ探求をストップさせてしまうことになるのだろうと思うと暗澹たる気持ちに。

その女としての幸せ部分。毎週木曜日に星野(坂口健太郎)の家に行き、子供たちと過ごしていたが、星野の会社の繁忙期も終わってしまい、最後の夜。
星野はあろうことか、常子に謝礼を渡す。当然、常子は受け取らない。
お金を出すとは水臭過ぎるー。

常子「これからも必要であればこうしてまた」
星野「いえ、それは」

お互い意識はしているけれど、勝手に線引きして、深入りしちゃいけないと思っている。15年前から変わらず不器用なふたり。

家に帰った常子に、
「寂しい? ほら弱音」とけしかける美子(杉咲花)。
「寂しい」と常子。
「なんだかかわいい。今まで見て来たとと姉ちゃんのなかで一番」と美子がからかうように言う。

このへん、ラブストーリーに次ぐラブストーリー。でも、GOとはならないのは、やっぱり冒頭の花山の言霊が常子を縛りつけているからだと思う。

そこで今日のほとほと姉ちゃん


本来、「とと姉ちゃん」は、ばりばりの父権社会の時代に生まれた女性が、父の死後、女ながら家長となって、
家族を守って生きていく姿を描くことで、一般的な男と女の認識を覆していく痛快なお話になる課題を背負っていたと思う。

ところが、いま「仕事に生きるべき」という責任を背負わされた常子を見ていると、それを貫くよりも好きな人と生きる幸せを選択するほうが痛快な流れになってしまっているように見えるのだ。
余計なお世話だが、そこに川をつくっても流れませんよ・・・と心配で心配で。

なぜか大事なはずの仕事がいまひとつ魅力的に見えないし、「社員が毎日しあわせに働いている」ようにもあまり見えないし、がんばって働いて守っているはずの家族の生活もあまりにふつう。ふつうが尊いのはわかるけれど、ここはドラマなのだから、もう少し盛って、常子をとりまく人々の日々の生活の充実を描いてほしい。そうしないと、常子が仕事を選択する根拠があまりに弱い。

このままでは「謝るということは会社の代表として一番大きな仕事だ」と言われてその仕事を選ぶ夢のなさ過ぎる人生まっしぐら
だが、希望はある。
映画「謝罪の王様」(13年)くらいやってくれたら、朝ドラヒロイン革命である。
「謝罪の王様」とは、宮藤官九郎脚本で、ひたすら謝りトラブルを解決する仕事を専門にする男(阿部サダヲ)の物語だ。
唐沢寿明の指令によって高畑充希が華麗に謝ってまわる喜劇はちょっと観たい。

22週は、古田新太の登場で、空気が変わるか。
(木俣冬)