そしてルフカイ監督からは「代表でしっかり頑張ってこい」とヴェンゲル監督と同様の檄を飛ばされ、ハリルジャパンの合宿初日となる28日朝に慌ただしく羽田空港に降り立った。

 アーセナルからの申請が却下された労働ビザを来夏に特例で取得するためには、浅野が秘めた才能と将来性をイングランド・サッカー協会(FA)に認めさせることが最も近道となる。その意味でもA代表の公式戦となるアジア最終予選でゴールという結果を残せば、その分だけ強いインパクトを与えられる。

 特例でのビザ申請の先例として、現在ブンデスリーガ2部のザンクトパウリでプレーするFW宮市亮のケースを振り返ってみよう。2011年1月に中京大中京高からアーセナルに加入した宮市は、浅野同様に労働ビザの取得申請が認められず、武者修行のためにフェイエノールト(オランダ)へ期限付き移籍した。シーズン途中での加入ながら、宮市は3トップの左ウイングとして12試合で3ゴールをマーク。この活躍が認められて同年8月に特例での労働ビザが発給され、イングランドでのプレーが可能になった。ちなみにこの間、宮市はアルベルト・ザッケローニ監督率いるA代表には一度も招集されていない。

 浅野としてはもちろんシュトゥットガルトで結果を残すことも必要不可欠だが、A代表に招集されて、しかもハリルホジッチ監督から「A代表に何かをもたらす可能性はかなり高い」と熱い視線を向けられている点で宮市よりもさらに大きなチャンスを得ていることになる。

 だからこそ、ヴェンゲル、ルフカイ両監督は「代表で頑張ってこい」と背中を押したのだろう。浅野自身もA代表戦出場が特例での労働ビザ取得への「絶対条件になってくると思う」と力を込める。

「A代表に常に呼ばれて、ピッチに立てるくらい頑張りたい。その結果としてアーセナルに戻ることができたら、それが一番自分の成長にもつながるのかなと思っています。(オリンピックを戦い終えた)僕にはもうA代表しかありませんけど、そればかりを見るのではなく、まずはシュトゥットガルトのために100パーセント頑張ること。一年で1部に復帰することがチームの目標であり、僕の目標でもあるので。目指すところがある意味でも、すごく充実したシーズンになるんじゃないかなと思います」

 国内組だけで臨んだ昨夏のEAFF東アジアカップで初キャップを獲得した浅野は、今年6月に開催されたキリンカップで欧州組と初めて同じ時間を共有。同3日のブルガリア代表との準決勝の後半終了間際には自らの突破で獲得したPKを志願して蹴り込み、A代表初ゴールをマークした。しかし、4日後のボスニア・ヘルツェゴヴィナ代表との決勝戦では右MFとして先発フル出場したものの、ある一つの“判断”を悔やむあまりに、試合後にはピッチの上で人目をはばかることなく涙を流している。

 1点を追う状況で迎えた後半アディショナルタイム。右サイドに生じたスペースへフリーで抜け出し、スルーパスに追いついた浅野は次の瞬間、シュートではなく中央へのパスを選択。これが必死に戻ってきた相手にカットされ、同点とする絶好のチャンスを逃してしまった。やや角度がなかったものの、それでもシュートを選択しなかった自分への怒り、情けなさが涙腺を決壊させた。本田圭佑(ミラン)から「なぜ涙を流すのか分からない」と苦言を呈された自身の姿を、浅野は今も忘れていない。

「前回の招集ではゴールも取れましたけど、悔しい思いもした。その分、今度こそやってやるというか、(ストライカーとしての)メンタリティを強くしていかなきゃいけないという気持ちはより増しています。ワールドカップが僕の次の目標だし、そこへ直結する試合に絡めることは本当にうれしいこと。オリンピックは悔しい結果で終わりましたけど、世界のDF相手でも僕の特徴をしっかりと出せば通用するんじゃないか、という手応えを感じることもできた。もちろんA代表となると一つ、二つとレベルが上がりますし、難しさというものも増してきますけど、それでも自信を持ってプレーできると思っています」

 特徴とは50メートルで5秒台の快足と、一気にトップスピードへ到達するアジリティの高さに他ならない。リオデジャネイロ・オリンピックのナイジェリア戦とコロンビア戦でも、瞬く間に相手の最終ラインの裏へ抜け出してゴールネットを揺らしている。日本の勝利に貢献し、その上で自分の力で未来を切り拓いていくために――。ハリルジャパンの攻撃陣でも稀有な“スペック”を解き放つシーンを思い描きながら、浅野が持ち前のプレースタイルから獰猛な「ジャガー」と命名された“牙”と“爪”を鋭く研ぎすませていく。

文=藤江直人